
台湾では災害や緊急事件が発生すると、いつでも仏教系の「慈済慈善事業基金会」のボランティアが最初に現場に駆けつけ、救助に当たり負傷者を慰め暖かい食事を提供する光景が見られる。台湾で災害のニュースというと、これがお決まりの場面になった。最近では、世界各地に慈済会の分会が開設され、国際慈済医会が設立されたのに合せ、青いシャツに白いズボンの慈済会の人々が世界各地の風景に溶け込むようになってきた。
「慈悲と喜捨」の精神で、慈善、医療、文化、教育など多方面にわたり社会的援助と改革を行い、現地の潜在的能力の開発に努めてきたため、慈済会は他の国際医療支援組織とは少し違った顔を見せる。慈済会は世界各地で無料診療を行うたびに、現地に協力者を育てることから始め、援助方式も医療支援に限らず、チームによる一貫した社会救済のモデルを確立している。こうして慈善事業が現地に根を下ろし、自立して運営されるのである。
今年3月初め、慈済会ではシンガポールとマレーシア、インドネシアのジャカルタ、そして台湾の四分会が協力して、インドネシアのバタム島で4回目の無料診療を行なった。現地から参加するボランティアの数も毎回増えていて、治療を受ける患者と家族も自発的に手伝ってくれる。中国語、英語、インドネシア語、マレー語、福建語が会場のあちこちで聞かれる。大きな愛には国境がなく、宗教の垣根も越えていく。慈済会の経験は台湾の経験のみに止まらず、世界共通の経験へと育ちつつある。

(写真左から)手術室のシンクの設置、抜歯用具の分類、手術用具の消毒、厨房の整理など、慈済のボランティアはそれぞれの分担を手際よくこなし、一日で会場を臨時病院へと変えてしまう。診療中の食事も交代制になっていて、朝から晩まで休むことはない。
体も心も癒す
3月のバタム島の朝、太陽の光はまだ八時だというのにすでに厳しく照りつけ、犬も外に出たがらない暑さである。バツ・アジにある慈済会の技術訓練センターに設置された無料診療の会場では、それでもサマーキャンプのようなエネルギーに満ちていた。
正門に足を踏み入れると、青いシャツに白いズボンのボランティアが駆け寄り、診療を受けたい科を尋ねてくる。内科であれば大講堂の前、歯科、外科と眼科は芝生に張られたテントで受け付け、番号札が渡される。診療待ちの患者がのどが渇けば飲み物が用意されているし、お腹が空けばパンが配られる。
近くの小学生が食堂で一列に並んで、シンガポールから来た若い歯医者さんの検診を待っている。まず歯を詰めるのか抜くのか、一人一人の記録を取って分けていく。子供たちは小さなかばんをもらうが、それには歯磨き粉、歯ブラシ、うがい用のコップのセットが入っていて、家に帰ってから歯医者さんに教えられた通りに歯を磨くのである。
小講堂で内科を担当しているのは、きれいな頭巾を被った現地の回教徒の女医さんである。患者さんにやさしくどこの具合が悪いのか尋ねている。歯科に設置されたもう一つの部屋で、歯を抜かれるのが怖い子供が目に涙を浮かべている。シンガポールのお医者さんは、8割がた通じるマレー語で何とか慰めようとする。歯科の診療室のとなりが眼科の手術室で、中で使われる精密な医療器具は前日にシンガポールから運んできたばかりだという。
一番奥にあるのが外科の手術室で、ヘルニアと口唇裂、腫瘍の三科に分かれる。屋外のテントには家族や患者が辛抱強く待っており、屋内では臨時に設置されたクーラーが大きな音を立てる。仮説のベッドの上に手術中の患者が横たわっている。どの患者もとくに怖がっているような様子は見せず、むしろ治療を待ちかねているかのようである。
ボランティアたちは、規律をもってそれぞれ役割を分担している。若い慈済会のメンバーはあちこち歩き回り、患者に話しかけ、歌声で待合室を賑やかに和ませる。子供たちが歌に合せて踊りだす中、ほかの何人かのボランティアがごみ袋を片手にごみを拾っている。
ハードの設備は無料診療の関係で簡単なものだが、ざっと見渡した雰囲気はまさに花蓮の慈済病院と同じである。癒してくれるのは体の痛みだけではなく、患者や家族の心の痛みもここでは面倒を見てくれるのである。

(写真左から)手術室のシンクの設置、抜歯用具の分類、手術用具の消毒、厨房の整理など、慈済のボランティアはそれぞれの分担を手際よくこなし、一日で会場を臨時病院へと変えてしまう。診療中の食事も交代制になっていて、朝から晩まで休むことはない。
遥かに海を渡って
最近、観光事業の発展に力を入れているインドネシアのバタム島はシンガポールの東南20キロ余りの海上にあり、船で約1時間で到着する。今回の無料診療に参加した現地の医者によると、バタム島周辺は離島が多くて医師や病院が不足している上に各地に分散しているという。それにインドネシアの政治経済の中心であるジャカルタからは遠く離れているため、島の住民は病気になると遥かに海をわたって病院に行かなければならない。大した事はないと我慢しているうちに悪化し、悪化しても巨額の医療費を払えず、さらに病状は悪くなるという悪循環が生じやすい。
「回教徒の医師の団体が定期的に離島の巡回診療に来ますが、規模は小さく内科が主で、外科手術と言えば設備の整った慈済の無料診療でなければ出来ません」とこの医師は言葉を続ける。
現地の医療資源の不足を憂えて、2000年に慈済会のインドネシア分会はインドネシア空軍の協力を求め、最初のバタム島海域の無料診療を計画した。ジャカルタから軍用機2機を派遣し、医療器具や医者を運んでもらった。さらにシンガポール、フィリピン、マレーシア、台湾から支援のボランティア100人余りが駆けつけ、二日間で1500人の住民が診療を受けられた。病状が重かったり、現場で手術を受けられない患者は、慈済会が医療費を補助する形でシンガポールの病院に運ばれて治療を受けた。
この最初の無料診療が成功に終わると、これがバタム島では年に2回の定期行事となり、隣のシンガポール分会が主催して輸送費の巨額の支出を削減することとした。この2年、シンガポール分会は会の活動が盛んになり、次第にボランティア診療を独立で負担できるようになってきた。現地で参加する医師やボランティアの数も増えてきたために、ジャカルタ、フィリピン、台湾などの分会の支援は次第に少なくなっていったのである。

(写真左から)手術室のシンクの設置、抜歯用具の分類、手術用具の消毒、厨房の整理など、慈済のボランティアはそれぞれの分担を手際よくこなし、一日で会場を臨時病院へと変えてしまう。診療中の食事も交代制になっていて、朝から晩まで休むことはない。
臨時病院の設置
二日間の無料診療だが、準備作業は2ヶ月前から始まっている。
「会場を借り、離島の患者の送り迎えを手配するなど、現地の自治体や衛生関係機関の協力が必要です」と、今回の無料診療の準備作業を担当した慈済会のボランティア邱建義さんは話す。効率を上げながら、現地の医療システムとの衝突を避けるため、外科と眼科の患者は離島の衛生機関が事前に選択して申し込んでおく。経済的に貧しい患者かどうかや、無料診療の現場で手術できるかどうかも、選択の際に考慮される。
離島の住民の送り迎えと宿泊の手配、会場の設置など、すべて慈済会が負担する。そこでシンガポールのボランティアたちは二日前から次々にバタム島にやってきて、会場の設置をてきぱきとこなす。
「よかった。厨房が会場の中にあるわ」と、食事の世話をするチームの女性ボランティアは嬉しそうである。中を覗いてみると、その厨房には流し台しかない。その女性の話では、前回の診療会場は狭すぎて食事は別の場所で用意してから運んでこなければならなかったので大変だったと言う。
「先輩、早く来て。見てちょうだい、使える蛇口がいくつもあるわ。便利でしょう」ともう一人のボランティアの人が叫びだした。数人の女性たちは何とも楽しそうに、手足を動かしながら、あっというまに厨房をきれいに掃除してしまい、ガス台を設置し、野菜を洗ったり切ったりし始めた。程なく、ビーフンを炒める香ばしい匂いが辺り一面に漂ってきたではないか。
診察会場の方も最初は厨房と同じくガランとしていたが、ボランティアたちは効率よく一日のうちに手術後の回復室を設置し、クーラーを取り付け、照明や手術台を据えていった。サッカー場ほどの広さの会場は、全部きれいに掃除され、窓ガラスも2回も拭かれたのである。診療が始まるその日の朝、ボランティアの人たちは5時6時に起床し、会場の設置を確認し、慈済医師会の医師のチェックを待つ。すべて簡単だが機能の整った病院が二日の間に設置を終えたのである。

小さな手術室の中には手術台が7つも8つも置かれている。混みあっていて環境は良いとは言えないが、医師たちは全神経を集中させて手術に取り組む。
手術台の上で
診療当日、一番人目を引くのは外科の手術室であろう。テーブルをつなぎ合わせた手術台で、安全のために子供は専門の麻酔医が全身麻酔をするが、大人の手術は局部麻酔で行われる。口唇裂の手術を受ける患者は、手術を受けながら期待を込めて目を大きく開けている。手術室の中はざわついているが、それでも医師たちは全神経を集中し、周囲の乱雑さは目に入らないかのようである。
「安全第一で、事前に無料診療の現場で手術するのに適している患者を選んではいますが、それでも医師は手術の危険性を臨床的に評価します」と、シンガポール慈済医師会の馮宝興医師は話す。外には救急車が二台待っていて、万一の緊急事態が発生した場合には、患者を直ちに付近の設備の整った病院に連れて行けるようにしている。
バタム島の地域医療資源の欠乏は、診療を受けに来た患者の症例からも見て取れる。口唇裂の手術を受ける患者の半数はすでに成人、しかも若い女性が連れ立って訪れ、外科手術によって華やかな青春を取り戻したいと期待している。
ヘルニア患者も成人と子供が半々で、中には歩行困難な人までいる。腫瘍科の患者には様々な症例が見られる。自転車に乗っていて転び、唇を切った傷口がふさがらず、2年経って卵のような大きさに腫れ上がった人、首に拳ほどのこぶが出来ている人、そして足の裏が腫れて歩けない人がいる。
「腫瘍の検査や術後の観察と治療は現地の衛生機関に依頼し、費用は慈済会が負担します」と、馮宝興医師は話す。口唇裂の手術は一回で終わらない患者もいるので、次回の無料診療のときにもう一度手術にきてもらうことになる。

臨時会場での無料検診だが、手術前の診察は欠かせない。慈済のボランティアの人々は日除けのテントの下で患者の血圧を測り、言葉をかけては患者の緊張をほぐす。
綺麗になって
手術室の外側で待つ母親には、二つの表情が見られる。離島からやってきたカジュラちゃんが口唇裂の手術を終えると、お母さんは微笑を浮かべながら、その体を優しく撫でさすっていた。「まあ綺麗になって」とお母さんは言う。明るい性格のカジュラちゃんだが、口唇裂に加えて左の眼にも障害があり、その容貌のせいでほかの子供に驚かれ傷ついていた。それが手術で口唇部の被裂部が縫合され、眼も整形してずっときれいになった。お母さんはこれで子供の将来がずっと明るくなったと期待する。
お母さんの励ましのせいなのか、カジュラちゃんは手術の前も後も決して涙を出さず、大きくなったらお父さんのように小学校の先生になると勇敢に話していた。
カジュラちゃん親子の明るい様子と比べると、ヘルニアの手術を受けた子供を回復室で介抱するお母さんは涙が止まらない。子供の麻酔がまだ覚めず昏睡しているので、心配で言葉も出ず泣くばかりである。慈済会のボランティアが傍らで慰め、医師を連れてきて説明してもらって、お母さんはやっと少し落ち着いてきた。
手術台で奇跡が起きている中、病室の外でも奇跡が起こった。
離島のスラパンヤン島に住む83歳の林全花おばあちゃんは、両目共に白内障でほとんど見えなくなっていた。それが前回右目の手術を受けた後に左眼も見えるようになったと言う。これには手術をした医師も不思議がっていた。
林花全おばあちゃんに付き添って海を渡ってきた孫娘の黄欣萍さんによると、家が貧しいために働ける者はみな働かなければならないが、おばあちゃんの目がよくなってその世話をする人手が要らなくなったために、家には一人分の収入が増えたのだそうである。

(写真左から)手術室のシンクの設置、抜歯用具の分類、手術用具の消毒、厨房の整理など、慈済のボランティアはそれぞれの分担を手際よくこなし、一日で会場を臨時病院へと変えてしまう。診療中の食事も交代制になっていて、朝から晩まで休むことはない。
一緒に立ち上がろう
離島の住民が翌日には家に帰れるように、外科病棟の手術は出来るだけ最初の日に終らせたい。そこで朝から日暮れまで12時間休みなく手術が続き、医師は食事の時にわずかに休めるだけである。
歯科では6人の医師が二日続けて歯を抜き続け、腕がしびれて震えが出てくる。抜いた歯は診療室の中でボランティアが協力して整理し、シンガポールに持ち帰って、バタム島の住民の食習慣と虫歯の関係の研究に使われる。
内科は患者が一番多い科である。ここはバタム島の医療状況をよく知る現地の医師が担当し、薬品は衛生機関が無料で提供する。スカーフを頭に被った女性医師のラティファさんによると、バタム島では動物の内臓を食べる習慣があるので、成人には高血圧が多いのだと言う。子供の内科的疾患は呼吸器官の感染が多い。現地では衛生習慣がまだ良好とは言えず、どこにでも痰を吐き、日当たりの悪い屋内は風通しも悪く、子供が細菌に感染する機会も多く、罹ると治りにくい。
「診察の時に患者に衛生観念を教え込むというのが、根本策です」とラティファ医師は言う。
今回のバタム島での4回目の無料診療では、合計901人の住民が恩恵を被ることになった。慈済会からは総勢で150人以上のボランティアと61人の医師が参加し、これにバタム島の医師が9人、ボランティアが52人、現地の華人仏教団体からも多くのボランティアが参加し、離島の病人の送り迎えに協力した。2000年の第1回から今回まで、バタム島ではすでに延べで3700人以上が診療を受けた。
「無料診療の現場では、以前に診療を受けたことのある患者やその家族が、何か手伝うことはありませんか、と聞きに来てくれます。慈済会ではこういった現地で手伝ってくれるボランティアの情報を集める担当のスタッフがいて、この名簿が後日の無料診療のときのスタッフリストになるのです」と、慈済会シンガポール分会の劉銘達会長は説明する。現地の力を結集し、これに慈済会の経験を伝えることにより、バタム島の住民は自ら立ち上がるようになるのである。
慈済会に加わって8年になるシンガポールのボランティア、李健群さんは、人助けのために休暇を取ってやってきたけれど、さらに100シンガポールドル(台湾ドルで約2000元)の旅費も自己負担になる。多くの人はそんな馬鹿なことをと思うのだが、慈善活動に参加して人と人との誠実な関係を目の当たりにすると、自分の生活の中で心の底からの感謝の念が生まれてきて、そこから得るものは自分が差し出したものよりも遥かに多いのである。
華僑排斥の雰囲気の厳しいインドネシアという国の中にありながら、常に救いの手を差し伸べている慈済会の人々の努力が実を結び、次第にインドネシア人の華人に対するイメージも変ってきたと李健群さんは言う。今では青いシャツに白いズボンの慈済会ボランティアの制服で外に出ると、誰もが笑顔で迎えてくれるようになった。しかも宗教的色彩を伴わない慈済会の活動スタイルは、異なる宗教の人々も同じ活動に参加しやすくしている。
バタム島での無料診療の開幕式では、イスラムの祈祷文が静かに天からの音楽のように響いてくる。熱い太陽の下を行き来する慈済会のボランティアたちの深い青のシャツは、汗で濡れては乾き、乾いては濡れて、いつか白く塩が浮き上がってくるのだが、それも、まるで大きく開いた白い蓮の花のように見えるではないか。

離島の住民は埠頭から専用バスに乗って診療会場へ移動してくる。車を降りた患者たちはうれしそうな笑みをもらす。

(写真左から)手術室のシンクの設置、抜歯用具の分類、手術用具の消毒、厨房の整理など、慈済のボランティアはそれぞれの分担を手際よくこなし、一日で会場を臨時病院へと変えてしまう。診療中の食事も交代制になっていて、朝から晩まで休むことはない。

口唇裂の手術を受けた子供を抱く母親に、慈済のボランティアは術後の注意事項を丁寧に告げる。

バタム島の子供たちは歯医者に診てもらう機会が少ないため、麻酔をしていても緊張して大声を上げる。