湿地づくりの流行
ここ2年近く宜蘭県の各町村の公園やコミュニティ、学校、喫茶店などでは池を造るのがブームとなっている。邱錦和さんの指導で造られただけでも10ヶ所余りあり、台北や屏東の学校などからも教えを請いたいと連絡が入る。「学校が水生植物の株や種を取りに来るのは歓迎です」邱錦和さんはまた、人工池の設営の技術や知識の指導も進んで行っている。唯一の条件は、絶滅しそうな湿地植物が出てきた時、保護に協力してほしいということだけだ。
邱錦和さんが湿地のために奔走する情熱と行動力は、4〜5年程前から有名だった。だが湿地保護の舵取り役となったために、予想もしないこともあったという。
以前彫刻の工場を経営していた邱錦和さんは、1990年代に産業流出のために工場を閉鎖し、登山ガイドへと転職した。そして1996年、南勢渓という川の上流の松蘿湖に行き、台風で閉じ込められた固有生物研究保護センターの研究員を救い出したのだ。この時には、その後山に40日以上も留まり、調査記録を手助けをした。そのうちに湖や湿地の自然に興味がわいてきた。
ガマラン登山協会のガイドをしていた間、邱錦和さんはスターテレビ中国語チャンネルの「台湾探検隊」という番組で蘭陽湖のガイドを務めたこともあったし、高校の登山クラブも指導していた。彼は登山などのアウトドアスポーツに対する社会の偏よった見方を正したいと考えていたが、その頃宜蘭コミュニティ・カレッジが創設された。邱錦和さんは、これこそが彼の考えていた「大人を教育するチャンス」だと感じたのだ。以前台湾の湖を海外に紹介したくらいだから、カレッジに湖沼関連の講座を開き、宜蘭の人々にも蘭陽湖のことをより広く知ってもらいたいと考えた。こうして2000年、邱錦和さんは宜蘭コミュニティ・カレッジで「蘭陽湖の美」という講座を担当することになったのである。
学生を連れて宜蘭各地の湖や沼を歩く授業は大好評を博した。中には宜蘭の景色に惚れ込んで、桃園の家を売り払い宜蘭に家を購入した受講者も現れ、邱錦和さんを驚かせ感動させた。講座の勢いで次の学期には「湖沼生態研究クラブ」も発足し、さらに宜蘭各地の湿地の調査研究が進められるようになった。
湖を訪ね歩くうちに、彼らは宜蘭の多くの湖や湿地が、開発など人間の手によってひどく破壊されていることに気付いた。2001年末、邱錦和さんが学生を連れ、双連埤ねた時、ちょうど地主が土地の整備のために湖を掘り起こしているところに出くわした。多くの貴重な水生植物が雑草と見なされて捨てられていった。邱錦和さんや原野保護協会の人々の説得が聞き入れられなかったため、彼らは原生植物を救う運動を開始した。これがその後有名になった「双連埤事件」である。
双連保護から生態池の推進まで、邱錦和さんは湿地のために奔走している。日に焼けた肌がその苦労を物語っているが、この仕事に喜びを感じている。