王旭昇用心 把喪俗糊成藝術

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2015 / 6月

文‧朱立群 圖‧莊坤儒


他專注於每一道工序,不論是紙厝上的窗框、瓦片,抑或人偶臉上絲絲分明的鬍鬚,每一個作工的細節,都是出自他的用心,以及糊紙技藝家傳三代不變的堅持。


「簡單,真的很簡單!」逢人問及糊紙的技巧,王旭昇的回答一向乾脆,但也補充強調:「簡單,但不馬虎,做到『生動』,就是訣竅。」

在王旭昇看來,「生動」的糊紙,跨過了「工」的門檻,進到了「藝」的層次。他認為,糊紙要能成為一門藝術,藝師製作過程必須具備至少三種能力的加總,分別是:敏銳的觀察力、舉一反三的領悟力,以及在製作過程中,跟時間拔河的耐力。

這些聽起來不難,但實際做起來,糊紙這門民間工藝,可一點都不簡單。

千年之藝

漢代蔡倫造紙,先有紙的發明,後續才逐漸發展出紙的應用。台灣民間所說的「糊紙」,中國大陸稱為「紙紮」,作為一門民間工藝,有其民俗文化的典故。糊紙業者普遍認為,唐太宗李世民是紙錢及糊紙工藝的祖師爺。

民間相傳,唐太宗曾經重度昏迷、不省人事,他的魂魄下到了陰曹地府。在那看到孤魂野鬼的唐太宗因而心生悲憫,決定賜給他們一庫黃金。回陽清醒後,他履行承諾,下詔為陰間亡魂製燒金銀紙錢,並令匠師以竹為構,其外以紙糊貼做成紙厝,為孤魂野鬼舉行普渡。

除唐太宗李世民外,另有糊紙業者奉「仲慶仙師」與「長城仙師」為行業祖神。雖然這兩位「仙師」的真實身分不明,但業者大多相信糊紙始於一千多年前的唐代,而且這門工藝和行業的存在目的,緊扣著厚葬亡靈的漢人宗教觀。

因此,糊紙一開始就只用於喪葬儀式。例如,北宋時期,糊紙店被稱為「紙馬舖」,專賣紙人、紙馬、紙厝等喪儀用品;糊紙匠則被稱為「打紙作」或「冥器作」。慢慢發展下來,糊紙這門竹、紙技藝,亦被用於喪葬之外的民俗節日或生活儀式,製作花燈、紙箏、彩門、匾額等品項。宋朝孟元老所著《東京夢華錄》一書,即曾記載「紙糊百戲人物,懸於竿上,風動宛若飛仙」的元宵慶典場景。

「我們家以前也是婚喪喜慶全包。」王旭昇記得自己剛上小學,課後跟在父親王宗田身邊糊紙時,家裡生意興隆的景象。

工藝傳家

澎湖馬公王家三代工藝相傳,從祖父王虞傳給父親王宗田,再傳至王旭昇這一輩。

王虞早年在馬公從事魚鉤與糊紙行業,當時澎湖幾乎每戶人家都會造船,因此王虞除了糊紙賺錢持家之外,也接受廟宇委託製作木造王船。

王虞過世後,由兒子王宗田接棒。民國4年出生、6歲跟著父親學糊紙的王宗田,14歲開始學造王船;他日後接下家業,同時也延續了王虞傳下的糊紙與造王船「家藝」。

王宗田婚後與妻子育有1女、4子,孩子們跟爸爸一樣,從小就開始學糊紙。當時以道教為主的民間宗教仍為百姓生活的信仰依歸,歲時節慶、生命禮俗皆須進行法會儀式,因此廟宇對糊紙的需求極大,法會開始前三個月至半年就得發包給師傅承製。接獲廟方訂單後,王宗田會在4個男孩中,挑選幫手,一起住進廟裡,「閉關」製作法會所需的糊紙。當時最常被父親帶在身邊的,就是老么王旭昇。

高中畢業、服完兵役後,王旭昇一度待在台北從事廣告業。後因城市生活開銷太大,且不適應緊湊的生活節奏,他回到了澎湖,30歲之前,就跟著父親王宗田四處承接糊紙生意。

即使婚後有長達12年的時間轉行從事鋁窗業,但王旭昇並沒有切斷與糊紙的連結,每當父親需要幫手,他就回家支援。「糊紙這東西,學過就不會忘記。」王旭昇用台語表示:「『老人工、加減賺』,這行業就是這樣。」

紙、布皆可入藝

竹材是糊紙的骨幹,依照物件量體的大小,用到的骨材小至竹篾、竹片,大至竹竿;骨幹搭起後,外觀的覆料就以紙材為主,依照物件的特質,選用不同的紙料。王旭昇舉例說,玻璃紙通常用來製作花燈;月曆紙、銅版紙捲成筒狀,可作人偶的四肢;搓揉過的日曆紙攤開後,紙質膨鬆、富彈性,非常適合墊在骨架縫隙內,當作肌肉。

此外,舉凡道林紙、白報紙、板金紙、板銀紙等,都是糊紙常用的紙材,唯報紙例外。「報紙上有寫字,我們不太使用,算是對夫子表示尊敬。」王旭昇說,若非用不可,頂多撕下報紙角落空白處,充作結構裡的小肌肉。

然而,如果只是一味以紙材包裝外觀,作品將會流於單調。王旭昇表示,糊紙藝師除了要會紮竹篾、會畫圖之外,還得要會縫、會編織,因為糊紙過程中,偶爾也會用到布料、亮片等其他材料。

一般而言,糊紙行業與道教法事和喪葬儀式息息相關,但王家早期各種糊紙都做,婚喪喜慶、無所不包。舉喜事為例,王旭昇指著家中一尊已有一百多年歷史、由祖父王虞所做的「狸貓換太子」糊紙表示,以前的富有人家,常會要求訂做含有吉祥或祝福意涵的人偶,造型大多仿照「八仙過海」等廟宇牆上刻畫的歷史故事或神話人物。

現代糊紙的荒謬劇

不過,難抵時代潮流的變化,糊紙市場急遽萎縮,王家的糊紙傳到王旭昇這一代,製作項目僅以宮廟的道教科儀祭祀糊紙為大宗,用於道場、法事及拔渡儀式。

王旭昇5月才剛接受馬公北極殿的委託,為道場建醮糊紙。他表示,「三官亭」是建醮常見的糊紙,內部供奉三官大帝(天官、地官、水官);醮場安全則由四大元帥的虎、豹、獅、象坐騎加以保護。此外,俗稱「普渡公」、頭頂站著一尊觀音的「大士爺」,也是普渡場合不可或缺的糊紙。

法事儀式通常是為了消災解厄、打通人生關卡,常見的糊紙包括「小兒關」、「太歲關」、「五鬼關」、「白虎關」等。

而俗稱「做功德」的拔渡,則是為超渡亡魂所辦的科儀,使用的糊紙包括紙城(象徵枉死城)、金山銀山、更衣山(提供孤魂野鬼更衣打扮)、(用以牽引亡魂至陰間,溺斃者用「水」,死於血光之災者用「血」)等。

這些道教儀式若以進行一個月的規模來算,用到的糊紙約需兩、三百件。王旭昇表示,糊紙行業風光的時期,西嶼鄉七月普渡,從西嶼本島北部的合界村到最南的外鞍村,都由王家的糊紙包辦。

然而,身為王家糊紙的掌門人,王旭昇感受最深的,恐怕是喪俗的改變對糊紙業的衝擊。

新風吹舊俗

王旭昇舉例說,三、四十年前喪家辦喪事,必備在棺木內放置俗稱「過山轎」或「燒魂轎」的紙轎子,供亡靈乘往冥界,但現在已很少有人遵從這些風俗。王旭昇認為,自從葬儀社在台灣社會興起後,喪葬文化起了很大的變化。

「以前喪家從親人死亡開始算起,出殯回來還得守孝3年,才把配合喪儀製作的糊紙燒掉;現在,送葬完就除孝,脫掉喪服,就全部結束了。」

「以前嘛,時間就是磨練;現在嘛,時間就是金錢。」王旭昇見證了糊紙工藝由盛轉衰,也見證了台灣社會民俗文化的變遷。

其實,糊紙作為象徵人、鬼之間的溝通介面,承載著尊敬、恐懼等人類矛盾的心理;王旭昇從小跟著家人從事這一行,內心也曾極度抗拒,甚至羞於向外人提及。「這行業跟喪事、道士連在一起,老實講,小時候我根本沒興趣。」他說。

幸好因為「看不下去」4個字,王旭昇最終沒有成為糊紙的逃兵。

在傳統之中登峰造極

五十多年來,糊紙伴隨王旭昇長成,他心裡對它有著複雜的情緒。「我們看別人做,也會感嘆『怎麼差那麼多』!傳統的方式都被改變了,我們也很無奈。」

「以前的喪家希望我們糊紙厝、紙廟,後來的人竟要求我們做出公寓或大樓。」王旭昇用「堅持」抵擋傳統的流失,堅持不接殯葬業者的案子,也不承做背離傳統的糊紙。「四四方方的現代房子太容易做了,頂多只是內部加上樓梯。」他說,造型的變化不是重點,他在乎的是技藝和藝師精神的流失。

而所謂藝師的精神,王旭昇認為就是追求「精緻」。他說,跟父、祖輩相比,現代人可以買到更好、更方便的材料,也擁有更多的物質條件可以做到精緻,但唯一欠缺的,就是願意細工慢做的耐心跟時間。

譬如,做人偶的鬍子,有些人是剪張黑紙貼在鼻子下方,看上去就是一張黑紙。王旭昇拒絕如此隨波逐流,他說,即便改用塑膠繩抽絲,也要做出跟古法以棉線或細麻繩塞進糊紙後,鬍鬚呈現絲絲分明的效果。

「糊紙工藝並沒有消失,也不會消失,只是工法跟以前不一樣了。」王旭昇看到糊紙的過去,也正經歷它的現在,他相信,糊紙的未來,存乎一「心」──

「糊紙很容易,結構紮好後,後續就看你的藝術價值觀在哪。藝術價值觀多高,這門工藝的價值就有多高。」王旭昇強調。

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葬儀用の張り子を芸術の域に高める――王旭昇

文・朱立群 写真・荘坤儒

彼は一工程ごとに神経を集中し、紙の家の窓や屋根瓦、人形の顔の髭一筋まで、工程の細部も丁寧に仕上げる。これが職人の精神で、三代続く糊紙(張り子)職人の意地である。


「簡単なんですよ、本当に」と、張り子の技術を聞かれるたびに王旭昇はきっぱりと答え、さらに「簡単ですが手を抜けず、生き生きしていることが大切です」と続ける。

王旭昇の言う生き生きした張り子とは、工の段階を越えて、芸の域に達したものである。張り子が芸の域に達するには、職人に三種の能力が備わっていなければならない。それは鋭敏な観察力、一を聞いて十を知る理解力と、製作過程における時間との競争に耐えうる忍耐力である。

こう聞けば簡単そうだが、実際に手を付けてみると、張り子という民間工芸は少しも簡単ではないことがわかる。

千年の歴史ある工芸

漢代に蔡倫が紙を発明してから、紙の応用技術が発展してきた。台湾では糊紙と言うが、中国大陸では紙紮と呼ぶ工芸で、長い歴史を有する。歴史を有するだけに、その由来も簡単ではない。多くの糊紙職人は、唐の太宗李世民が紙銭と糊紙工芸の祖と信じている。

これによると、唐太宗はある時、昏倒し意識を失って魂魄が冥府に下りて行ったという。そこで太宗は祀る人もない成仏できない亡者を目にして、これを憐れみ黄金を賜ることにした。意識を取り戻してからその約束を実行するため、冥府の亡者に金銀紙銭を焼いて送り、また職人に竹で軸を作り紙を糊で貼り付けた紙の家を作らせ、亡者の供養とした。

唐太宗を祖と崇める一派もいれば、仲慶仙師と長城仙師を職業神に祭る一派もいる。この二人の仙師の由来ははっきりしていないが、多くは千年余り前の唐代に始まると信じられている。そしてこの工芸の存在目的は、手厚く死者を葬る漢人の宗教観と密接に結びついているのである。

このために、糊紙の始まりは葬送の儀式用だった。北宋時期の糊紙の店は紙馬舗と呼ばれ、紙の人形、紙の馬、紙の家など葬儀用品を取り扱い、職人は「冥器(あの世の用品)作り」などと呼ばれた。時代が下ると、竹と紙の工芸品として灯籠、凧や額や飾り門などを製作し、祭りや儀式にも用いられた。宋代孟元老の『東京夢華録』には「紙で百戯の人物を糊して竿上に懸けると、風で飛仙の如く動く」と、旧正月15日の元宵節の情景を記している。

「うちでも冠婚葬祭すべて扱っていました」と小学校に上がったばかりで家業が盛んであった頃、授業が終わると父の王宗田について糊紙を学んでいた王旭昇は話す。

代々受け継ぐ工芸

澎湖馬公の王家は三代続く工芸職人で、祖父王虞から父の王宗田、そして王旭昇と続く。王虞は馬公で釣針と糊紙の製作を行っていた。当時の澎湖では、どの家でも釣り船を作っていて、王虞も糊紙に加え、廟から木造の王船(儀式用の船)製作を請け負っていた。

王虞の没後、息子の王宗田が跡を継いだ。王宗田は1915年生れで、6歳から父について糊紙製作を学び、14歳で王船製作を始め、家業を継いでからは、王虞の糊紙と王船製作の技術を二つながら受け継いだのである。

王宗田は結婚後に四男一女をもうけ、子供たちも父と同じく幼いころから糊紙を学んだ。当時は道教を主とした民間信仰が庶民の生活を支えていたため、節季毎の祭りや冠婚葬祭に道教の儀式が欠かせず、廟にあっても糊紙の需要が大きかった。法会儀式が始まる3か月から半年前には、糊紙が発注されて、廟から発注があると、王宗田は息子の一人を助手に選び廟に泊まり込んだ。中でも、末っ子の王旭昇を助手に指名することが多かったのである。

高校を卒業し兵役を終えると、王旭昇は台北で就職したが、都会の生活は支出がかさみ、忙しない生活にも適応できず、澎湖に戻ることにした。30歳前には、父に従って糊紙を始めた。

結婚してから12年もの間、糊紙ではなくアルミサッシの商売に転業していたが、糊紙から離れたわけではなく、父が忙しいときは手伝っていた。「糊紙は覚えれば忘れるものではないし、年寄りの手間賃仕事ですよ」と王旭昇は言う。

紙、布と材料は様々

作る物の大小により、竹べらから竹竿までの大きさから選んで骨格を作る。骨格ができると、外観は紙を貼り付けるが、紙素材もさまざまである。提灯にはセロファンが使われ、カレンダーやアートペーパーは筒状にして人形の四肢に使う。日めくりの紙は揉んで裂くと、弾力性があり膨らむので、骨格の隙間の詰め物に使える。

これ以外にもアートペーパー、ポスターやフォイルなどがよく使われるが新聞紙は使わない。文字があるので学問への尊敬から使わないのだが、やむを得ない場合は、字のあるところを避けて角の白いところを詰め物にする。

糊紙と言っても、紙だけでは単調になるので、職人は竹を組み、模様を描くだけではなく、布やスパンコールなどを使うため縫ったり編んだりもできなければならない。

一般的には、糊紙は道教の法事や葬儀に関係が深いが、王家では昔から道教以外の各種の糊紙も製作し、冠婚葬祭などなんでも取り扱っていた。王家には、祖父の王虞が百年余り前に製作した糊紙作品で、芝居「狸猫の太子取り換え」の人形が残されている。昔のお金持ちは、めでたいお祝いの意味を込めた人形を注文することが多く、その造形は「八仙過海」などの伝説の人物や物語からとったものが多かった。

法事用の現代糊紙

しかし、時代の流れには逆らえず、糊紙は急速に廃れ、王家の糊紙も王旭昇の代になって、道教の儀式や法事用に限られるようになった。

5月には馬公の北極殿の注文で、お堂の儀式装飾を作ることになった。こういった場合、天官、地官、水官の三官大帝を奉じた三官亭を作り、これに虎、豹、獅子、象に乗った四大元帥が守護神につく。お盆に亡者を成仏させるためには、俗に普渡公という観音様を頭に乗せた大士爺の張り子が欠かせない。

一般の法会の儀式は厄除けや人生の山を乗り越えるのが目的なので、「小児関(子供の厄除け)」「太歳関」「五鬼関」「白虎関」などの糊紙人形がよく使われる。

お盆の時期に亡者を成仏させる抜渡の儀式に使う張り子は、紙城(非業の死を象徴)、金山銀山、更衣山(亡者の着換えの場)に、亡者を載せる車(溺死者用の水輿、非業の死の場合は血の輿など)が作られる。

こういった道教の儀式は、お盆の1か月の期間で計算すると、二、三百点の張り子を必要とする。糊紙が盛んだった時期には、お盆になると、王家が西嶼本島北部から最南部までの張り子を一手に引き受けていたという。

民間習俗の変化と伝統の継承

しかし、王家の糊紙の継承者として、一番感じるのは葬式の変化である。40年ほど前なら、お弔いの家では、死者が冥府に行くための紙の輿を棺に入れたが、今ではそれもほとんどなくなった。専門の葬儀社が一般的になり、葬送の文化も変わった。以前は家族が亡くなった日から数え、出棺しても3年は喪に服し、それから張り子を焼いたが、今では葬儀が終わると喪服を脱いで終わりである。「かつては時間をかけましたが、今では時は金なりです」と、王旭昇は糊紙工芸の栄枯と、台湾社会の風俗習慣の変化を見つめる。

糊紙は生者と死者を繋ぎ、恐れや尊敬などの心理を反映する。小さい頃からこの仕事を見てきた王旭昇は、一度は嫌だと思ったこともあった。「この稼業は葬式や道教との関係が深く、小さい頃は興味が持てませんでした」と話す。

それでもこの50年を糊紙と過ごし、糊紙に対する複雑な気持ちが続ける動機でもあった。それは、ほかの職人の仕事を目にし、なぜこれほど伝統からかけ離れて行くのか、伝統的な手法が変わっていくことへの疑問からである。

「昔は弔いに紙の屋敷や廟を注文したのですが今ではマンションやビルです。四角い現代の家はせいぜい階段を付けるぐらいで簡単ですが」と話す王旭昇は葬儀社が持ち込む注文を受けず、伝統から乖離した糊紙は作らない。形が変わるのがいけないのではなく、技術や職人の精神が失われることを恐れるのである。

職人の精神というと、それは精緻さの追求なのだと王旭昇は考える。父や祖父の時代と比べると、現代ではよりよく、より便利な素材が手に入る。さらによりよい物質的条件が整っているが、唯一欠けているのが、丁寧に時間をかけて仕上げる忍耐と時間なのである。

たとえば、人形に髭を付けるのでも、人によっては黒い紙を切って鼻の下につけるだけで、どう見ても黒い紙にしか見えない。王旭昇はこんな流れに逆らい、素材はプラスチック繊維に代えたとしても、木綿糸や細い麻縄をほぐして糊紙に詰めた古法に倣い、髭を一本一本表現したのと同じ効果を上げようとする。

「糊紙工芸は消えていませんし、これから消えることもありません。ただ、工法が変わっただけです」と王旭昇は糊紙の過去を見つめ、現在を身をもって過ごし、未来は、その精神にかかっていると信じる。

「糊紙は簡単です。構造をきちんと作れば、その後は芸術的価値観次第です。その芸術的価値観を高めていけば、この工芸の価値も高まるでしょう」と王旭昇は語る。

Wang Hsu-sheng: Making Art from Funeral Customs

Sam Ju /photos courtesy of Chuang Kung-ju /tr. by Scott Williams

Wang Hsu-­sheng is a meticulous craftsman, one whose every action, whether placing window frames and tiles within his architectural creations or crafting facial hair for his human figures, is guided by the care, knowledge and experience of a third-generation papier mâché master.


Wang Hsu-­sheng’s usual response to questions about his papier mâché technique is: “It’s simple. Really, ­really simple.” Then he clarifies: “Simple, but not slapdash. There’s a trick to making it lifelike.” 

Wang believes that “lifelike” papier mâché can transcend mere craft and become art, and that would-be papier mâché artists must, at the very least, have a good eye, a perceptive mind, and patience.

While that may not sound like much in principle, this folk art is far from simple in practice.

An ancient art

China began developing uses for paper soon after its Han-Dynasty invention, traditionally attributed to Cai Lun. Papier mâché artisans credit the Emperor Tai­zong with creating both paper money and papier mâché during his Tang-Dynasty reign. In spite of its lofty origins, papier mâché, known as hu­zhi in Taiwan and ­zhiza in mainland China, is a folk handicraft with deep connections to folk culture. 

Legend says that on one occasion Emperor Tai­zong fell into a deep sleep, during which his spirit traveled to the under­world. Moved to compassion by the sight of the lonely, wandering ghosts, he resolved to give them a warehouse full of gold. On returning to the living world, the emperor fulfilled his promise by ordering that “ghost money” be burned on behalf of the dead, and that additional offerings be crafted for them by pasting paper atop bamboo frames.

Although papier mâché has its roots in these ceremonies for the dead, this bamboo-and-paper art slowly extended into other areas, with some of its techniques being applied to create objects used in folk festivals and everyday life, everything from paper lanterns and kites to brilliant ceremonial gateways and even plaques.

A handicrafts master

The Wang family of Ma­gong, ­Penghu, have been papier mâché artisans for three generations. Their craftwork began with Wang Yu, who passed his knowledge on to his son Wang Zong­tian, who in turn passed it on to his own children, including Wang Hsu-­sheng.

Zong­tian and his wife had five children, four boys and one girl. Like their father before them, the kids began studying papier mâché while still quite young. In those days, Daoist folk religion was still supported by the faith of ordinary people. Daoist temples required large numbers of papier-mâché objects for the rituals associated with seasonal festivals and other customs, and they would typically place their orders with artisans three to six months in advance. When Zongtian received such a commission, he would choose a son to help with the work, then sequester himself and that son in the temple until the project was complete.

As the most frequently selected son, Hsu-­sheng traveled all over Taiwan with his father, working on papier mâché projects with him until he was 30. Hsu-­sheng retained his connection to papier mâché even after marrying and going into the aluminum window business for 12 years, returning home to lend a hand whenever his father needed help. “Once you learn papier mâché, you never forget it,” says Wang. “They say ‘old people work for little money.’ It’s that kind of trade.”

Paper or fabric

Bamboo provides the skeleton for Taiwanese-style papier mâché. Depending on the size of the sculpture, the bamboo used to frame it can range from wicker-like strips and slats to full poles. Artisans usually flesh out the bamboo skeleton with paper, but the kind they use can vary depending on the nature of the sculpture. Wang explains that cellophane is often used for lanterns; matte and glossy papers are often rolled into tubes for the arms of sculptures; and onionskin that has been crumpled then flattened has a looser, more elastic character that makes it a good cushion for the gaps between a sculpture’s “bones.”

Wang also frequently makes use of ordinary wood-free paper, poster paper, and foil. The only paper he doesn’t use is newsprint, out of respect for the text printed on it.

Wang thinks papier mâché made with only a single type of paper looks bland. Noting that artisans sometimes need to work with fabrics and sequins, he says they should be able to sew and weave as well as carpenter and paint.

Though the field is closely connected to Daoist and funerary rituals, the Wang family have long made papier mâché for all occasions, everything from weddings to funerals. Wang says that in the old days, wealthy individuals often used to hire papier mâché artisans to sculpt personages associated with good fortune, the kind of historical or mythical figures that you’d typically find carved into a temple wall.

Modern papier mâché

But changing times brought on a rapid contraction in the papier mâché market. Nowadays, the bulk of Wang Hsu-­sheng’s work consists of making ritual objects for Daoist ceremonies.

Wang says that papier mâché figures of the “three officials,” those of the air, earth and water, are common during offerings at Daoist temples. He notes further that the mounts of the “four great marshals”—a tiger, a leopard, a lion, and an elephant—are often used to protect offering places, and that a papier-mâché Pudu Gong (“the lord of crossing over”), who manifests with a small Guan­yin figure standing on his head, is obligatory as well.

Since ceremonies usually exist to ward off calamities or evil, or help people through crises, they often include papier-mâché depictions of the types of misfortunes they are intended to ward against, such as those involving children, Tai Sui (the god of the year), funerals, or accidental injury. By burning the symbol of a potential misfortune, the ceremony protects against its occurrence.

The funeral ritual known colloquially as the “rite of merit” is conducted to help departed souls be reborn. It uses a papier mâché edifice (representing the Fortress of the Unjustly Dead), a gold mountain, a silver mountain, a “clothes changing mountain” (which provides the soul with a place to get properly dressed and made up), and a zhuang (a ritual vessel that guides the soul to Hell). The type of zhuang is related to the manner of the soul’s passing. For example, a “water zhuang” is used for persons who drowned, while a “blood zhuang” is used for those who were murdered.

Wang Hsu-­sheng says that a month-long Daoist ceremony makes use of roughly 200 to 300 papier mâché objects. Back in the industry’s heyday, the Wang family produced every papier mâché object used in Xiyu Township’s pudu ceremony, which involves making ritual offerings to the dead, and is held in the seventh lunar month (known as Ghost Month in Taiwan).

As the current head of the family’s papier mâché business, Wang is keenly aware of the impact of changes to funerary customs on the industry. 

Swept aside

He explains that 30 or 40 years ago, the family of the deceased would always make arrangements for a papier-mâché sedan chair to be placed in the coffin to provide the departed soul with passage into the land of the dead. “With all the changes to customs, you rarely see that kind of thing any more.”

Wang says that the rise of funeral homes three or four decades ago triggered a major transformation in Taiwan’s funeral customs.

“In the past, the family of the deceased would spend three years in mourning before finally burning the papier-mâché objects produced for the funeral ceremonies. Now, mourning ends with the funeral procession. Everyone takes off their mourning garb and that’s the end of it,” says Wang, who has personally witnessed the transformation in Taiwanese funeral traditions and the concurrent rise and fall of Taiwanese papier mâché handicrafts.

Papier-mâché funeral objects function as a symbolic interface between the human and ghostly planes. But Wang kept his distance from that side of it as a youngster working with his father. “The business is closely linked to funerals and Daoism. But, honestly, I had no interest in any of that when I was younger.”

Fortunately, Wang couldn’t bear to see the craft disappear, and remained active in the field.

Taking tradition to new heights

But, having grown up with papier mâché and having had it in his life for more than 50 years, his feelings about it are complicated. “When we see someone else doing it, we’re appalled by their lack of technique. We’re also saddened by the changes to the traditional methods.”

Seeking to stem the loss of traditions, Wang refuses to take projects from the funeral industry or make non-traditional papier mâchés.

He says that while artisans nowadays have access to better and more easily worked materials than they did in the old days, not to mention materials that allow finer work, what they lack are the time and patience to work slowly and meticulously.

Some cut corners by attaching strips of black paper below the nose to create “facial hair” on human figures. Wang says this kind of “hair” looks like nothing more than a bit of black paper. He rejects this modern convention, instead using cotton thread or hemp rope fiber, as they did on the old days, or even plastic rope fibers, to create “hairy” looking facial hair.

“Papier mâché crafts haven’t disappeared, and they won’t. But the techniques are different than they used to be.” Having experienced the art’s past and present, Wang believes that its future is in the “mind”: “Papier mâché is easy to make. Once you’ve built the frame, it comes down to your artistic standards. If our craft is to have high artistic standards, our artisans have to have them, too.”

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