人と樹木の共生
台湾の植物の豊かさは外来の品種によって彩りを増してきたが、在来種の物語も人々を感動させるものだ。
現在、新型コロナウイルスの脅威はすでに低下しており、国境の出入りも自由になったが、パンデミックの期間中は、7日+7日の隔離政策が人々の暮らしに深く浸透していた。しかし、「台湾では実はもっとずっと昔から7日間の隔離が行なわれているところがありました。パイワン族にその習慣があったのです」と楊智凱は急に話題を変える。かつてパイワン族の集落の入り口には、アカギと雀榕(Ficus subpisocarpa)が植えられていた。いずれも標高の高くないエリアでよく見られる大樹で、集落と外部との境界線を示していた。彼らはこの木の下に小屋を建て、外部から集落に入る人をここでまず7日間隔離し、健康状態に問題がないことを確認してから、ようやく集落に入れたのである。「コロナとは無関係に、大昔から行なわれていたのです」と言う。
アカギと言えば、幹は褐色で、樹齢が高い木の幹にはこぶ状の突起が見られるので見分けがつく。台湾には「相手がいれば話をし、相手がいなければアカギと話す」と言う言葉がある。友人とアカギの木の下で待ち合わせをし、相手がまだ来ていなければアカギと向き合って話をすればいいという意味だ。「これは人と樹木との間の大切なつながりを意味しています。樹木は人に特別な安心感を与えてくれるのです。これは一種の哲学で、心の拠り所を意味するのではないかと思います」と楊智凱は言う。
これら数々の樹木の中で、楊智凱は、特に台湾原生のセンダンの木を推薦する。樹木の形は美しく、薄紫色の小さな花をたくさんつける。3~4月の開花の時期には木全体が紫色に染まり、ロマンチックな雰囲気を醸し出す。しかし、センダンは華語の名称を「苦楝」と言い、その名称からか、昔はあまり好まれていなかった。「『苦』というのは果実に苦みがあることを指し、『楝』は精錬できることを意味します。繊維を取り出す時に繊維の純度を高められるのです」と言う。だが、実はセンダンは宝の木であり、そのほとんどの部位が利用できる。葉を一枚とってバナナの上においておけば、完熟させることができ、葉を水で煮れば殺菌作用があり、皮膚に用いることができる。花からは精油を作ることができ、金色の実は「金鈴子」といって漢方薬の一つに挙げられる。塩分にも強いため浜辺に植えることも可能だ。昨今は花の季節ごとに美しい写真を撮りに行く人が増えている。海外のサクラと同じように、台湾ではセンダンを愛でに行ってはどうだろう。
台湾の多くの地名や景観も樹木と関わっていて、そこから歴史や昔の景観などを読み取ることができる。オランダの建築家フランシーヌ・ホウベンが高雄に衛武営国家芸術文化センターを建てた時、その土地にしっかりと根を張り、ひげ根を複雑に絡み合わせたガジュマルの木にインスピレーションを得て、そこに開放的で動きのあるガジュマル広場を設けた。
最近、映画『悲情城市』が再上映されたことで再び注目を浴びている「九份」の街だが、この地名もクスノキと関連がある。台湾はかつて世界に知られるクスノキ王国だった。九份ではもともと山一面がクスノキに覆われており、樟脳作りが盛んだったのである。当時は樟脳を蒸留する窯が十口で一份と呼ばれ、「九份」というのは90の窯があったことを意味している。実は樟脳作りのためにはクスノキを根こそぎ伐採し、チップにして精油を抽出するため、クスノキを切りつくした後に、その下に金鉱が見つかり、そこから鉱山としての九份の歴史が始まったのである。この物語から分かる通り、他にも「份」の字が入った地名があれば、その多くは樟脳生産と関わっていたのである。