シラヤ語の授業を受ける ――台湾初のシラヤ小学校

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2017 / 10月

文・鄧慧純 写真・林旻萱  翻訳・松本幸子


文献によれば、1963年、オランダ人はシラヤ族の住む新港社に台湾初の学校を設け、ローマ字でシラヤ語を教えた。2016年8月1日、台南市新化区の口埤小学校は「口埤実験小学校」に転身した(実験小学校では最新の教育方法が試験的に導入される)。エコロジーとシラヤ語授業を特色とした、全国初のシラヤ小学校となり、週に1回、全校でシラヤ語の授業が行われる。王朝賜校長は、「300年途絶えていたものを、再び繋げただけです」と言う。


2017年の夏休み、口埤小学校では子供たちがボードを指差しながら、アカクル(カンムリワシ)、ハリバンバン(蝶)、アトゥラトゥラウ(フクロウ)といったシラヤ語の単語を、先を争うように答えている。これは1年間にわたるシラヤ語授業の成果だ。

口埤小学校の転身

1920年創立の口埤小は、台湾の小学校の中でも長い歴史を持つが、一度は生徒数不足で統廃合の危機に見舞われ、3年前に王朝賜が校長として赴任した際には、児童数わずか30数名だった。「地域の人々は明確な危機意識を持ち、学校の存続を願っていました」そこで、特色ある学校造りをすることで入学者数を増やそうと、王朝賜の挑戦が始まった。

台南市は全国で最も早くシラヤ族を認定した自治体だ。市はシラヤの「正名運動」に応え、それが教育にも反映されるべきだとし、シラヤ語がユネスコの言う「消滅言語」ではなく復興中であることを人々に知ってもらうべきだと考えた。

「シラヤは、台湾でも特別なエスニックグループです。17世紀の大航海時代には、台湾で初めて世界と接し、外界との交流が最も盛んでした」と王朝賜は言う。市の教育局からの要請で、王朝賜は口埤小の転換に取り組むことになった。実はその数年前から、口埤小ではクラブ活動の形式で二つのクラスを作り、多学年の生徒がともにシラヤ語を学んでいた。

「シラヤ語を正規のカリキュラムに組み込む狙いは二つありました。一つは、長きにわたってシラヤ文化の復興に努めてきた人たちへのレスポンスです。もう一つは、カリキュラムに組み込むことで、教育目標やシラバスデザイン、カリキュラム評価などのシステムが整い、ひいてはシラヤ語復興を促進できると考えました」と王朝賜は言う。そこで彼は保護者や地域住民と話し合いを持ったうえで、週に1回のシラヤ語授業を必修科目とした。また国際的に使用され、かつ9割が英語に類似したローマ字表記を用いることで、児童が後に英語を学ぶ際にも役立つと考えた。

子供たちのシラヤに対する理解はまだ浅かったが、授業ではゲームなどを通して楽しみながら徐々に親しんだ。王朝賜も校内で、「マリヤン・ワギ(こんにちは)」「ラルルッ(ありがとう)」「マハンル(さようなら)」など、シラヤ語で児童に声をかけ、授業で学んだ言葉が生活に結びついた話し言葉になるように努めた。「言葉が内在化し、どこででも使えるようになれば成功です。子供の生活は地域にありますから、使える知識(言語文化)を教えること、それを私たちは大切にしています」と王朝賜は言う。

50歳の手習い

台南市のシラヤ語教師は、主にシラヤ文化協会で養成され、現在約10名の教師が台南市の小中17校で教鞭を執る。王朝賜はシラヤ文化協会との連携に努める。教育は文化復興のすそ野を広げると考えるからだ。それに協会は言語の文書化や普及率向上など、シラヤ語復興を更に系統的な整ったものにしようと努めている。やがてその効果はさらに拡大し、音楽や演劇、文学といった創作活動も盛んになるだろう。

「2009年5月14日は私のシラヤ誕生日です」と、シラヤ語教師の李玉霞は嬉しそうに言う。彼女は日本統治時代の家族の戸籍を調べ、そこに「熟」の記載を見つけた(当時日本は、台湾の先住民を高山に住む「生」と平地に住む「熟」とで区別した)。つまり、自分はシラヤだったことが確かめられたのだ。長女だった彼女は幼い頃から男尊女卑の考えに困惑を感じていた。これも、シラヤが母系社会だったことを考えればつじつまが合う、と彼女は言う。

50歳を過ぎての手習い(シラヤ語学習)だと李玉霞は恥ずかしそうに笑う。若い時の語学学習は成績のためだったが、シラヤ語学習はアイデンティティのためだった。彼女は自分のシラヤ名を「ハール」とつけた。「役立つ」という意味だ。彼女は萬益嘉編纂の『シラヤ語彙初探』を読み、そこに幼い頃よく耳にした言葉を見つけた。皆はそれが台湾語だと思っていただけなのだと知り、感慨深いものがあった。

1965年生まれの穆伊莉もシラヤ語教師だ。彼女は社会に出て初めて自分がシラヤだと気づいた。思い出すのは、子供の時、学校で本籍地調査があるたびに、家族が言葉を濁して答えをはぐらかすような態度をとったことだ。「かつて差別されたつらさを、若い世代に経験させたくなかったのでしょう」と彼女は説明する。

家系図を調べ、穆伊莉は父母双方にシラヤの血が流れていることを知った。シラヤが昔の戸籍でいう「熟」なら、自分は「半熟」などではなく、「全熟」だと、彼女はおどける。

2006年に文化協会が言語復興を開始したのとほぼ同時に、彼女はシラヤ語を学び始めた。学んだことは多くないので、教えられることも少ないが、最初の授業ではまずシラヤ文化の概略を説明していると言う。今や「自分は先住民である」と堂々と言える社会になったものの、先住民文化に対する子供たちの理解はまだ充分ではない。「出草(敵の首を狩る習慣)って何?」と聞いてきた子供がいたが、そういう場合は「ただその行為だけを見るべきではなく、風習の背後には長い歴史や文化があるのだ」と教えている。

シラヤ語教師になった動機を問うと、「誰かが教えないと誰も話せなくなって、言葉は死に絶えてしまいますから」と、穆伊莉は使命感をにじませる。

若い世代によって

シラヤ文化協会理事長の萬淑娟はこう言う。「おもしろいのは、先住民語の伝承と言えば、お年寄りが主に担うものですが、私たちの場合、若い世代が多く関わっていることです」

穆益新、萬森澤、萬森冷、萬盈緑といった若者も、幼い頃から文化協会のOnini竹音楽団に加わり、歌を通じてシラヤ語に接してきた。高校ではシラヤ語文法を詳しく学び、今では台南市でシラヤ語復興を推進する教師やアシスタントとして第一線で活躍する。

23歳の萬森澤は、消滅の危機に瀕したシラヤ語を復興させる時期にちょうど巡り合せ、自分は幸運だと感じている。ダキ・ドモックというシラヤ語名を持つ29歳の穆益新は、シラヤ語教師になって満1年、口埤、正新などの学校で教えている。同じような教育環境で育ったこの二人は、シラヤ語に接して20年余りになる。下の世代にシラヤ語を教える際も、自分たちが習った方法、つまり歌やダンスを用いる。教え子たちを見ていると、以前の自分を見ているようだと萬森澤も言う。習ううちにシラヤへの帰属意識がだんだん強まり、若い世代としての責任を果たしたいと思うようになっていった。

口埤小学校では、子供たちがお尻を振りながら両手を合わせて頭上に伸ばす動作をしていた。まるでアニメ「となりのトトロ」に出てきた「芽が出るおまじない」のような格好だ。歌っているのはシラヤ語の「種まき歌」で、歌詞の意味は「一粒、二粒、種をまき、一滴、二滴、雨降れば、一輪、二輪と花が咲く」だという。この歌詞のように、こうしてまかれたシラヤ語の種も、日光や雨の恵みをたっぷりと受け、やがてたくましく成長していくことだろう。

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上一堂西拉雅語課 台灣第一間西拉雅小學

文‧鄧慧純 圖‧林旻萱 翻譯‧Phil Newell

根據文獻記載,1636年,荷蘭人在西拉雅族的新港社開辦了台灣第一所學校,以羅馬拼音教授西拉雅語。2016年8月1日,台南市新化區口碑國小轉型更名為「口埤實驗小學」,成為全國第一間西拉雅小學,以生態及西拉雅教學為特色,每周一堂全校必修西拉雅族語課。校長王朝賜說:「我們現在只是把中斷了兩三百年的時間,再延續下去。」

 


 

2017年暑假,在口埤實小的校園內,孩子們在教學牆前,興高采烈地指著牆上的akakul(大冠鷲)、halibangbang(蝴蝶)、aturaturaw(貓頭鷹),爭先恐後地秀著西拉雅語,再長的單字都不怕,這是推動西拉雅語一學年的成果。

口埤國小轉型

口碑國小創立於1920年,是一間已有97年歷史的祖母級國小。早些年曾一度面臨人數不足被裁併的危機,3年前王朝賜剛接下口碑國小校長職務時,學生人數才三十多人,「社區成員有很深的憂慮跟危機意識,希望學校能永續。」因此尋找學校特色,吸引學子入學,便是王朝賜面對的挑戰。

台南市是全國最早承認西拉雅族身分的地方政府,市府認為配合西拉雅族正名的訴求,也應展現在教育層面,讓大眾知曉西拉雅語其實不是聯合國教科文組織所稱的「滅絕語言」,它正在復育中。

「西拉雅族是台灣很特別的一個族群,在17世紀大航海時代,它是台灣與國際接觸的第一個族群,也與外界互動最深。」王朝賜說。在教育局的指派下,王朝賜著手推動口埤國小轉型。但其實早些年,口碑國小就以課後社團的形式,將全校分成兩個班,以混齡的方式進行西拉雅語言教學。

「我們思思念念地想讓西拉雅語變成正規課程有兩個用意,其一是對於長期努力推動西拉雅文化復振運動者的回應;其二是要讓西拉雅的課程制度化,制度化才能使語言教育從『教學目標』、『課程設計』到『課程評量』有完整的規劃,如此西拉雅語復育才能發揚。」王朝賜說。為此,他與家長會、社區溝通,每周安排一堂必修的西拉雅語課,用國際通行的羅馬拼音搭配教學,羅馬拼音有九成與英語相似,能降低學生對於日後學習英文的陌生感。

孩子們對身分認同尚一知半解,但是藉由遊戲的引導勾起學習的興趣,植下文化的種子。在校園內,王朝賜不時用西拉雅語「Tabe」(你好)、「Mariyang wagi」(日安)、「Lalulug 」(謝謝)、「Mahanlu」(再見)跟學生們互動,讓語言學習能夠生活化、口語化。「將語言內化成帶得走的能力才是成功」,「因為孩子的生活是屬於社區的,教導他們有用的知識(語言文化),是我們堅持的。」王朝賜說。

台南市西拉雅族語師資主要由西拉雅文化協會培訓,目前約有10位族語老師在台南市17間國小、國中服務。王朝賜勤與西拉雅文化協會互動,他認為教育是文化復振的推動端,協會努力使西拉雅語復育更趨完整、系統化,就能加速書面化及普及率。如此一來傳播效果便能擴大,歌曲、戲劇、文學等創作活動日益活絡,產生大範圍的影響。

五十歲才牙牙學語

「2009年5月14日是我西拉雅的生日」,西拉雅族語老師李玉霞歡喜地說。她調閱日據時期家族的戶籍,在資料上看到「熟」字(日本政府以「生」、「熟」區別台灣高山原住民與平地原住民身分)確認自己西拉雅族的身分,也明白許多小時候的不解;「我是家中長女,但是媽媽很重男輕女,對此我很不以為然,知道身世後,因為西拉雅是母系社會,讓我以前許多的疑惑都得到說明。」李玉霞說著這段心路歷程。

五十多歲才開始牙牙學語(西拉雅語),李玉霞笑得有點靦腆。年輕時學語言是為了分數,但學西拉雅語是因為身分認同。她替自己取了西拉雅名字「haar」,「就是『有用的』的意思」。研讀萬益嘉編纂的《西拉雅詞彙初探:以新港語馬太福音研究為主例》,意外發現許多小時候熟悉的辭彙還保存在族人的口語中,只是族人都以為是台語,這經驗讓她更有感觸。

1965年出生的穆伊莉也是族語老師。她是入社會後才覺察自己平埔族的身份,繼而憶起兒時每逢學校籍貫調查時,長輩支支吾吾、言詞閃爍的態度。「可能曾受過汙名化的辛苦,所以不想讓後輩遭受這樣的待遇。」她解釋道。

查閱祖譜,穆伊莉發現父母雙方都是西拉雅血統,她開玩笑說自己是「全熟」,不是五分,也不是七分。

2006年文化協會開始推動語文振興,她從頭開始學習西拉雅語。穆伊莉謙稱自己學得也不多,所以能教得更少,但她的第一堂課會先跟孩子概述西拉雅的文化。現今台灣原住民已能坦蕩地表明其身分,但孩子對原住民的文化內涵還欠缺了解,曾有孩子好奇什麼是「出草」,她會跟孩子說明,這背後有龐大的文化脈絡,非單一行為能理解。

當族語老師的動機呢?「語言要傳承,就要有人教,沒人說了,就真的會被埋葬了。」穆伊莉帶著使命感說著。

年輕世代接棒

西拉雅文化協會理事長萬淑娟說:「比較有趣的是,過去原住民的族語多是耆老在傳承,而我們是年輕人投入蠻多的。」

穆益新和萬森澤、萬森泠、萬盈綠等年輕世代,從小就參加文化協會下的Onini 竹音樂團,從歌謠接觸到西拉雅語,到了高中時期深入學習西拉雅的文法構句,如今都是台南市推動西拉雅語復興的第一線教師及助教。

23歲的萬森澤表示,他覺得蠻幸運能躬逢西拉雅語由一個瀕臨滅絕轉而復興的時代。29歲的穆益新,西拉雅名為Daki Domok(大其穆,為古西拉雅名),擔任族語老師資歷剛滿一年,任教在口埤、正新等學校。他們兩人有相似的成長過程,至今接觸西拉雅語已有20年之久。他們也用從小學習西拉雅語的方式,以歌謠、舞蹈教導年輕的一代,「這經驗跟小時候很像,好像看到兒時的自己。」萬森澤說。因為這段經歷,讓他們對西拉雅更有歸屬感,也更願意擔負起年輕人的責任。

在口埤實小校園內,一群孩子扭著屁股,搭配手向上爬升,像是日本卡通《龍貓》中祈願樹苗快速生長的儀式動作,唱著西拉雅語的「播種歌」,歌詞是說:撒下一粒、兩粒的種子,落了一滴、兩滴雨,就能開出了一朵、兩朵的花。希望西拉雅語的復育,也能如歌詞一樣,在播下種子後,有陽光雨水的滋潤,漸漸茁壯復興。                                                      

Let’s Learn Sirayan!—Taiwan’s First Siraya Elementary School

Cathy Teng /photos courtesy of Lin Min-hsuan /tr. by Phil Newell

According to historical records, in 1636 the Dutch set up Taiwan’s first school in ­Sinckan, a community of the Siraya indigenous people, using the Latin alphabet to write the Sirayan language. On August 1 of 2016, ­Koupi Elementary School in Tai­nan City’s Xin­hua District became the first Si­ra­yan primary school in modern-day Taiwan, featuring ecology and the Si­ra­yan language as its special characteristics. Each week every student must attend a compulsory class in the Si­ra­yan language.

 


 

During summer vacation of 2017, on the campus of ­Koupi Elementary School, children stand in front of the teaching wall, clearly in high spirits, pointing to the words aka­kul (“crested serpent eagle”), ha­li­bang­bang (“butterfly”) and atu­ra­tu­raw (“owl”) as they vie to show off their Si­ra­yan language skills, and are unintimidated no matter how long or difficult the words. This is the result of one academic year of promoting the Si­ra­yan language.

The transformation of Koupi Elementary

Koupi Elementary School was founded almost a century ago, in 1920. Several years back, for a time it was in danger of being absorbed into another school because there were too few children. When Wang Chao-tse took over as principal at ­Koupi three years ago, there were only 30 or so students. “The people in the community were deeply concerned and had a sense of crisis, because they wanted the school to be preserved.” Thus Wang was faced with the challenge of giving the school some special character that would attract students.

Tainan City was the first local government to recognize the status of the Siraya indigenous people. The city government felt that this recognition should also be reflected on the educational front.

“The Siraya are a very special group in Taiwan,” says Wang Chao-tse. “In the 17th century, during the Age of Discovery, they were the first people to have contact with outsiders, and they were the first window on the international scene for Taiwan, having the deepest interactions with the outside world.” Having been posted to ­Koupi Ele­ment­ary by the Tai­nan City Bureau of Education, Wang set about promoting a transformation of the school. But in fact, a few years earlier ­Koupi had already begun teaching the Si­ra­yan language, in the form of an after-school club with students divided into two mixed-age groups.

“We were determined to make Si­ra­yan a formal class for two reasons,” explains Wang. “The first was to give a positive response to activists who had long been working to revive Si­ra­yan culture. The second was to make the Si­ra­yan curriculum part of the school system, because only with systemization can language education be comprehensively planned, from instructional goals and curriculum design to curriculum evaluation. Only in this way could the revival of the Si­ra­yan language develop and flourish.” This is why, after communicating with parents and the community, he arranged for one compulsory class in Si­ra­yan each week. Teaching the class using Romanization—that is, writing Sirayan with the Latin alphabet—has the side benefit of reducing the sense of strangeness students will later feel when they begin studying English.

Students are still a little unclear about recognition of their indigenous identity, but through games their interest can be sparked and cultural seeds planted. On campus, Wang Chao-tse will occasionally interact with the students using Si­ra­yan words like tabe (“how are you”), ma­ri­yang­wagi (“have a good day”), la­lu­lug (“thank you”), and ma­hanlu (“goodbye”), so that learning and using the language becomes a natural part of daily life.

Teachers of Si­ra­yan in Tai­nan City are mostly trained by the Siraya Culture Association (SCA). There are currently about ten language instructors working in 17 primary and middle schools across Tai­nan. Wang Chao-tse is dedicated to working with the SCA. He believes that education is a driver of cultural revival, and that the SCA is making the revival of Si­ra­yan more comprehensive and systematic, and also making it easier for the written form of the language to become established. This will broaden the impact of efforts to promote Sirayan.

Starting a language at age 50

“May 14 of 2009 was my Si­raya birthday,” says Si­ra­yan language teacher Haar Ta­vali happily. When looking over some household registrations of her family from the Japanese era (1895‡1945), she saw the term juku (referring to assimilated indigenous people) in the data, and she became sure of her identity as a member of the Si­raya tribe.

Haar Ta­vali laughs somewhat bashfully when admitting that she only began studying Si­ra­yan herself after age 50. When she was younger the purpose of studying languages was to score higher grades, but right from the start her study of Si­ra­yan was about embracing her identity. She discovered, somewhat to her surprise, that many words that she was familiar with as a child still survived in the daily conversation of Si­raya people. It’s just that most ­Si­raya thought these were Taiwanese dialect words, and this experience gave her an even greater sense of purpose.

Ily, born in 1965, is another teacher of Sirayan. She only discovered her identity as a ­Pingpu (plains) Aborigine after leaving school and entering the world of work.

Reading family genealogies, Ily discovered that both her parents were of Si­rayan blood. She laughs as she says she is completely “assimilated,” not just halfway or even most of the way.

When the SCA began promoting a language revival back in 2006, Ily started studying Si­ra­yan from scratch. She says modestly that she has not learned much, and so can teach even less, but in her first class she always begins by outlining Sirayan culture to the children.

What is her motivation for becoming a Sirayan language teacher? “If you want to pass a language along, you have to have someone to teach it. If no one speaks it, then it really will be dead and buried,” she says.

The younger generation takes the baton

SCA chairwoman Uma Ta­la­van says, “What’s interesting is that in the past indigenous languages were mostly kept alive by the elderly, but we have quite a few young people getting involved.”

Members of the younger generation including Daki Do­mok, Wagi Ta­la­van, Oni Ta­la­van, and Euphony Ta­la­van came into contact with the Si­ra­yan language as children through songs, and when they got to high school they studied Si­ra­yan grammar and sentence structure in depth, so that today they are in the front line of teachers and assistants promoting the revival of Sirayan.

Twenty-three-year-old Wagi Ta­la­van says he feels fortunate to be living in an era when Si­ra­yan is going from being an endangered language to a renaissance. Twenty-nine-year-old Daki Do­mok has just completed his first full year as a Si­ra­yan language teacher, and he teaches at schools that include Koupi Elementary and ­Jheng Sin Elementary. The two of them share similarities in how they grew up, both being in contact with the Si­ra­yan language for 20 years. Today they use the same methods through which they learned Si­ra­yan as children, teaching the younger generation through songs and dance, because this process gives them a greater sense of “belonging” in the Si­ra­yan cultural world, and makes them all the more willing to take on responsibility for the young.

On the campus of ­Koupi Elementary School, a group of children are singing the Si­ra­yan “Song of Sowing Seeds.” Twisting their behinds, they accompany the music by stretching their arms upwards as if to climb. It is reminiscent of the ritual in the Japanese cartoon My Neighbor To­toro in which the characters pray for their seedlings to grow quickly. The lyrics say: “Sow one seed, sow two seeds, one drop of rain falls, two drops of rain fall, then one flower can bloom, two flowers can bloom.” Let us hope that the revival of the Si­ra­yan language is like the words of this song—after the seeds are sown, with sunlight and the moisture of rain they can gradually produce a robust rebirth.                  

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