新竹と聞いて何を思い浮かべるだろう。新竹サイエンスパーク、城隍廟、ビーフンと貢丸湯、それとも何も思い浮かばないだろうか。これらの答えしか返ってこなければ、清華大学の学生たちは納得しない。
2014年、荘重遠、呉君薇、黄喆亮、謝爾庭ら、清華大学のさまざまな学部学科の十数人の学生が、「見域ワークショップ」を設立した。そして新竹ローカルの雑誌『貢丸湯』を創刊し、多くの人に「知られざる新竹」を紹介している。
退屈な町に意外な発見
週末になると、台北へ向かう高速バスの乗り場は大勢の人でごった返す。就学や仕事のために、よその土地から新竹に来ている人の多くが「新竹はつまらない」と言う。だが、『貢丸湯』の編集長を務める荘重遠とワークショップの仲間たちから見ると、「新竹にはたくさんの物語があるのに、ずっと重視されてこなかった」のである。
荘重遠は、新竹の生活には、確かに台北のような利便性や華やかさはないと言う。台北なら、いつでも気軽にライブハウスに生演奏を聞きに行けるし、文化関係のシンポジウムを開こうと思えば、すぐに専門家や資料が見つかるが、新竹にはこうした条件が整っているとは限らない。しかし、リソースが不十分だからこそ、これらの学生たちは自分で何としなければならず、その過程で地元の人々も知らないような人や物事を見出してきたのである。
例えば、市立動物園と言えば、一般に知られているのは台北市立木柵動物園と高雄の寿山動物園の二大動物園である。しかし、実は台湾で最も長く同じ場所で運営を続けている動物園が新竹市内にあることはあまり知られていない。台北と高雄の二大動物園は幾度か移転を繰り返してきたが、新竹の動物園は1936年に新竹公園内に設けられて以来、ずっとここで運営している。
新竹の魅力は文化や歴史だけではない。人目につかないところで夢を追って努力している人が大勢いるのである。編集チームは、新竹を国際的なダンスの都にするという夢を持つダンサー林俊含に出会った。普段は自分のダンス教室で教えている彼は、しばしば台北からダンサーを招いてパフォーマンスを行ない、国際的なダンスコンクールなどにも参加している。また、文化の砂漠などと言われる新竹にも、若いダンスチーム「舞次方ダンスワークショップ」があり、質素な空間を利用した実験劇場「鉄屋頂」がある。
「新竹にはたくさんのストーリーがあるのに、知られていないのです」と荘重遠は言う。そこから彼は「現代人が求めているのは、どのような都市生活か」と考えるようになった。
荘重遠は、清華大学人文社会学部の授業の他に大学のリーダーシップカリキュラムも履修している。「社会参画」を重視するこのカリキュラムで、彼は国光石化や新竹県尖石ダムなどの環境問題に触れ、また社会問題を扱う刊行物『基進筆記』のメンバーにも加わった。そしてフィールドワークや討論会に参加するにつれて、新竹への理解を深めていき、「なぜ地元の人々は新竹を知らないのか」と疑問を持つようになった。
古い家屋の改造
2014年に見域ワークショップを立ち上げ、翌年に『貢丸湯』の発行を開始したのも、この答えを探すための行動なのである。年初に雑誌を出す前に、荘重遠は他のメンバーとともに城隍廟近くの北門街に古い家を借り、ここを「見域亭仔角」と名付けた。
当初から「旧市街地の復興」という目標を掲げていたメンバーたちは、まず古い家屋を探した。「ところが、それがなかなか見つからなくて、最終的に以前金物屋だった金源成の建物を見つけました」と荘重遠は言う。古い家屋の改装を行なうほかに、彼らは旧市街地の復興を目標としており、そのために改装した空間を人と人とのつながりをもたらす場にしようと考えていた。
見域亭仔角がオープンすると、最初に近所の人々が好奇心から訪ねてきて、それに続いて城隍廟を観光で訪れた人々がやってきた。「見ず知らずの人同士が座っておしゃべりをしていると、どこかで互いにつながりがあることに気付くのです」と荘重遠は言う。
見域亭仔角では旅行情報が得られるだけでなく、運が良ければ「新竹」をテーマとした講座が開かれていることもある。
昨年から、見域チームは「食在竹好」という活動を開始し、地域の青年団体を招いて製茶やビール醸造などの経験をシェアしている。「Refresh:新竹に戻ってデザインをする」というシリーズ講座では、通勤や通学のために新竹を離れて暮らしている人々が、Uターンして建築設計に従事している人の経験を学んでいる。また、新竹生活美学館と共同で「新竹すごろく」という宝探しのイベントも行った。
あまり注目されないテーマなので、最初は特定の人しか来ないだろうと思っていたが、何回かイベントを行なううちに、大勢の人が集まるようになった。蔡仁堅・元新竹市長を招いた講演会「北門大街の繁栄と衰退」では、人が外の通路まであふれるほどだったという。
新竹の暮らしに欠かせない『貢丸湯』
「見域亭仔角」を行動の基地ととらえるなら、『貢丸湯』は彼らが外に向かって発信する手段と言えるだろう。可愛らしくて新竹らしい雑誌名だが、この名前はメンバーの十分な議論を経てつけられたものだという。
雑誌名の候補としては、「走城」や「廟辺」、それに新竹のイメージである「風」といったものが挙っていた。「走城」には街をくまなく歩いて探索するという意味が込められており、「廟辺」というのは、新竹旧市街地の東西南北にある四つの城門の近くにそれぞれ廟があることから発想した。東には東寧宮、西には天后宮、南には竹寧宮、北には長和宮があり、その真ん中に有名な城隍廟がある。これら大小の廟が、新竹の旧市街地を散策する際には重要な軸となる。
そして最終的に、彼らは新竹の名物料理である「貢丸湯」を雑誌名にすることにした。それは、貢丸湯が新竹住民の日常生活に不可欠のものだからだ。シンプルな貢丸湯は特別な御馳走ではないし、宴席などで出されるものでもないが、疲れた時や小腹が減った時に最初に思いつく食べ物だと荘重遠は言う。貢丸湯の日常性は人々の生活と一体化しており、雑誌の位置づけとぴったり合うことから、これが選ばれたのである。
編集スタッフは全員学生であるため、平日は授業の合間を縫って仕事をしている。新竹住民は地域の歴史を知らず、身の回りに目を向けていなかったが、『貢丸湯』を発行すると大きな反響が得られ、実は身近なところにたくさんの名人や達人がいることもわかった。
荘重遠によると、歴史に関するテーマを扱うと、いつも読者から異なる意見が寄せられるが、こうした意見を編集チームは歓迎しているという。『貢丸湯』の発行は、「見域バージョン」の新竹史を発信するものだが、それと同時に新竹住民に、それぞれの考えや認識を問いかけることでもあるのだ。
「すべての新竹住民が自分自身の新竹史を語れば、地域の物語がひとつひとつ掘り起こせると考えています」と荘重遠は語る。
新竹にある清華大学の学生と若い実習生が新竹旧市街地の北門街に「見域亭仔角」を開き、ローカルの雑誌『貢丸湯』を発行して、知られざる新竹を紹介している。
①見域チームと新竹生活美学館が共同で開催したイベント「新竹すごろく」。
『貢丸湯』の取材によって新竹のかつての繁栄と新しい活力が掘り起こされている。写真は、編集チームが百年の歴史を持つ老舗漢方薬店「杏春薬房」を訪問し、ついでに脈を診てもらっている様子。