春節の小さな集まり
そんな時、私は自分でも不思議だと思うのだが、年上の従妹に電話をかけた。多くの従妹の中で一番年上の彼女は私とは年齢の差もあり、子供の頃に一緒に遊んだ仲でもないし、大人になってからの境遇も大きく異なる。が、それでも彼女に電話をしたのは、私と同じキリスト教徒だからだった。私は彼女に、怖くて不安でたまらない胸の内を語った。人生はピークを過ぎ、下り坂に入ったのだ、と。
私が期待した通り、従妹は私をとがめることもなくこう言った。「皆もういい年だから、これからは春節に皆が返ってきた時に、私たちだけで集まって過去や今後のことを話しましょう」
こうして、ここ数年は春節で家族が集まるたびに、私たち8人で小さな集まりを持つようになった。私と私の夫、姉夫婦、弟夫婦、そして従妹夫婦の8人だ。私にとってこの小さな集まりは、参加できないと一年中落ち着かないほど大切なものになった。私たち8人は全員キリスト教徒で、それぞれこの一年の自分や家族のあれこれを話して互いに関心を寄せあい、最後は皆で痛みを分かち合い、祈りを捧げて祝福しあう。
この8人が集まるようになるとは、若い頃には想像さえしなかった。それほど親しい関係ではなかったからだ。従妹とは年も離れているし、境遇も異なり、心の内を語ることはなかった。弟とも高校進学で遠く離れて疎遠になり、春節に会っても、互いに子供の世話や料理の手伝いに忙しく、表面的な会話しかしていなかった。特に従妹とこれほど親密な関係が持てたことは不思議としか言いようがない。彼女は私よりずっと年上で、私が小学生の時に、彼女が20歳の誕生日を迎えたのを覚えている。その時は「20歳なんて信じられない。そんなに年を取ったら、私だったら自殺する」と本気で思ったものだ。それが今は、心の中のどんな思いも分かち合える大切な人になったことに自分でも驚くほかない。
私たち8人は異なる人生を歩むうちに、互いに全く影響を及ぼし合うこともなく、それぞれのきっかけでキリスト教徒になり、今はこうして心を寄せ合っている。
新年は恩恵を数え上げ、一年の愛と希望を祈る時でもある。