風味:水地風光 人曬鹽

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2016 / 9月

文‧鄧慧純 圖‧林格立


小心翼翼地從結晶池中捧起浮在鹵水上、薄如紙片的鹽花,嘉義縣布袋嘴文化協會總幹事蔡炅樵說,這是春、夏兩季才有的「鹽花」。清晨,結晶池的表面最早接觸風與陽光,熱度夠了,表層先結晶,形成略呈三角錐狀的薄片結晶體。鹽花的結晶時間短,內裡水分較多,看起來白白糊糊的。冬天的鹽則稱為「霜鹽」,因為溫度低、日照短,結晶速度比較慢,結晶體晶瑩剔透,礦物質比較多。


「不同季節曬出來的鹽,風味都不一樣。」蔡炅樵說。自2008年投入洲南鹽場復曬的志業後,已經9年了,洲南鹽場不僅僅可曬出高品質的鹽,更以曬出台灣特有的風味鹽為目標,讓鹽的風味進到我們日常生活中,使家中的廚房多一種鹽的選擇,成為不可或缺的最佳配角。

鹽田復曬

位於嘉義縣布袋鎮的洲南鹽場,闢建於1824年,自清朝以降即是台灣重要的鹽場,1960~1970年是洲南鹽場天日曬鹽(靠陽光及風力蒸發濃縮海水進而結晶產鹽的方式)的高峰期,鹽場的員工就有一、兩千人。但台鹽實業股份有限公司在經濟成本的考量下,於2001年廢曬,也為台灣天日曬鹽的「白金歲月」劃上休止符。

雖說是句點,但結束的是「產業鹽」的歷史,「文化鹽」的概念在文化觀光脈絡下新生了。自2003年起,在發展文化觀光及地方文化社團的驅動下,台灣本島多處鹽田進行復曬,包括台南市北門區的井仔腳鹽田、舊埕鹽田、安南區的南寮鹽田、七股區的樂活村鹽田及嘉義布袋的洲南鹽場。

2008年,荒廢了7年之久的洲南鹽場,在布袋嘴文化協會認養下復曬了。當中主要的推手布袋子弟蔡炅樵,鹽田是他小時候的遊樂場;人離開了,大自然就回來了,洲南鹽場這方天地成了野鳥、魚群的樂園。遇大雨就成了水塭,夏日不雨,土地則乾旱龜裂。土壤的縫隙鬆大,蓄不住海水,原有鹽田的土堤結構都崩壞了。

面對此情此景,蔡炅樵只能和老鹽工拉起衣袖、捲起褲管,依循傳統工法整建鹽田、水道與土堤。因為鹽田受日曬雨淋土質淡化了,所以跟台鹽買了三百噸的鹽,重新撒回土裡,再把土地醃鹹。花了3年的時間,讓鹽場成為適合產曬的鹽田。

產曬方程式

天日曬鹽可分為兩個階段:「蒸發」和「結晶」。海水的鹽度約波美3度(波美為化學工業中表示溶液濃度的單位),即是每1公升的海水裡約有30公克的鹽。當海水的鹽度濃縮到25~29度時,鹽(氯化鈉)便可結晶出來。

原理看似很簡單,就是引入海水,讓海水在蒸發池中曝曬,因水分蒸發,而增加鹽度。若遇夏日多雨時期,要短期搶曬鹽,更考驗著鹽工調度鹵水的技術。鹵水曝曬的過程中若下起大雨,鹵水的濃度被稀釋,就得再導回前個階段,重新曬水。

當鹵水的鹽度升高到波美25度時,就可集中到鹵缸裡儲存。鹵缸又被稱為鹵水銀行,曬鹽時就是將鹵水導入結晶池結晶成鹽。通常冬天曬鹽結晶時間較長,約需三個星期,春夏兩季則一周即可。

蔡炅樵將上述天日曬鹽的方程式歸結為:(海水+土地+季風+陽光)×人=鹽。再將鹽田產曬的核心價值轉化為「水地風光人曬鹽」的七字訣,天日曬鹽就是這7字的交互作用。

鹽是人與環境合作的結晶

其實台灣氣候多雨潮溼,並不適合曬鹽,是先人的智慧與經驗,學習與環境合作,發展出適當的技術,而成就了台灣長達338年「天日曬鹽」的歷史。

老鹽工說:「曬鹽先曬水,曬水先曬土。」先民設計鹽田時,利用潮汐引入海水,再巧妙的利用地勢的高低,將鹵水順勢引流入每一格鹽田。蔡炅樵於環境教育導覽時,會請學員折一艘紙船,把紙船放入水道中,就知道鹽工如何調度鹵水。

水有比重的問題,較鹹的水會下沉,所以鹵缸中鹵水會沉在下面。若有淡水混進去時,也不會被稀釋,而是分成上下兩層。

洲南鹽場採用瓦盤鹽田,在鹽田底鋪瓦片,一來阻隔泥土,收成的鹽比較潔白乾淨,二來瓦片上的釉藥可吸收陽光短波,增加熱能,加快結晶速度。

復曬以來,以人工重新整闢了近兩公頃的鹽田工作區,其餘的18公頃則與廢曬時土地的新客人,如高蹺鴴、白鷺鷥、吳郭魚等共處共享,保育生態的多樣風貌。鹽田中的一景一物,隨時都可見先民利用自然、適應環境的智慧。

以「技術」較勁

昔日天日曬鹽強調的是產量與品質,一等鹽的標準是氯化鈉純度達到90%以上、水分7%以下、雜質3%以下。而在「文化鹽」的脈絡下講求的是對鹽業文化多元的詮釋;於此,洲南鹽場選擇以「鹽的風味」來較勁。

鹽工可藉由管控鹵水的濃度,控制鹽品裡的礦物質成分多寡,產曬出各種不同風味的鹽品。舉例來說,海水中的礦物質「鐵」約在波美5~10度被沉澱,「含水硫酸鈣」在波美10~20度時會結晶出來,波美28~29度的鹵水裡「鎂」的含量較高。礦物質會造成鹽品口感上的差異,蔡炅樵舉例說,鈣帶點甜甜的澀味,鎂有一點的苦味,鐵跟鉀有一點的酸味,烹調時藉此味覺上微妙的差異,尋找匹配的食材,創作料理。

為了曬出不同風味的鹽,蔡炅樵貼身跟著老鹽工學習已銘刻在他們身體裡的本領。「水地風光人曬鹽」的口號絕非如此簡單,乃是技術的對決。他製作鹽的生產履歷,像做實驗一樣記錄著每批鹽日曬期間的溫度、溼度、雨量等數據,把這些內隱知識全數吸收。

日前,洲南鹽場的鹽花與台中宮原眼科合作製作了三款成品,包括巧克力和餅乾。而與台灣森永製菓股份有限公司合作的「日曬鹽牛奶糖」也在各大通路上架。他還衍生子午水的概念,收成端午節中午的鹽花製成「子午鹽」,可避邪。

喜孜孜的,蔡炅樵拿出一批今年6月8日下午採收的鹽花,他說,鹽花採收時,結晶體在蒸發池上反射著陽光閃閃發光,紋路美極了,他為這款鹽命名為「夏日午後三點」,希望能與有緣的餐廳合作,開發特色料理。

曬出台灣的風味鹽

明年將迎來洲南鹽場復曬的第十年了,蔡炅樵說,當初土地公給洲南鹽場出的三張試卷:如何以傳統工法順利整建鹽田?如何在整建中平衡兼顧產曬與生態環境?如何創造自己的獨特風格?

第一份試卷已在2014年鹽場所推出的「鹽花」、「霜鹽」等產品得到解答。

第二份試卷,蔡炅樵笑著指向遠方說,那隻穿著白色襯衫、黑色西裝外套,腳踩紅色馬靴高蹺鴴是來打卡的。這就是鹽田與生態共生的最佳例證。

第三份試卷呢?曬出台灣的風味鹽是洲南鹽場未來10年的課題,蔡炅樵說。他要將洲南產曬的鹽品推廣到國際鹽品市場上,和各國的廚師較勁,激盪出適合使用台灣風味鹽的料理,代表台灣鹽業文化迎向全世界。

「水地風光人曬鹽」不只是天日產曬的核心價值,當我們回首這個幾乎已在台灣消失的傳統產業時,鹽田復曬的意義不只是文化資產的保存,更是讓後世了解先民適應環境、研究適當技術、與自然共存的精神。

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海水、土地、風、陽光—— 天日干しで生まれる独特の風味

文・鄧慧純 写真・林格立 翻訳・松本 幸子

結晶池の鹹水に浮かぶ、花びらのような塩の結晶をそっとすくい上げ、嘉義県布袋嘴文化協会総幹事の蔡炅樵は、これは春と夏だけにできる「塩の花」だと教えてくれた。早朝、結晶池の表面に風や日差しが当たって温まると、表面から次第に三角錐型の薄い結晶ができていく。塩の花はできるまでの時間が短いので、水分を多く含み、白く濁っている。一方、冬にできる結晶は「霜の塩」と呼ばれ、低温で日照時間も短いので時間がかかるため、透明でミネラルを多く含む。


「作られた季節によって、塩の味は違います」と言う蔡حR>ەは、洲南塩場の再開に2008年から携わってすでに9年になる。洲南塩場の塩は品質が高いだけでなく、さらなる目標は台湾独特の味を出すことだ。台所に欠かせない調味料である塩に、もう一つ選択肢を増やそうというのだ。

塩田の再開

嘉義県布袋鎮にある洲南塩場は、清の時代の1824年に作られ、以降、台湾の重要な製塩場であり続けた。19601970年は天日干し(陽光と風で海水を蒸発させ塩の結晶を作る方法)の最盛期で、塩場では2000人もの人が働いていた。だが、コストなどを考え、台塩実業は2001年に塩場を閉鎖、それはまた、台湾における塩田の黄金期の終結でもあった。

「終結」とは言っても、それは産業としての天日干しのことであり、文化観光産業の下では新たに生まれ変わった。文化観光と地方文化の発展に伴い、2003年からあちこちで塩田が復活したのだ。台南市では、北門区の井仔脚塩田、旧رL塩田、安南区の南寮塩田、七股区の楽活村塩田、そして嘉義布袋の洲南塩場などがある。

7年間放置されていた洲南塩場は、2008年に布袋嘴文化協会によって再開された。中心人物は、布袋で生まれ育ち、塩田が幼い頃の遊び場だったという蔡炅樵だ。人が消えると自然が戻る。洲南塩場も野鳥や魚たちの楽園と化していた。大雨が降ると水がたまるが、夏は地面がひび割れ、ゆるくなった土壌に海水を貯めることは不可能で、塩田の堤も崩れてしまっていた。

このような状況に直面した蔡炅樵は、昔の塩田作業員たちとともに塩田に入り、水路や堤を作り直すことから始めた。長年の放置で土質の希薄化が進んでいたので、台塩実業から300トンの塩を購入して土壌にまいた。こうして3年間かけて、塩田の機能を取り戻したのである。

天日干しの方程式

塩の天日干しは、「蒸発」と「結晶」の2段階に分かれる。海水の塩分濃度はボーメ度3(ボーメ度は化学工業で溶液濃度を表す単位)、つまり1リットルの海水には約30グラムの塩が含まれる。海水の塩分濃度が2529度にまで濃縮されると、塩(塩化ナトリウム)の結晶となる。

海水を蒸発させて塩分濃度を高める。原理は簡単なようだが、夏に雨が多かったり、短時間で塩を作る必要があると、鹹水の濃度調整が難しくなる。もし日干しの際に大雨が降ると、その前段階からやり直しだ。

鹹水の塩分がボーメ度25になると、鹹水槽に集められる。「鹹水銀行」とも呼ばれる鹹水槽は鹹水を貯めておく所で、それらを結晶池に入れて日干しし、塩の結晶を作る。通常、結晶ができるには冬は約3週間と長め、春夏は1週間かかる。

蔡炅樵は天日干しを「(海水+土地+風+陽光)×人=塩」という方程式にした。そして重要な要素を「水地風光人日塩」の7文字にまとめた。天日干しはこの7つの相互作用からなる。

人と環境のコラボ

多雨多湿の台湾は、実は天日干しには適さないが、人の知恵と経験によって環境と折り合いをつけながら技を生み出し、338年に及ぶ台湾の天日干し塩の歴史を作り上げた。

古くから塩田で働いていた人は「塩造りはまず水造り、水造りはまず土造り」と言う。昔の人の塩田設計は、潮の満ち引きを利用して海水を引き入れ、次は地勢の高低を利用し、区分けされた塩田の一つ一つに鹹水を引き入れた。見学者向けのガイドを務める際、蔡炅樵は見学者に紙で船を折ってもらい、それを水路に浮かべてみる。鹹水を引き入れる伝統の技がわかるからだ。

比重によって塩分の濃い水ほど沈むので、鹹水槽に淡水が混じっても、下層の鹹水が薄められることはなく、上下に二つの層を作る。

洲南塩場は、底に壺や甕のかけらを敷き詰めた瓦盤塩田だ。瓦盤の方式では、泥土が除かれてピュアな塩ができるし、かけらが陽光に熱せられて結晶を作る速度も早まる。

塩田の再開が決まって以来、2ヘクタール近くの塩田を人々の手で一つ一つ整えてきた。残りの18ヘクタールは、閉鎖後にやって来るようになった新たな客、つまりセイタカシギ、コサギといった鳥や、ティラピアなどの魚と共存し、生態の多様化と保存に努める。塩田を見渡せば、かつて人々がいかに自然を利用し、環境に適応してきたかがわかる。

技を磨く

かつての天日干しでは生産量と品質が重要だった。上等の塩の基準は、塩化ナトリウムの純度が90%以上、水分7%以下、不純物3%以下のものとされている。だが文化的にとらえた場合は価値も多様化する。そこで洲南塩場では、「塩の風味」重視を選んだ。

鹹水の濃度を調整することで、塩に含まれるミネラルの多さを変えて、さまざまな風味の塩が出来上がる。例えば、海水中の鉄はボーメ度510で沈殿、硫酸カルシウム二水和物はボーメ度1020度で結晶になり、ボーメ度2829になるとマグネシウムの含有量が多くなる。ミネラルは塩の味に変化をもたらす。カルシウムはやや甘みのある渋み、マグネシウムはわずかな苦み、鉄とカリウムはわずかな酸味があるので、調理の際にこの微妙な差を利用し、適した食材を選べば、豊かな味の料理が作れる、と蔡حR>ەは言う。

異なる風味を出すために、蔡炅樵は熟練の塩田作業員から、彼らの腕に刻まれた技を学んできた。「水地風光人日塩」の実現は簡単ではなく、やはり人の技がものをいう。蔡炅樵は毎回の生産過程で、実験のように温度、湿度、雨量などを記録し、それらを自分のものにしようと努める。

現在、洲南塩場は、台中のスイーツ店「宮原眼科」と提携し、塩の花を用いたチョコレートやクッキーなど三つの商品を製作、また台湾森永製菓とのコラボでは塩キャラメルも発売中だ。ほかにも、「子午水(端午節の子と牛の刻に取る水)」は厄除けになるという古くからの言い伝えを応用し、端午節の正午に採れた塩の花を「子午塩」として売り出した。

嬉しそうに蔡炅樵が取り出したのは、今年6月8日午後に採れたという塩の花だ。この結晶を採る際、蒸発池で結晶体がきらきらと反射し、とても美しい模様を描いていた。それでこれを「夏日午後三時」と名付けた。どこかのレストランとのコラボで、特色あるメニューが生み出せれば、と考えている。

台湾風味の塩を

来年は洲南塩場を再開して10年目になる。再開当初、土地神にお参りした際、蔡炅樵は神様から三つの課題を出されたと感じた。一つは、伝統的なやり方でいかにして塩田を順調に運営するか。二つ目は、塩づくりと生態環境の間でどうバランスを取るか。三つは、どのように独自のスタイルを打ち立てるか、であった。

一つ目は、2014年に売り出した「塩の花」と「塩の霜」が答えになるだろう。

二つ目の答えとして、蔡炅樵は笑って遠くを指差し、こう言った。「あそこにいる、白いシャツ、黒いジャケット、赤いブーツをはいたセイタカシギは常連さんですよ」これが自然との共生の証明だというわけだ。

では三つ目はどうだろう。台湾風味の塩を作り出すことは、洲南塩場にとって今後10年の課題だと、彼は答えた。彼が見据えるのは国際市場だ。各国の料理人と手を組んで、台湾風味の塩を生かした料理を作り出したいと考えている。

「水地風光人日塩」というのは天日干しに必要な条件というだけではない。台湾で失われつつあるこの伝統産業を再開し、見つめ直すことは、文化遺産の保存にとどまらず、いかにして先人が環境に合わせ、技を磨き、自然と共存してきたかを理解することにつながるのだ。

Sun, Seawater, and Culture —The Formula for Taiwanese Salt

Cathy Teng /photos courtesy of Jimmy Lin /tr. by Geof Aberhart

Floating atop the briny crystallizing pond, the fleur de sel looks as delicate as paper. As Tsai ­Jiung-­chiau, director of ­Chiayi County’s Bu­dai Cultural Association, carefully scoops some of it up fleur de sel from the pond, he explains that these “flowers” bloom only in spring and summer. If it’s warm enough in the early morning, as the surface of the pond greets the sun and wind the thin pyramidal crystals begin to form. The crystals form quickly and contain a relatively high level of moisture, making them cloudy. The salt that forms in winter is known as “frost salt,” because the lower temperatures and reduced sunlight exposure slow down its formation, creating more glittering, clearer crystals with higher mineral content.

 


“Salt dried in each different season has its own particular style and flavor,” says Tsai. In the nine years since he committed himself to the revitalization of the Zhou­nan Salt Field, Tsai has seen the saltern produce salt that is not just of high quality, but uniquely Taiwanese. He is striving to make the flavor of salt part of our daily lives and give home chefs more choices in their cooking.

Resurrecting the fields

The Zhou­nan Salt Field, in ­Chiayi County’s Budai Township, was first opened in 1824. For decades it was one of Taiwan’s main salt fields, but in 2001 the Taiwan Salt Industrial Corporation (now Tai­yen Biotech) announced its closure for financial reasons. With that announcement, the golden age of Taiwan’s sun-dried salt industry was ushered into history.

Or so it seemed. But while it may have ended as a full-scale industry, it found new life as a cultural and tourist enterprise. Since 2003, at the urging of local cultural groups, many of Taiwan’s salt fields have found new life as part of the burgeoning cultural tourism industry.

In 2008, the Zhou­nan field was resuscitated by the Bu­dai Cultural Association after lying idle for seven years. One of the biggest proponents of this was Tsai ­Jiung-­chiau, for whom the place had been a childhood haunt. However, by 2008 the people had moved on and nature had started to reclaim the area, which was becoming a playground for wild birds and fish. When it rained, they became ponds; during summer, the lack of rain dried the earth out to the point it started cracking. The soil was loose and unable to retain water, and the earthen embankments that had been built for the salt ponds had fallen apart.

Confronted by all this, Tsai, together with a few old salt workers, had no choice but to roll up their sleeves and pants and get to work reconstructing the ponds, water­ways, and embankments using traditional engineering methods. After being rained on and drying out repeatedly for so long, the soil had been denuded of the salt that was once so abundant, and so the team bought 300 tons of salt from Tai­yen to restore it. After three years of hard work, the salt fields were once again ready to go into operation.

The formula for salt

Sun-drying salt is a process of two stages: evaporation and crystallization. Seawater has a salt concentration of three degrees Baumé (the Baumé scale is used in chemical engineering to indicate the concentration of minerals in liquids), which means that one liter of seawater has about 30 grams of salt in it. When brine reaches a salinity of 25 to 29 degrees Baumé, the salt (sodium chloride) therein will begin to precipitate out and form crystals.

In principle, this requires a simple process of collecting seawater in pools to let some of the water evaporate off in the sun. But if you encounter a summer with plentiful rainfall, making the most of the time you’ve got for evaporation can be a real test of the saltmaker’s skill.

When salinity reaches 25 degrees Baumé, the brine can be collected and stored in brine pits. These pits, also referred to as “brine banks,” are then emptied into crystallization ponds when the time is right to get the salt crystallizing. These ponds sit for longer periods in the winter, when the crystallization process can take as much as three weeks, as opposed to the one week needed in spring and summer.

Crystallizing the relationship

Taiwan’s humid, rainy climate is not especially suited to salt drying, but past generations developed techniques to work with the environment, setting into motion Taiwan’s 338-year history of sun-drying salt.

Old hands in the salt industry say that to sun salt, you must first sun the water, and to sun the water, you must first sun the earth. In the past, when setting up a salt field, people would make use of the tides to bring in seawater, and then through a series of terraces they would lead that water into the field.

The saltier water, being heavier, tends to sink, and so the briniest water in a brine pit similarly settles at the lower level. Even if you then introduced fresh water, it wouldn’t dilute the solution, which instead would remain in two tiers.

The Zhou­nan Salt Field uses tiled fields, the tiles helping keep mud out and ensuring the salt collected is relatively clean. On top of that, the glaze on the tiles absorbs short-wave radiation from the sunlight, keeping things warmer and accelerating the crystallization process.

A test of skill

In the past, sun-drying salt focused on quantity and quality, with the top-quality salt needing to be at least 90% sodium chloride, at most 7% water, and no more than 3% other elements. The “cultural” salt industry, though, is much more focused on showcasing the diverse aspects of the culture of salt production, and so the Zhou­nan Salt Field has chosen instead to focus on flavor.

Salt workers can control the concentration of the brine, and thus produce salts with different flavors based on mineral content. For example, the iron in seawater precipitates out at a density of five to ten degrees Baumé, while a brine of about 28 to 29 degrees tends to be higher in magnesium. Different minerals affect the taste of the salt differently, with calcium giving a slightly sweet astringency, magnesium a touch of bitterness, and iron and potassium a hint of sourness. When cooking, the different mineral content can create subtle changes in taste, and finding the right combination can really make a meal.

Recently, Zhou­nan worked with Tai­chung’s Mi­ya­hara Ice Cream to create a new chocolate and two types of cookies. They also partnered with Taiwan Mo­ri­naga to create a salty caramel that went on sale in stores around Taiwan.

With obvious glee, Tsai ­Jiung-­chiau picks up some fleur de sel harvested on the afternoon of June 8. He ­remarks that he was struck by the lines of the crystals and how they glistened in the afternoon sun in the evaporation pool, so he collected them, naming them “3 o’clock on a Summer Afternoon.” Now he hopes to find the right restaurant to work with to develop some delicious dishes with Zhou­nan’s fleur de sel.

A taste of Taiwan

Next year will be the tenth anniversary of the revived Zhou­nan Salt Field. Tsai remarks that when they started, Tudi Gong, the Earth God, presented them with three tests. First, to successfully use traditional methods in renovating their salt fields; second, to balance productivity with environmental awareness; and third, to create their own unique style.

The first test was passed when they produced their first fleur de sel and “frost salt” in 2014.

Addressing the second, Tsai smiles and gestures into the distance, pointing out a figure that seems to be dressed in a white shirt, black jacket, and red boots—a black-winged stilt checking in, proof of the salt field’s ability to coexist with the area’s natural inhabitants.

The third? That’s coming, as Zhou­nan works to develop a truly Taiwanese taste over its second decade, says Tsai. His hope is to get Zhou­nan salt products into the international salt market, to be put to the test by the great chefs of the world to create the perfect match. When that happens, Taiwan’s salt culture will have ­really gone global.

The combination of earth, water, wind, sun, and people is more than just the core formula for sun-dried salt. When we look at the traditional industries that seem to be all but gone from Taiwan, the restoration of salt production is more than just the preservation of a cultural asset—it embodies a spirit of working together with nature, looking for the right techniques and learning from the wisdom of the past, setting an example for future generations.

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