片倉佳史さんは、台湾でディープな旅行をしたいと思う日本人の間で有名な存在だ。台湾在住歴の長い彼の著書は多く、日本で出版するガイドブックを定期的に執筆する他に、サイト「台湾特捜百貨店」(http://katakura.net)を主宰し、台湾の情報を整理して提供している。このサイトは2000年に立ち上げて以来のべ20万人がアクセスしており、台湾旅行を計画する日本人にとって絶好の「予習」の場となっている。
片倉佳史さんは、特に日本統治時代の建築物や原住民族、鉄道文化などに興味を抱いている。その著書『台湾日治時代遺跡』『台湾土地・日本表情』は中文でも出版された。6〜7年かけて各地を歩き記録してきたものだ。
1969年生まれ、体格がよく、熱心で繊細な片倉さんは早稲田大学教育学部出身、学生時代は海外旅行が大好きで40ヶ国余りを旅したが、初めて台湾へ来たのは1993年、トランジットで立ち寄っただけだった。その時は特に深い印象はなかったのだが、その後何回か来るうちに、しだいに表面には現れない台湾の魅力に気づき始めた。「香港や上海は、初めて行った時は衝撃を感じますが、何回か行くと何も感じなくなってしまいます。それとは違い、台湾には豊かな歴史と文化があり、夢中になりました」と言う。
大学卒業後は出版社に就職したが、仕事は忙しく、世界各地を歩いた学生時代の経験とは相容れないものだった。「もっと世界を知りたい」と思った彼は仕事をやめ、1996年に台湾に渡り、フリーライターとして収入を得ながら、この大好きな島を探索することにしたのである。
台湾に来たばかりの頃は、まったく中国語が話せなかったが、かつて日本の植民地だった台湾には日本語の話せるお年寄りが大勢いた。早く日本の出版物に台湾のことを書きたいと思っていた彼は、歴史にも非常に興味があったので、日本統治時代の台湾史に力を注ぐことにしたのである。そうするうちに、しだいに中国語も流暢になっていった。
台湾の日本植民地時代の歴史に関して、日本では政治的立場の違いからまったく異なる二つの意見に分かれている。左翼はこの時代の歴史を恥として徹底的に否定し、逆に右翼は植民地の治績を栄光として懐かしむ。片倉さんは、こうした論争とは無縁でありたいと考えている。「私は左翼でも右翼でもありません。あえて分類するなら『台湾翼』ですかね」とおもしろいことを言う。
もちろん植民地統治は良いことではないと考えているが、彼がこの時代の遺跡を訪ねるのは、歴史的に正しいことかどうかを追究するためではなく、日本時代の遺跡と現地の庶民との関係を理解したいからである。
例えば、植民地政府はかつて、同化政策のために台湾各地にたくさんの神社を建てた。1945年に第二次世界大戦が終わり、国民党政府が台湾に渡ってくると、これらの神社は撤去され、あるいは忠烈祠に建て替えられた。現在残っている神社の跡は、こうした政権交代の歴史を示している。
日本時代の台湾史を探索すると同時に、片倉さんは正真正銘の「鉄道ファン」でもある。侯孝賢の映画『珈琲時光』の中で浅野忠信が演じる男性と同様、片倉さんもレコーダーを持って台湾各地へ列車の音を録音しに行き、家に帰ってそれを鑑賞している。列車の音の何が面白いのか、と思う人も多いだろうが、鉄道ファンにとってこれは感動に満ちたものなのである。
例えば、と彼は例を挙げる。台湾では列車が駅に入ると、国語、台湾語、客家語の順でアナウンスがあるが、ある時、台東で国語、台湾語の次にアミ語のアナウンスが流れたという。シンプルな音の中に台湾のエスニックの多様性がうかがえる良い例だ。
日本の鉄道ファンが最も好む台湾の列車は阿里山の森林鉄道だという。急勾配を登るシェイ式蒸気機関車で、今では世界でも珍しいものだ。阿里山鉄道では勾配が刻々と変わるので「列車の音もまるで生き物のように変化し、懸命に障害を乗り越えながら登っていくのです。この音を聞くたびに感動します」と言う。
台湾に来て9年、片倉さんはもう正真正銘の「台湾通」だ。日本人に推薦したい景勝地は、と問うと、馬祖北竿島の福建北部式建築、旗山美濃の南国風情、そして南部横貫道路の大自然などを次々と挙げる。日本人には、台北ばかりでなく、もっと地方へも足を運んでもらいたいと思っている。「台湾には素晴らしい場所がたくさんあり、皆が来るのを待っているんです」と。