一緒に立ち上がろう
離島の住民が翌日には家に帰れるように、外科病棟の手術は出来るだけ最初の日に終らせたい。そこで朝から日暮れまで12時間休みなく手術が続き、医師は食事の時にわずかに休めるだけである。
歯科では6人の医師が二日続けて歯を抜き続け、腕がしびれて震えが出てくる。抜いた歯は診療室の中でボランティアが協力して整理し、シンガポールに持ち帰って、バタム島の住民の食習慣と虫歯の関係の研究に使われる。
内科は患者が一番多い科である。ここはバタム島の医療状況をよく知る現地の医師が担当し、薬品は衛生機関が無料で提供する。スカーフを頭に被った女性医師のラティファさんによると、バタム島では動物の内臓を食べる習慣があるので、成人には高血圧が多いのだと言う。子供の内科的疾患は呼吸器官の感染が多い。現地では衛生習慣がまだ良好とは言えず、どこにでも痰を吐き、日当たりの悪い屋内は風通しも悪く、子供が細菌に感染する機会も多く、罹ると治りにくい。
「診察の時に患者に衛生観念を教え込むというのが、根本策です」とラティファ医師は言う。
今回のバタム島での4回目の無料診療では、合計901人の住民が恩恵を被ることになった。慈済会からは総勢で150人以上のボランティアと61人の医師が参加し、これにバタム島の医師が9人、ボランティアが52人、現地の華人仏教団体からも多くのボランティアが参加し、離島の病人の送り迎えに協力した。2000年の第1回から今回まで、バタム島ではすでに延べで3700人以上が診療を受けた。
「無料診療の現場では、以前に診療を受けたことのある患者やその家族が、何か手伝うことはありませんか、と聞きに来てくれます。慈済会ではこういった現地で手伝ってくれるボランティアの情報を集める担当のスタッフがいて、この名簿が後日の無料診療のときのスタッフリストになるのです」と、慈済会シンガポール分会の劉銘達会長は説明する。現地の力を結集し、これに慈済会の経験を伝えることにより、バタム島の住民は自ら立ち上がるようになるのである。
慈済会に加わって8年になるシンガポールのボランティア、李健群さんは、人助けのために休暇を取ってやってきたけれど、さらに100シンガポールドル(台湾ドルで約2000元)の旅費も自己負担になる。多くの人はそんな馬鹿なことをと思うのだが、慈善活動に参加して人と人との誠実な関係を目の当たりにすると、自分の生活の中で心の底からの感謝の念が生まれてきて、そこから得るものは自分が差し出したものよりも遥かに多いのである。
華僑排斥の雰囲気の厳しいインドネシアという国の中にありながら、常に救いの手を差し伸べている慈済会の人々の努力が実を結び、次第にインドネシア人の華人に対するイメージも変ってきたと李健群さんは言う。今では青いシャツに白いズボンの慈済会ボランティアの制服で外に出ると、誰もが笑顔で迎えてくれるようになった。しかも宗教的色彩を伴わない慈済会の活動スタイルは、異なる宗教の人々も同じ活動に参加しやすくしている。
バタム島での無料診療の開幕式では、イスラムの祈祷文が静かに天からの音楽のように響いてくる。熱い太陽の下を行き来する慈済会のボランティアたちの深い青のシャツは、汗で濡れては乾き、乾いては濡れて、いつか白く塩が浮き上がってくるのだが、それも、まるで大きく開いた白い蓮の花のように見えるではないか。
離島の住民は埠頭から専用バスに乗って診療会場へ移動してくる。車を降りた患者たちはうれしそうな笑みをもらす。
(写真左から)手術室のシンクの設置、抜歯用具の分類、手術用具の消毒、厨房の整理など、慈済のボランティアはそれぞれの分担を手際よくこなし、一日で会場を臨時病院へと変えてしまう。診療中の食事も交代制になっていて、朝から晩まで休むことはない。
口唇裂の手術を受けた子供を抱く母親に、慈済のボランティアは術後の注意事項を丁寧に告げる。
バタム島の子供たちは歯医者に診てもらう機会が少ないため、麻酔をしていても緊張して大声を上げる。