
学生時代に彫塑学科で学び、基礎を身につけた阮文盟は、その後、長年にわたってアフリカ、ヨーロッパなどに滞在し、金工作品を創作し続けてきた。
青年期におけるアフリカのスワジランド滞在は、彼の視野を世界へと広げることになり、後のドイツ留学では、金属工芸やジュエリー・デザインの確固たる基礎を築いた。
そのような経歴ゆえに多様な文化を融合させた彼のスタイルには独特なものがある。そして彼は創作活動を通し、世界の現代金工アートとの結びつきを促すだけでなく、黙々と台湾のために国民外交に力を注いでいる。
台湾のジュエリー界にとって忘れ難い出来事、それは2012年6月~9月に黄金博物館で開催された「ドイツ現代金工大展」だ。
同展覧会ではドイツのプフォルツハイム宝飾美術館のコレクション100点余りが展示された。プフォルツハイムはドイツでも有名な装飾品作りの町で、装飾品や時計の製造で300年を超える歴史を持ち、金属工芸品の収蔵と技術は世界のトップクラスである。この展覧会開催を促したのが、「金工ハッピー・マイスター」と呼ばれる阮文盟だ。

神秘の西アフリカ(2014) 20×12×30.5㎝ グラナイト、黄銅、 黒檀、シルバー925
民間外交官
21歳から64歳の現在まで、スワジランドを皮切りにその後ドイツへ。そしてヴュルツブルク専門単科大学を始め、専門領域で15年間学んでトップクラスのライセンスを取得した。「自分に足りないものがあると思うと学校に行って学びました」と言う。その間、貴金属会社5社でデザイン・ディレクターを務め、またドイツのミッテルフランケン地方で宝石金銀細工及び宝石組合の理事長も務めた。学術機関で学ぶかと思えば、宝石練磨技術を高めるために中国の深圳にも赴き、またある時は病気の母のために台湾に帰国し、輔仁大学応用美術学科で教えたり、台湾工芸研究発展センター鶯歌マルチメディア研究開発分館の刷新にも加わった。台湾とタイの区別もつかないドイツ人に説明するうち、台湾文化に興味を持ち、文化交流に打ち込むようになったと本人は言う。この数十年に世界を巡り、台湾を世界に向けて発信する彼は、立派な民間外交官だと言える。
では、何が彼をドイツへと向かわせたのか。
人生には偶然と必然が混在する。国立台湾芸術専科学校彫塑科卒業の彼だが、芸術の才に恵まれ、早くも13歳で学校を休学して台北職業訓練局のデザイン・コースに申込む。そこでは印刷やデザイン画など、あらゆるものを貪欲に学んだ。だが彼にとって、学校の教科書をすべて合わせても、1973年出版の張心洽著『珠宝世界(ジュエリーの世界)』に勝るものはなかった。
張心洽は台湾初の開発銀行家であり、曽国藩の後継者であったが、中華民国で初めて米国宝石学会(GIA)の証書を取得した人物でもあった。彼の著した台湾初の宝石学の書『珠宝世界』は、子供だった阮文盟の心に種をまいた。
こうして芸術の道に進んだが、最初から金工をやったわけではない。一歩一歩探索が始まる。
芸専(現在の台湾芸術大学)彫塑科で、阮文盟は透視図法の基礎を学ぶ。「平面より立体のほうがおもしろく、奥が深いことに気づきました」思いがけず、卒業後すぐ国の海外技術合作委員会(略称「海合会」。国際合作発展基金会の前身)手工芸技術団の最年少の一員として、木彫指導のためにスワジランドに派遣が決まった。当時、外交部(外務省)と海合会の間でコーディネート役を担当していたのが「ミスター・アフリカ」と呼ばれた楊西崑で、阮文盟と台湾の外交関連部門との長く深い付き合いは、この時から始まる。
「ドイツ留学しなかったら、外交部で働いていたかも」とは言うものの、公務員や外交官の真面目さが自分には欠けているとも認める。ただ、芸術に関する創作、展覧、教育のすべてで、彼は台湾のために国民外交を実践してきた。

アクセサリー(2016) 41.5×14×40㎝ 黄銅、翡翠
芸術人生の始まり
スワジランドは、彼にとって初めて世界にふれた場所だ。木彫作業場には陶磁器や宝石も置いてあり、彼は指導の傍ら、初歩的な宝石練磨も学んだ。それが彼の才能を刺激、さらに学びたいという欲望に火がついてドイツ留学を決心する。
誰もが行きたがるアメリカでなく、なぜドイツなのか。「あ、ちょうどドイツ人と知り合ったのです」と彼は笑ってから、こう続けた。「未知の物への好奇心です。ドイツに行けば学ぶことがたくさんあるはずだと」これが本当の理由だ。
が、それはドイツ語と格闘する毎日だった。学校では理論を学び、貴金属店で実務訓練を受ける、いわゆるドイツのデュアルシステム(学術教育と職業教育が同時進行の制度)だが、当時の彼は、40数年後に台湾で自分がデュアルシステムの生きた教材になろうとは知るよしもない。
「人より、ドイツ人より抜きん出たいと思いました」学校では毎日試験があり、必死に勉強した。ドイツ社会に溶け込もうと努め、自分の肌が黄色いことも忘れるほどで、台湾語を話すのは家に電話する時だけだった。金属工芸に関する知識や技術だけでなく、芸術史や美学、物理、化学、心理学、カントの『純粋理性批判』までも学んだ。彼を支えたのは、旺盛な学習意欲のほかに、「途中で台湾に逃げ帰るのは恥だ」という考えだったと、彼は冗談めかして言う。
「もともと勉強好きだったのが、ドイツで萌芽し成長しました」貴金属店の仕事を通し、ジュエリー商業デザインで一流になれると確信が持てたが、それでは挑戦に欠ける。彼の夢は自由な創作、つまり、宝石や貴金属を素材に、前人の用いた、或いは自分で発明した多様な技法で、自然や思いを具象化することだった。「首飾」「人文肌理」「黄金亜熱帯」「山色幻影」「生命種子」「南投原郷」などの作品は、台北当代芸術館の2016年12月の個展「超金工・後彫塑」で展示され、金細工の手法が金細工の限界を超えること、彫塑によって従来の彫塑を脱構築することなどを示した。これが彼の創作理念である「金工に始まり、金工を超える」だ。彫塑といいながら、彫塑に対する再考、或いは定義の拡大となっており、またスタイルはシンプルで理性的なドイツ風なのに、台湾的思考がにじみ出る。ジャンル、文化、国境を越えた多様なものを正確に伝えている。

阮文盟の外交の使命は、1976年に国のスワジランド手工芸技術団メンバーに任命されたことで始まった。
人文思考と美学
「地球上のほとんどの材質を試しました」彼はまるで底のない穴を掘るように懸命に突き進んだ。苦労したが、同じだけの喜びもあった。
阮文盟は、現代アートは「現在進行形」だと考える。それは、個人の美意識や生活経験、環境、周囲の事物が互いに影響し合うことで、絶えず生まれる一種の美的探究であり、言語表現だ。彼は自分の作品の誕生を論理立てて説明するのが好きだ。作品「人文肌理」の前に立ち、植物の種から木の話までに及ぶ。「あらゆる構造物の表面に現れたものをテクスチャー(肌理)と言います。熱帯植物は生長が速いので、表面の目も荒いと思われがちですが、顕微鏡で見ると、そうではないことがわかります。シンプルなラインが巨大な物を支える。なんて美しいことでしょう」美とは一種の直観的な感覚だ。あらゆるものが阮文盟を感動させ、創作のインスピレーションとなる。
金工によって、いかにテクスチャーを再現するか。彼は人文の角度から、テクスチャーが人間にもたらす意義を分析し、素材の表現方法について考えた。それが「人文肌理」であり、またほかの作品も創作の発端は同じだ。「ですから作品を見るには作者が最初に表したかったものを見る必要があります。多くの評論は余計なことの付け足しに過ぎないのではないでしょうか」
台湾は故郷で、ドイツは彼を育ててくれた。とはいえ、彼は両国を背負ったりはしない。全世界が彼の故郷であり、今後も国際舞台で自分の芸術を展開していくつもりだ。
台湾の若者に言いたいのは「創作に地域性や枠組みがあってはいけない」ということだ。「アートだ、いやデザインだ、工芸だ、グラフィックだと境界を作り、それを越えられていません。商業ベースに乗せるとしても、まず芸術的な要素があってこそ価値が出るというものです」

黄金の亜熱帯(2003) 4.7×1.7×3.9㎝ シルバー925、750イエローゴールド
阮文盟金工学院
自由な心で、枠に縛られずに創作し、何ものにも遮られることなく世界を闊歩する。陳水扁総統の時代には、南投草屯の工芸研究発展センターを任せるという話や、新北市の黄金博物館からもお呼びがかかったが、彼は丁重に断った。さらに広い未来に踏み出そうという志があるからだ。
今後、大部分は愛する創作に捧げ、一部分で文化芸術外交を、また別の一部分を2017年に始まる「阮文盟金工学院」に割くつもりだ。
阮文盟金工学院に校舎はない。すべてのコンテンツをクラウドに置き、授業は移動式で、展覧会のある場所が授業の場だ。世界の展覧会場の設備を利用する。「その時は『光華』でも台湾を宣伝してもらいますよ」
イデオロギーなどなく、黙々と芸術創作によって台湾への愛を示す。世界のどこへ行っても、「阮文盟」が台湾であり、台湾を世界に向けて発信しているのだということを、彼は知っている。

亜熱帯の花園(1998) 4.2×2.1×2.6㎝ スターサファイア、ダイアモンド、750イエローゴールド、750ホワイトゴールド

原始の過客(2007) 11×4×20cm 銀、黄銅、銅

生命の種子(2007) 162×130㎝ 金属粉末、漆

2009年に中独文化経済協会は台独友好協会——竹友会がドイツのハンブルグで開催した40周年祝賀活動(台湾ウィーク)に参加した。協会の韓宜静理事長(左)、阮文盟副理事長(右から2人目)、林智信理事(右)らが招待されて出席するとともに、双方の友好協定に署名を交わし、当時の魏武煉ドイツ駐在代表(左から2人目)とともにハンブルグ市役所で記念撮影をした。阮文盟はハンブルグのElvchaussee画廊に招かれて展示と講演を行った。

パリの幻影(2014) 26×20×36㎝ 瑪瑙、黄銅

フォルム・ダイアローグ(2007) 150×150㎝ 金属粉末、漆

山門(2016) 25×22.5×23.5㎝ 黄銅、ステンレス、紫水晶

阮文盟は新北市の黄金博物館で「2012ドイツ現代金工展」の企画を担当し、当時の蔡宗雄館長やスタッフがドイツの金工学校を訪問した。

阮文盟は絵画を用いて作品誕生の理論を伝える。それは美意識や生活経験、周囲の空間や物事などが互いに影響しあって生まれる美の探求である。(林格立撮影)

オーストロネシアの故郷(2016) 7.7×4.4×2.7㎝ 瑪瑙、黒檀、シルバー935