時空の手掛かりをつなぐ
私たちが取材に訪れると、鄧慧恩は台南のベテランガイドである林建農に依頼して、作品に描かれている重要な景観を案内してくれた。台南師範学校(現在の台南大学)、関帝廟、台南運河、台南神社跡(現在の台南市立美術館二館)などだ。現在の台南大学は、王雨卿が用務員から博物館助手まで務めた場所だ。王はここで日本人の牧茂市郎博士(1886-1959年)と出会い、大きな影響を受けることとなる。
続いて台南運河を訪れた。1937年の夏、運河の水面が奇妙な光を放つようになり、人々は不安にかられていた。当時王雨卿はすでに病に伏せていたが、それでも自ら運河を訪れてサンプルをとり、原因を研究した。そして夜光虫がいることを発見して文章を発表し、人々の不安を取り除いたのである。これが『亮光的起点』のタイトルの由来である。
「歴史小説が描く雰囲気の構築は、その時代の資料の正確さにかかっています。年代の深さと、描かれる地理的環境が組み合わさって空間感が生み出され、作中の人物がさらに立体的になります」と鄧慧恩は言う。王雨卿が暮らした風景を再構築し、妻である佐伯操との民族を越えた愛情を描くため、鄧慧恩は歴史の隙間に合理的な物語を織り込んだ。「王雨卿は台南の神農街、つまり関帝廟前のあの小道の出身です。そこで、小説では関帝廟の中の月老(縁結びの神様)の祠を取り上げ、王雨卿が手作りのチョウの標本を彼女に贈るところを描きました」と言う。
写真は、王雨卿が幼い頃から暮らしていた地域の月老祠。