ここ十年余り、台湾では鍋物が流行している。鍋料理の店が次々とオープンし、その内容もさまざまだ。中国伝統の北京風の羊のしゃぶしゃぶ、東北地方の豚肉と白菜の漬物の鍋、辛い麻辣火鍋、羊肉の煮込み鍋、そして日本風のしゃぶしゃぶや韓国風のキムチ鍋もあるし、ベトナムやタイなどの鍋料理からヨーロッパのチーズ・フォンデュやチョコレート・フォンデュまで、台湾でもあらゆる鍋料理が食べられるようになった。
そんな中で、なぜ麻辣火鍋が特に多くの人に愛されているのだろう。
最近の流行の趨勢を見れば、その答えを見付けるのは難しくない。最近は「辛口」のタレントに人気があるが、街の若者も負けてはいない。スタイルも言葉づかいも行動もスパイシーな「辛口」が流行っているのだから、食べ物もむせるほど思い切り辛くなければならない。そんな「激辛」の食べ物と言えば、頭皮までしびれ、口から火を吹きそうになる「麻辣火鍋」をおいて他にない。
これが最近の流行りではあるが、麻辣火鍋はもともと中国大陸四川省の田舎の味である。四川を発祥地とする麻辣火鍋の本来の名前は「毛肚火鍋」と言い、大陸北方の羊のしゃぶしゃぶ鍋の調理方法が変化したものである。
作家李劼人の著書『風土什志』には次のようにある。「水牛の胃袋の鍋は重慶対岸の揚子江北岸で生れた。天秤棒で水牛の内臓を売り歩いていた物売りが始めた料理なのである。天秤棒の一方にぶら下げた七輪に、内部を細かく仕切った大きな鉄鍋を乗せ、辛くてピリピリする味の濃い出汁を煮えたぎらせ、細かく切った内臓を、その汁で煮て食べさせたのである。その物売りを労働者が取り囲むようになった。彼らは水牛の内臓を煮汁で茹でながら食べ、食べた分だけ金を払う。…それが1934年になって、初めて重慶市内にこれを高級化してテーブルに鍋を出す料理屋が生れたのである」と。それでも道端に立つ麻辣屋台の人気は相変わらずで、今も四川や雲南などの大陸西南地域でよく見られる。
では、なぜ水牛の内臓なのだろう。「簡単な理由です。買う人がいないほど安いものだからです」と話すのは、料理家の梁幼祥さんだ。しばしば大陸を訪れる彼も四川の麻辣屋台で食べたことがあるという。「台湾のトリのから揚げの屋台のようにどこにでもあり、一年中店が出ています。値段は選ぶ食材によって違いますが、とにかく安くて人民元10元もあれば満腹になりますよ」と言う。
梁幼祥さんによると、特徴的なのは客が入れ替っても鍋も洗わないし煮汁も取替えないことだ。いろいろな食材を煮ては食べるのだが、それを繰り返すほど煮汁にはコクが出て味わい深くなる。そのため、店が開いてもすぐには食べに行かず、お客が何組も食べていって煮汁が濃くなったところで、味わいに行く人もいるほどだ。
この麻辣火鍋はレストランの宴会料理として出されても人気を博した。第二次世界大戦中、四川は抗日戦争の後方となったため、さまざまな地域の人が四川料理に触れるようになり、それによって中国四大料理の一つとされるようになった。中でも麻辣火鍋は印象深いものだったようだ。当時、情報工作で功労のあった戴笠将軍は、かつて重慶で1000テーブル分の客を招いて麻辣火鍋を振る舞い、兵士や職員をねぎらったと言われている。
フランスに暮らす作家の鄭宝娟さんの夫は大陸の四川出身だ。数年前に四川の親戚を訪ねた際、彼女も麻辣火鍋の地元での人気を目の当たりにしたという。
「四川の人は冬だけでなく、汗が滝のように流れる真夏でも鍋を食べる。有名な重慶の『毛肚火鍋』は今や高級料理で、一人分で100人民元するのが普通だ」と彼女は書いている。
四川の人々が辛い料理を好むのには気候上の理由がある。鄭さんによると、四川の大部分の地域は日照時間が短かくて湿度が高く、日が射していても洗濯物が一日では乾かないほどだ。「私の家族は乾燥したヨーロッパの気候に慣れているので、一週間もたたないうちに四人全員湿疹ができてしまい、手足は腫れ上がり水脹れができました。ところがこれが薬も使わずに治ったのは、毎日三食、さまざまな種類の辛い料理を食べ続けたおかげです。トウガラシには湿気の害を除く作用があるのです」と言う。
「四川料理に欠かせない香辛料は三つ、山椒、胡椒、トウガラシです」と話す彼女は、これに加えてショウガ、ネギ、ニンニク、わさび、チョウジなどにも独自の辛味があると言う。またラッキョウや大根にも特有の辛味があり、四川の人はこれらの食材を全てレシピに盛り込む。「そのため、四川料理の辛さには嫌味がなくて奥行きがあり、それが舌だけでなく全身の神経を刺激し、味覚や熱感、痛感などを総動員させるのです」と言う。四川の毛肚火鍋は辛味を効かせた出汁に、水牛の胃袋、レバーなどを加える他、ニワトリやアヒルの血、豚の脳味噌なども加え、さらにキクラゲやレンコン、ニンニクの葉、ネギなどを入れる。「鍋の表面には赤い油が分厚く浮かび、食べる人の碗の中には真っ赤なトウガラシ味噌が入っています。8月の昼に食べれば、汗で顔が幾度も洗えるほどです」と言う。
煮て食べる食材は好みだが、麻辣火鍋の命はその出汁にあり、これこそが各店独自の魅力となっている。
麻辣火鍋の出汁は「鍋底」とも呼ばれ、手の込んだものだ。まず牛の骨を骨髄が溶け出すまで半日から二日ほど煮込み、それから香辛料を加える。「四川では大量の香辛料と漢方薬を使い、それぞれの店に独自の調合があります」梁幼祥さんは、7〜20種以上の香辛料が使われると言う。
台湾でも麻辣火鍋は正統の四川の味を売り物にしている。全台湾に30以上の支店を持つ老舗の「寧記」の場合、初代経営者の蒋寧陵さんは四川の出身で、1973年に店を始めた時のメインのメニューは四川風牛肉麺だった。ただ暇な時に四川の鍋料理を作って友人をもてなしていたところ、それが好評で、店で鍋料理を出すよう勧められた。それからは、これらの友人が固定客になり、口コミでお客が増えていった。鍋を仕込む段階から香辛料の香りが周囲に漂うため、それに引かれて近所の人も集まってくる。最初は大陸出身の人が主なお客だったが、本来は辛いものはあまり食べない台湾出身の人々も好奇心から食べに来るようになった。
常連客から二代目の経営者になった「中華寧記食品公司」の劉允中社長は、寧記の鍋が大変な人気だった頃を思い出す。「麻辣火鍋を食べるために南部から車で駆けつける人も少なくありませんでした。当時は店も小さくて10卓しかなく、営業時間も夜間の6時間だけだったので、店の前には映画館のように長い列が出来たものです」と言う。
初期の頃は、政府高官や映画スターの多くが大陸出身で、その多くが四川で麻辣火鍋を食べたことがあったため、彼らが常連客となり、それによる宣伝効果も大きかった。そのためか今日でも麻辣火鍋を好む芸能人が多く、「天辣子」「藍宝宝」など芸能人が経営する店も少なくない。
ラジオ番組のプロデューサーで、自ら麻辣火鍋の店を開いたこともある熊迺康さんによると、麻辣火鍋は台湾で20年以上食べられていて、その間に絶えず台湾人の口に合うように改良されてきたので、市場は安定し、ほぼ飽和状態にあるという。
「老舗の『寧記』は味が濃く、『沈記』は甘みがあり、『呉記』の味はバランスが取れています」と語る熊さんによると、後から始めた店の多くは食材の多様性や味のまろやかさ、あるいは食べ放題などのアイディアで客をつかんでいる。「独家熱盆景」「夫妻肺片」「天辣子」「紅九九」などがそうだ。香港スターが好む「泰和殿」や「知味観」などは店内のインテリアを売り物にしている。
麻辣火鍋の味は各店独自のものだが、主に使われるのはトウガラシ、乾燥した山椒、胡椒、そして豆鼓(ドウチ、大豆を発酵させた乾納豆)、豆瓣、ショウガ、ニンニクなどだ。
「同じ香辛料でも種類や使い方に違いがあります。例えばタカの爪は辛味が強いのでラー油を作るのに使い、粉トウガラシはスープに溶かし、生のトウガラシは香り付けや彩りに使います」と語るのは中華寧記食品公司の劉允中社長だ。また山椒は油で香りを出して山椒油を作って使う。寧記の場合はさらに八角、ウイキョウ、陳皮(柑橘類の皮を乾したもの)、センキュウ、サトウキビ、コウリャン酒などを使う。
両親がハルピン出身という歌手の斉秦さんの一家は揃って辛いものが好きで、兄の斉魯さんと一緒にレストランを経営している。店の名は「辛さ」を前面に出して「斉辣」といい、料理を担当する斉魯さんによると、味付けは感覚と創意で決まると言う。「舌がしびれるようや辛さ(中国語で「麻」という)を出すには山椒、辛さを出すにはトウガラシを使い、香りを出すには香辛料から香り油を作る腕が必要です」と斉魯さんは言う。
トウガラシ、山椒、胡椒の他に、彼は厨房に20種類以上の漢方薬を用意していて、必要に応じて加えている。「トウガラシと山椒は、牛や豚などの肉類に合い、胡椒は海産物に合います」と話す彼は、白と黒の胡椒を使って白い出汁の魚介類の麻辣鍋を作り、これも店の看板料理になっている。
出汁と味付けができたら、はじめに鍋に入れる食材が重要になる。まず、「紅白の豆腐」と言われるアヒルの血を固めたものと白い豆腐を加える。アヒルの血は新鮮なもの、豆腐は伝統の木綿豆腐が良い。これらは出汁を良く吸い、噛むと香り高くて辛い汁が口の中に広がるからだ。
この他には長時間煮ても崩れない牛の胃袋や筋、豚の腸やミンチ、ネギ、ショウガ、ニンニク、四川風の肉団子などを最初に加える。「麻辣火鍋に最もふさわしくないのは魚肉団子や海鮮類です。牛の骨の出汁なのですから、牛や豚の内臓をメインとするべきです」と話す劉允中さんは、中でも煮ても柔らかくなりにくい牛の胃袋、筋、腸などは先に3時間以上煮てから小さく切り、食べる時に再び鍋に入れるようにしないと噛み切れないと言う。
「これらの材料を鍋に入れても、すぐに箸で取ってはいけません。まず先に鍋の表面で薄切り肉をしゃぶしゃぶのようにして食べてから、最後に鍋の底で出汁を含んで柔らかくなった内臓類を食べるのです」と梁幼祥さんは通の食べ方を披露する。
このように麻辣火鍋の食べ方には順序がある。まず最初に出汁の中に初めから入っているアヒルの血や豆腐を食べ、次に牛や豚や羊の薄切り肉をしゃぶしゃぶにして食べ、それから鍋底で煮込んだ牛の胃袋や筋や腸を食べる。その後で、春菊やエノキ、白菜などの野菜類を加える。これらの野菜からは甘みのある水分が出て出汁が薄まるので、これを利用して最後に太目の麺を加えてゆで、出汁とともにいただくのである。
麻辣火鍋の店では、多くの人が口の辛さを洗い流すためにビールやジュースを飲みながら食べている。しかし「通はアルコール度数の高い中国の蒸留酒を飲みながら食べるものです。アルコール40度以上の酒と言えば台湾ではコーリャン酒で、この『毒を以って毒を制する』のです」と梁幼祥さんは言う。鍋物にはもともと身体を暖める働きがあるが、麻辣火鍋となれば、さらに身体に熱を持たせるので、胃腸の具合を悪くしたり腹を下すこともある。この熱を抑えるために、祖先は「毒を以って毒を制する」ことを考えた。すべてを圧倒する味と香りを持つ麻辣火鍋を好む人の性格がうかがえるような話である。
辛いのが苦手という人の場合は、まず出汁の表面に浮いている赤い油をすくいとっておけば辛味は随分抑えられる。さらによく見られる方法としては、味の薄い出汁や白湯を入れた碗を用意しておき、鍋から取り出した食材を碗の中で軽くゆすいでから酢につけて食べるという方法だ。こうすれば辛さが抑えられるだけでなく、味を損なうこともない。
今日の台湾では麻辣火鍋も大衆の味覚に合わせて多様化している。辛さの度合いを指定して注文できる店もあるし、鍋を真ん中で半分に仕切ってあって、二種類の出汁を楽しめるようにした「鴛鴦鍋」も登場した。辛いものが食べられない人のために鍋の半分には透明な普通の出汁が入っていて、辛いものが好きな人も苦手な人も一緒に一つの鍋を囲めるようになっている。店では落ちついて食べられないという人なら、出汁を買って帰り、自分で食材を加えて食べることもできるし、スーパーマーケットでも麻辣火鍋の冷凍の出汁が買えるようになった。
実際のところ、経済的に貧しかった時代には、食材も少なかったため人々は辛いものや味の濃いものをおかずにして御飯を食べることが多かった。だが世の中が豊かになるに従って、人々はあっさりした薄味の料理を好むようになってきた。麻辣火鍋のように辛くて味が濃く、油分が多くてカロリーの高いものは胃腸もなかなか受け付けないし、健康的とは言えないのも確かだ。料理評論家の翁雲霞さんは十数年前に麻辣火鍋を一度食べて胃腸を痛め、それ以来一度も食べる気にならないと言う。
その翁さんは、麻辣火鍋がこれほど流行しているのは、何事にも刺激を求めるという最近の風潮のためだと考えている。いかなる分野でも、新鮮味があって度胸が試されるようなものが好まれていて、麻辣火鍋にはそうした特性があるからだ。「香港スターの多くも実は辛いものは食べないのですが、麻辣火鍋を食べることで、その度胸を見せようと思うのでしょう」と言う。
「麻辣火鍋と言うと『後の事なんか放っておいて、とにかく食べよう』というわがままな気分が感じられます。EQも天災人災も職場の倫理も関係なく、とにかく後先など考えずに思い切り食べようという気分です」と、熊迺康さんは「麻辣心理学」を分析する。「舌はしびれて腫れ上がり、耳もよく聞こえなくなり、涙で視界がにじみ、周囲の物音も遠ざかっていき、訳も分らず自分の声は大きくなっていきます。すると胸に溜まっていた苦痛も何だか軽くなり、気分もどんどんハイになっていく気がします。翌日トイレで苦しむことなど考えずに、とにかく食った者が勝ちという気分です」
伝統のためであれ流行のためであれ、麻辣火鍋を食べようというなら、まず自分の体質と相談してみよう。面子のために身体を壊してしまっては元も子もないのだから。