関帝も賞でた人助けの心
研究過程で気づいたのは、鍵は植物の免疫を高める益菌の発見ということである。1983年、再び関帝をお参りして、導きを願い御神籤を引いてみると、なんと夜に指示を待てと言うものだった。そこで夜に座禅を組んでいると、翌日東に向えとお告げがあった。そこで翌朝、バイクに乗って東に向かい、お昼に竹東のミカン園でお弁当を使っていた時、何気なく頭をもたげると、木の葉が白い粉上の菌と胞子に覆われているのを目にしたのである。驚いた彼は「この菌だ」と叫んだ。
これは糸状の菌がコロニーを作り、外観はばい菌に似た放線菌で、世界で約9000種知られている。詳しい研究を欠いているため、農業用に使われているのは数種に過ぎず、蔡18菌はそのひとつである。
実際には、発見から研究、応用、推進まで、蔡東纂はほぼ18年の歳月を費やしたため、これを蔡18菌と名づけたのである。しかし、最初に蔡東纂の指導でこの菌を使った農家では、栽培するスイカやミカンが健康で活力を取り戻し、あたかも18歳の青少年のようだと言うので、蔡18菌の名前が広まっていった。
中でも尊いのは、蔡東纂がこの菌を売ることがなかったことである。10数年来、ペットボトルに詰めた菌を持って、台湾各地の農協を訪れ、農家にとっては呼べば助けてくれる生き菩薩となった。
多年にわたり、毎朝5時半には大学に向い、夜12時に家に帰り、毎週休みもなく、学校に来る農家の相談に応じる。助けを求める電話が来れば遠くまで出向き、早朝に南部の果樹園の現状を調査し、正午には講義のため大学に戻る毎日である。果樹園に病虫害が発生し収穫できなくなると、一家の生計が成り立たず、子供の将来にも影響するからである。多くの農家は目の前で子供に「お前たちが学校に行けるのは、蔡先生のおかげだぞ」と言い聞かせる。
しかし、農家を救う蔡18菌は農薬会社のビジネスを奪うため、蔡東纂はしばしば脅しを受けた。武術館2軒を擁する彼は、武術の心得があるが、闇討ちは防ぎようがなく、家族に心配をかけていることも申し訳なく思う。農薬会社の中には6000万元の値をつけ、特許の買取を申し出た会社もあるが、蔡東纂は心を動かさなかった。
利益の誘惑や脅しに対し、蔡東纂はかつての名利に囚われず人助けする誓いを忘れていない。指導を受けた農家の1年の収入が、彼の10年の給与を上回ることもあるが、その草の根精神は変わらず、農家はお金を稼ぎ、私は侠気を稼ぐと話す。
中興大学で毎月開かれる「農民学堂」がいつも満席になることから、農家がいかに専門知識を求めているかがわかる。ここでは作物の病気の診断も行ない、農家の支えとなっている。