この語りの順序には意義がある。
普通は一日目を起点にするのと異なり、『練習曲』の最初のシーンは二日目の早朝であり、映画の最後になって一日目出発後の夕方に戻る。
この設定に、中年になった陳懐恩の思いと、彼が理想とする人生のあり方が表れている。純朴で希望に満ちた台東をプロローグに、そこから北部、西部の海岸を経て南部の出発点である高雄へと戻る。現実の旅程は終わっても心の感動はまだ収まらず、再び出発点へ戻るのだ。旅立ちの最初のあけぼのがこの旅程に終点がないこと、永遠に巡り続けることを象徴する。
台湾で最も早く朝日の昇る台東太麻里は、この島、そして人々にとっての「芽生え」の地だ。だが、大雨の蘇花公路に至ると、問題や危機が浮き彫りになる。さらに北では、斧で削ったような断崖絶壁に、数万年前の火山活動が思い起こされる。
台北を過ぎた後の西部海岸の砂浜は、台湾経済発展の中心地であり、海岸の汚染や地盤沈下といった破壊の最も深刻な地域だ。陳懐恩は西部海岸を人生の中年期になぞらえ、「何でも手に入るのだけれど、体の方はぼろぼろです」と言う。
だが、南部海岸はすばらしい。島国の台湾が海と共生している。満身創痍の西部海岸を見てきた目には、浜風の吹く美しい海岸は、人生の最も完璧な姿に映る。
そして、再び生まれ変わり、台東で新たな始まりを迎えるのだ。
聴覚障害を持つ若者が、自転車で台湾を一周する過程での一つひとつの出会いを大切にしていく。人生について考えさせるとともに、中年監督の夢をもかなえた。