
哀悼
いつか、世界が目覚める時が来ても
私の魂はこの土地を離れて
薄暗い雲の中を漂い
陽光は私の姿を見出せないだろう
ただひたすら降り続ける雨も
私の魂を潤すことはなく
濡れたツタにも私の呼吸はとどかない
記憶の中の容貌は
空中で砕け散り、塵と化す
春の息吹が大地をおおい
緑の山々に陽光が降り注ぐ時
山の稜線に私の輪郭を探してほしい
あの硬い岩が私の鼻
私の声は鳥となって低く歌い
さらさらと流れる水音は私の脈
風の音に私の声を探してほしい
それは私の言葉
この世への最後の忠告
私のために嘆かないで
生命は一つの円――
始まりも終わりもなく
やがては元の点に戻るのだから
だから、その涙を拭いて
笑顔で私を送ってほしい
『仏説八大人覚経』には「世間無常、国土危脆」とある。
先月号の本誌で「再び阿里山を訪ねる」という特集を組んでから間もない8月8日、台風8号が南台湾を襲い、台湾の代名詞とも言えるこの観光名所は甚大な被害に遭い、その姿も大きく変わってしまった。
国の宝である阿里山森林鉄道の基礎は崩れ落ちて軌道はねじ曲がり、奮起湖や達邦集落、来吉集落も土砂災害に見舞われた。阿里山全体が1〜2年は静養を余儀なくされ、ようやく活気を取り戻した観光産業も成り立たなくなった。
阿里山や玉山から南へ、荖;濃渓と楠梓渓が流れる一帯はドミノ倒しのように土砂に埋まり、高雄県の那瑪夏、甲仙、桃源、茂林、六亀、旗山、台東県の知本、紅葉、嘉義県の梅山などの町村では、山が崩れ、家屋は土砂に埋まり、橋は断ち切られ、道路は寸断した。外部と全く連絡が取れずに数日間孤立した集落もあった。
台南県曾文渓に面する大内、新市、善化、麻豆など31の町村では全世帯が浸水し、見渡す限りの水に覆われた。
まさに世紀末的とも言える大災害に、多くの人は自問したに違いない。台湾はどうしてしまったのか、大自然に対して人間はなぜかくも無知なのか。台湾大地震から10年、山河の傷はまだ癒えていない。当時、多くの学者が国土計画と自然回復を主張したにも関わらず、何の手も打たなかったばかりか、防災や救援も進歩していない。
これは再度の警鐘、天が台湾に与えた二度目の機会である。今回こそ決意を固め、台湾を持続可能な安全な島へと変えていかなければならない。そうしなければ、亡くなった人々と子孫に申し訳が立たない。
台風8号は、衛星画像で見ると、中央部には雲がなく、周囲に密度の高い雨雲を持っていた。8月7日に台湾に接近し、予報通り大量の雨をもたらし、貯水量が底をついていたダムを満たしてからも降り続けた。そして西南からの気流の関係で、台風は台湾の上空で速度を緩めた。気象局の予測雨量は当初の1000ミリから7回も上方修正されて最終的には2900ミリに達した。最大の降水量を記録した阿里山では、6日の未明から10日の午後5時までに間に過去最多の2855ミリも降り、96年の台風8号の最多記録を872ミリも上回った。
未曾有の豪雨に沿岸の大潮が重なって水は行き場を失い、大きな災害となった。
災難は、父の日(8月8日)の一家団欒の晩に襲った。

台風8号災害の経緯
8月8日、南台湾では豪雨が止まず、夜8時過ぎ、嘉義県、台南県、高雄県の一部地域で浸水が始まった。
8月9日午前6時、楠梓渓上流、標高1600メートルの献肚山の中腹が崩落し、下方の甲仙郷小林村が瞬時に土砂に覆われた。住民300人余りが今も行方不明のままである。
屏東県の3分の2は水に浸かり、水深は平均1メートル、最も被害の大きかった佳冬郷では2階まで浸水した。
山地では、台東県知本温泉の商店10棟が川に流され、6階建ての金帥大飯店は、多くの人が見守る中、午前11時38分に知本渓の濁流に倒れた。
8月10日、通信が途絶えていた山地から次々と被災状況が伝わってきた。多くの人が孤立した状況で救援を待ち、死傷者の数も急速に増えたが、山地の豪雨は止まなかった。
8月11日、悪天候の中、救助に向った内政部空中勤務総隊のヘリが霧台郷で墜落し、乗員3人が殉職した。
8月12日、各界から義援金や救援物資が寄せられる。企業からの義援金は25億元、一般市民からは12億が集まった。
8月13日、山地の気候がようやく好転し、軍の特殊部隊452人が8つのルートに分かれて高雄県の甲仙郷や桃源郷、嘉義県の阿里山郷、南投県の信義郷などの被災地に入り、捜索と救助を行なった。
8月14日午前10時、馬総統が国家安全会議を開き、救援救助システムの検討と災害復旧委員会設置などに関わる9項目を決定した。
正午近く、南投県名間郷の水上レスキュー隊が濁水渓で遭難者の捜索中に、ゴムボートが転覆し、ボランティア消防団員の張瑞賢が殉職。
8月15日、軍は阿里山に孤立していた人々をヘリで救出。高雄県六亀郷新開集落に入り、3階まで埋まった土砂の中からの被災者捜索を開始。
8月16日、外国からの救援物資が続々と届き始める。
8月17日午後、米軍のヘリが到着、重い救援機材の被災地への運搬を支援。
8月18日、馬英九総統が記者会見を開き、救助活動の遅れと混乱に関して正式に国民に謝罪し、救援活動が一段落したら行政上の過失を徹底的に調査し、責任を追及するとした。
8月25日現在、台風8号による死者は292人、行方不明385人、家を失った人は7000人余りに達し、50年前の「八七水害」に次ぐ大災害となった。さらに70の橋が流され、358ヶ所で道路の基礎が崩落し、農林漁業の損失は158億元を超えるなど、いずれも過去最悪を記録した。

山は完全に姿を変え、瞬時にして生と死の世界に別れた。小林村を覆いつくした土砂の中から行方不明者を捜索するレスキュー隊。
カギとなる任務
わずか36時間に90億トン、石門ダム30基分という大量の雨が降ったことが今回の災害の最大の原因だ。世界的に気候が変動する中、台湾周辺海域の夏の海水温は上昇しており、かつては数百年に一度とされた規模の猛烈な豪雨が今後は頻繁に降るようになる。政府も国民も気を抜くことはできない。
今回の悲惨な教訓から、全国民が思考と行動を変えていかなければ、いくら総統が謝罪し、官僚が辞任し、巨額の予算を投じても、同じ悲劇が繰り返されるに違いない。

南台湾では70の橋が崩れた。このような姿になった六亀大橋を見ると、安全な場所などあるのだろうか、と疑問を抱かざるを得ない。
行動革命1:人命を守るためにまず避難
馬総統がイギリスのメディアに語り、劉玄兆行政院長が会議で幾度も指摘した通り、今回の被害がこれほど大きなものとなったのは、避難が徹底しなかったからである。
台湾では5年前の台風17号による土砂災害で24人が死亡して以来、土石流監視システムを構築し、小さな渓流も含めて1503の河川が監視対象となっている。気象局による予測雨量が標準値を超える時には、農業委員会水土保持局が「黄色警戒」を発し、実際の雨量が標準値を超えると「赤色警戒」を発し、状況によっては強制的に避難させることができる。
避難は、危険な地域に暮らす人々の命を守る唯一の手段だ。
農業委員会水土保持局土石流防止センターの陳振宇主任によると、今回被災した甲仙郷の小林村や東安村など5つの村落には13の土石流警戒河川があるため、8月7日の午後5時に黄色警戒を発し、夜11時にはそのうち2本に赤色警戒を出し、電話と携帯メールで幾度も村長に知らせたという。
だが、小林村でもともと警戒区に指定されているのは19世帯だけで、現行の災害防救法では、赤色警戒の時は状況を見て強制避難させることが「できる」と定めているだけだ。しかも小林村では過去に大規模な土石流は発生していないため、多くの住民は避難せず、8月9日未明に395世帯がすべて屋根まで土砂に埋まり、2世帯しか助からなないという大惨事になったのである。
警報システムに欠陥があり、家を守りたいという住民の気持ちも理解できる。また赤色警戒が出されても実際には土石流が発生しないこともよくある。しかし、土石流は地震と同様、予測が非常に難しく、山地の住民は台風のたびに危険にさらされているのである。
昨年9月にハリケーン「グスタフ」がアメリカを襲った時、危険地域の住民200万人が避難するために大渋滞が起きたのを覚えているだろうか。当時、ニューオーリンズの市長は車を持たない人々をバスで避難させ、避難に応じない人々には緊急救助を行なわないと厳しく警告した。そして3日後に住民たちは何の不平も言わず、何事も起こらなかった家に帰ったのである。2005年にカトリーナの被害で1836人の命が奪われたニューオーリンズでは、避難するかしないかで揉めることはないのである。

未曾有の豪雨に大潮が重なり、海に面した屏東県林辺郷などの海抜の低い地域では2階まで水に浸かった。水はいつまでも引かず、救難救助にも時間がかかった。
行動革命2:工事によらない治水
甲仙郷の小林村が跡形もなく土砂に埋まってしまったことについて、一部の環境保護運動家は、曾文ダムの「越域引水計画」が原因ではないかと指摘している。これは荖;濃渓の水を曾文ダムに引くという計画で、そのためにダイナマイトを使用してトンネル工事をしており、それが山地の土壌を動かし、献肚山崩落につながったのではないか、という疑問である。また同工事で掘り出された10万立方メートル余りの土砂が、旗山渓を隔てた小林村の対岸北側に積まれており、これも被害を拡大した原因ではないかと指摘されている。
小林村の土砂災害の原因は調査中だが、2003年に始まった「曾文渓越域引水計画」は、嘉南平野と高雄地区の水不足を解決するもので、これを実施しなければやはり不満の声が上がるに違いない。また、今回の台風では水利署の工事を請け負っていた14人の作業員も高雄県桃源郷で宿舎とともに土砂に流されるという悲劇が起きた。台湾は治水が不十分なのではなく、過度の治水と誤った治水が問題なのである。
阿里山茶山小学校の蒲忠勇校長はメディアに次のような文章を寄せた。阿里山の富特野集落の渓流は整備工事が終わったばかりで、設計上、特に景観とエコ工法を重んじ、斜面を覆う景観壁や階段式の河道、櫛状の堰などが完成し「曾文渓の支流がまるで親水公園のようになった」。しかし、これらも台風8号で土砂に埋まり、跡形もなくなってしまった。40年来、政府が工事をすればするほど治水状況は悪くなり、美しい山河が醜く危険な土地に変わってしまったという。
台湾大学土木学科の李鴻源教授は、先天的に険峻な地形に加え、後天的な気候変動が生じている今、「水は治められない」ことを知らなければならないと指摘する。「治めるべきは水ではなく、土地や河川の不当な利用である」と。
「無限の予算を投じて堤防を限りなく高くしていくことなど不可能です」と李鴻源は言う。気候が変動し、これまでの「対抗思想」の治水は通用しないのだから「土地を河川に返すべきです」と指摘する。
オランダでは近年、チューリップ農家が沿岸の埋立地を離れ、浸水しやすい地域の農家は補助契約を交わして、洪水時に被害を緩和するために水を引き入れるエリアとして提供している。「水と争わず、水と共生する」という新しい思考には学ばなければならない。

未曾有の豪雨に大潮が重なり、海に面した屏東県林辺郷などの海抜の低い地域では2階まで水に浸かった。水はいつまでも引かず、救難救助にも時間がかかった。
行動革命3:立法を急ぎ、国土計画を
今回の台風の後、多くの学者は、水害防止のカギは源の山林回復にあると指摘した。地震や台風の多い台湾では、面積の半分以上を山地が占めており、台湾大地震の影響で、地質も脆弱になっているのだ。
内政部は2002年に「水、土、林」の三大業務を統合した「国土計画法」草案を提出したが、立法院ではまだ採択されていない。
2005年には、経済建設委員会が、標高1500メートル以上の地域を保護核心地域とした「国土復育条例」草案を提出したが、この法案も立法院で4年もたな晒しにされている。高山の土地利用、農家の移転補償、原住民族の居住といった問題が絡んでくるからだ。
法的根拠がなければ、何事も始まらない。台湾の環境監視システムは悪いものではなく、敏感地域や警戒地域については学界でも十分に研究されている。しかし、これらの研究と国土計画が統合されておらず、大量の水を必要とする石油化学工業区が水源の不足した地域に置かれ、都市周辺の農地は建設用地へと変り、都市の水害を増やしている。
国土計画は国のビジョンであり、そのビジョン実現のためにいかに資源を配置するかというコンセンサスである。
例えば、台湾は受託生産の工業の島から転換し、煙突のないレジャー観光産業を発展させようとしている。これは美しいビジョンのように見え、多くの人が山地を訪ね、民宿や温泉を楽しむようになった。しかし、台湾の山林はどれだけの負荷に耐えられるのか。山林を愛することが、かえってそれを害することにならないか。山地の利用が限度を超えた時、誰がそれを止める責任を負うのか、考えたことがあるだろうか。
今回、甚大な被害に遭った台東県の太麻里や知本温泉、それに高雄県の六亀などは、河川が山地から平野に出る沖積扇状地に位置し、もともと災害が発生しやすい地形である。ビルが濁流の中に倒れ込む映像で世界を震撼させた知本温泉の金帥大飯店は、もともと河岸が後退しつつある曲流浸食坡に位置する。ここは37年前の台風で民家12棟が土砂に埋まった場所でもある。
だが、地方政府はこの教訓を忘れて新たな建設許可を出したため、金帥大飯店は国家賠償を求めるとしている。だが、こうした危険な土地での経営のリスクは、全国民が負うべきなのだろうか。
また、近年は高山農業が盛んになっており、キャベツやウーロン茶、梨や桃などの温帯の農作物が都市住民に好まれるため、平地は休耕し、農業が山地へ移動するという怪現象が生じている。地方も中央もこれを推進しているが、これに伴う山地の土壌保全や道路整備などのコストやリスクは考慮されていない。
長期的に見て、高山農業は台湾の資産なのか、負債なのか。農家がどうしても山地農業に固執する場合、彼らはどのような責任とリスクを負うべきなのか。国や地方の各部門がこれらを明らかにし、ルールを定める必要があるだろう。

高雄県六亀郷の新開集落は3階建ての屋根まで土砂に埋まり、捜索もほとんど不可能な状態だった。
行動革命4:成長より持続可能性
今回の災害の後、多くの学者は「共犯構造」を指摘した。政府は常に経済成長と産業発展、市場の活性化ばかりを強調し、国民も、より新しく、より速く、より便利なものを求める。山を旅するための便利な交通手段を求め、水道・電気料金の値下げを求め、選挙前には新たな建設の公約を求める。
経済成長とグローバル競争への誤った思い込みで、私たちは台湾という島が一つしかないことを忘れてしまった。しかも、この島は高い人口密度と人間の欲望で傷だらけになり、悲鳴を上げている。台湾大学地理学科の張石角元教授が言う通り、台湾は「外在する攻撃力が増し、内在する抵抗力が減退する」状況にある。大地に休息を与え、大地の中で生きる道を探さなければ、同じ悲劇は繰り返されるだろう。

台東の金帥大飯店が知本渓に倒れる様子は、内外のメディアで繰り返し報じられた。この惨事を通して、私たちは土地の利用方法について考え直すことができるだろうか。(中央社提供)


未曾有の豪雨に大潮が重なり、海に面した屏東県林辺郷などの海抜の低い地域では2階まで水に浸かった。水はいつまでも引かず、救難救助にも時間がかかった。

屏東県佳冬塭豊村

高雄県林園郷と屏東県新園郷を結ぶ双園大橋も、水位が高まった高屏渓の濁流に耐えきれず、8月9日の未明に三つに寸断された。

台東県太麻里渓河口の衛星画像。台風8号の前と後を比べると河川の範囲が数倍に広がっていることが分かる。川辺の田畑や民家は跡形も残っていない。

まるで悪夢のよう。救い出された子供は大声を上げて泣き、大人は明日のことを考えなければならない。