産地と食卓の美しいつながり
2001年に始まった希望広場は、当初は1999年の台湾大地震で被災した台湾中部の農家を助けるために開かれた。台北の都心で農家が作物を販売できる場を設けるというので、農家に希望をもたらすことから「希望広場」と名付けられた。最初は台北市八徳路の光華商場の傍らにテントを立てて開かれていたのが、現在の林森北路と北平東路の交差点に移り、この秋にさらに移転して、より華山芸文特区に近い場所に山並みをイメージした建物が設けられることになった。
農糧署の徐恵瑩によると、希望広場は台湾農業のショーウィンドウと位置付けられ、農産物販売のほかに「地元の旬のものを食べる」という理念を広めることを期待している。店を出す農家は、3章1Qをクリアする商品を販売する。つまり「有機農産物マーク、CAS台湾優良農産品マーク、生産履歴農産品マーク、そして生産履歴のQRコード」を持つという意味だ。さらに希望広場では市民が安心して買い物できるよう、不定期に抜き取り検査もしている。消費者は希望市場を訪れて生産者と直接言葉を交わし、作物の背後にある苦労や物語を聞くことができ、産地と食卓の距離が縮まっていく。
料理の研究が好きな番紅花は、良い食材を見つけると深く探求し、時には産地まで行ってみることもある。最近は希望広場で知り合った椰子哥(ココナッツ兄さん)に会うために屏東県まで行き、ココナッツを採るのが非常に危険な仕事であることを知った。雷や蜂、蛇に注意しなければならず、気を抜くと高いところから落ちてしまう。これほどの苦労を経て得た作物は、本当に大切にしなければならない。
現在でも、希望広場では多くの農家が顧客の開拓に努力しており、中には農業を始めて間もない若者もいる。例えばピーナッツ農家の張建豪は、ピーナッツを栽培するだけでなく、歯にくっつかないピーナッツ飴の作り方も学び、希望広場で常連客を蓄積したら、簡単な加工設備を購入したいと考えている。また、紫トウモロコシを栽培している胡志宏は、新人農家に販売ルートがなかったため希望広場に舞台を求め、時間をかけて顧客を増やしてきたところ、今では香港に輸出できるまでになった。
農産物や海産物、畜産物の他、希望広場には小さな花屋もある。徐恵瑩は、希望広場に来るたびに一日中ここで過ごしてしまうと笑う。ゆっくり見て回り、店の人とおしゃべりをし、疲れたら食事コーナーで農協の家政班が準備した軽食を食べる。気に入った品があれば店主の名刺をもらい、宅配してもらうこともできる。さまざまな作物の旬の季節に希望広場を訪れて農家の人々と言葉を交わせば、古い友人に会っているような気持になるという。こうした人と人との温かい交流を通して、希望広場が幸福感を広める場になればと願っているのである。
多くの市場は廟の周辺に屋台が集まることから生まれる。士東市場でも神を祀る空間を設け、精神的な支えとしている。
士東市場ではカートが提供されており、四季を通して快適に買い物ができる。
士東市場にはコーヒーの香りが漂い、暮らしを豊かにしてくれる。
しばしば希望広場を訪れる番紅花は食材のほかに花も買って帰り、生活に彩りを添える。