風と海と夕日と——

自転車で行く苗栗県「海線」
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2019 / 4月

文・鄧慧純 写真・莊坤儒 翻訳・松本 幸子


さかのぼること1922年、苗栗から彰化の海岸沿いを走る鉄道「海岸線」(通称「海線」)が開通し、物資輸送の増大とともに沿線の町も栄えた。だが、鉄道輸送はやがて高速道路に活躍の場を奪われ、海線はさびれていった。それでも列車は変わらず田園と海岸の間を疾走し、沿線の古い木造駅舎は百年の鉄道文化を懐かしむ空間になっている。

苗栗の海線沿線には、ほかにも白沙屯の拱天宮媽祖廟や、故郷にUターンした若者たちが組織する「掀海風」など、美しい風景を織り成す存在がある。

今回我々の自転車の旅は、台61号線を走り、苗栗の「海線」を訪ねてみた。


台湾鉄路の山線と海線は台湾の鉄道でも最も懐かしさを感じる路線だ。北は竹南駅で線路を分かち、彰化駅で再び1本になる。海線の五つの駅は日本式木造駅舎が残るので鉄道ファンに「海線の五宝」と呼ばれるが、そのうち談文、大山、新埔の3駅はいずれも苗栗県にある。

列車を追う旅

今回の旅のスタート地点は談文駅だ。かつては造橋の木炭、公館の赤瓦、南庄の石炭といった各地の物産の輸送中継点として談文駅は栄えた。古くは「大山脚駅」という名だった大山駅は、苗栗の後龍にある。そして通霄にある新埔駅は、西部幹線では最も海の近くにある駅で、駅を出ると目の前に海が広がる。

純朴なたたずまいのこれらの駅が建てられたのは1922年、すでに100年近い歴史を持つ。建材は杉で、切妻屋根に円型窓、また柱上部の筋交いや版築などが特徴だ。貨物輸送量の縮小によって発展からは取り残されたが、むしろそのおかげでこれらの駅は、海線開通時代の建築様式を今にとどめている。

再び台61号線に戻って自転車を走らせる。このルートには、鉄道ファンなら必ずSNSなどにシェアしたがる撮影スポットがある。台61号線106.3キロ地点から脇道に入り、西湖渓河口付近で西方向にカメラを向けると、列車と風力発電の風車、そして背景に海が収まる場所があり、夕方には夕日も入る。我々は、龍港駅から白沙屯駅への列車時刻を計算して待ち、三叉河橋を通過する瞬間をとらえて連写した。

近くの旧過港トンネルも訪れたいスポットだ。台湾のトンネルでは最も低い海抜にある。1970年代の鉄道電化で線路が他所に移されて以来、この3本のトンネルは使われなくなっていたのを、今は自転車道を通して照明もつけ、散歩やサイクリングが楽しめるようになった。トンネル内部は馬蹄形に赤レンガを積み上げた設計で、天井には今も蒸気機関車の煤が残る。

トンネルの外には「過港貝化石層」があり、むき出しになった地層に無数の貝の化石が見える。今は海岸から0.5キロ離れているが、100万〜600万年前には海中にあった証拠で、台湾が隆起を続けているという生きた地理教材となっている。

電車レストラン「石蓮園」

引き続き台61号線を下り、海沿いの細い道を行くと、電車レストラン「石蓮園」が現れた。経営17年目になる「石蓮園」は、廃車となった車両を海岸の景観が楽しめる場所に置き、レストランと民宿に作り変えたものだ。

オーナーの駱石蓮さんは家が白沙屯にあり、学生時代は海線に乗って竹南に通った。1970年には台湾鉄路公司の就職試験に合格、その頃はまだ蒸気機関車が走っていた。毎日やはり海線で通勤し、またたくうちに33年が過ぎた。

一度、視察でインドを訪れた際に寝台車に乗り、台湾にはないので興味深く感じた。そして「定年退職したら、列車でレストランと民宿を経営するのも悪くない」と思いついた。

列車を買うのは容易だったが、難しいのは運搬だった。鉄スクラップ1キロ1.2元という価格で、30トンの車両を5両買ったが、運送費が100万元もかかった。大き過ぎるので一般道を夜間に運搬するしかなく、高雄から苗栗まで2晩かけたからだ。途中の踏切りでは、送電停止を申請して電線を持ち上げたりしなければならず、最後には50トンクレーンを2台動員して車両を設置した。

駱石蓮さんは車内を指差して言った。「この600形電車は1940年代に日本人によって作られたものですが、ステンレスの荷棚や窓など、今でも十分使えます。日本の技術の高さがわかりますよ」と言う。

鉄道レストランにはオープン以来、多くの客が訪れ、鉄道ファンなら内装や車両の下の台車まで詳しく見ている。また、電車に揺られた昔を懐かしみながら、車窓から海や夕日を楽しむ人も多い。海を眺めるにはまさに一等席だ。

信徒とふれあう媽祖

苗栗の海線一帯の信仰の中心である白沙屯拱天宮も忘れてはいけない。決して大きいとは言えない廟だが、毎年旧暦3月の媽祖生誕日に合わせ、媽祖像とともに多くの信徒が雲林北港まで練り歩く。400キロ以上の道のりだが決まったルートはなく、すべては媽祖のご意向のままに進む。

拱天宮の林幸福・委員は「うちは伝統を厳しく守ってきました。それが今や白沙拱天宮の特色となったのです」と説明する。

昔は多くの廟でこうした練り歩きを行なっていたが、時代とともに大型バスでの移動が普通になったのを、白沙屯だけが徒歩を守り続ける。それに、媽祖様のご意向に従って毎回ルートが変わるのも、各地の人々との結びつきを深めている。白沙屯の媽祖は自ら信徒のところに出向いていくというわけで、毎年何万人もの人が詰めかけ、媽祖様に手を合わせる。そうした人々はそれぞれ、媽祖にまつわる物語を持っている。

媽祖のエピソードはさらに豊富で、地元のお年寄りによれば、ある年は媽祖像を取り違えたとか、神輿が川の中に入って行ったこともあるという。「民間信仰は人々の暮らしを反映します」と林幸福さんは言う。秋から冬に季節風の吹き荒れる白沙屯では、かつて人々の暮らしは厳しく不安定なものだった。それが媽祖への帰依を深め、信仰が人々の心の拠り所となっていった。媽祖が道を変えながら練り歩くのも、だからこそ生まれたやり方だと言える。「人々の暮らしは日々さまざまな問題と出会います。だから白沙屯の媽祖様はこのやり方を続けるのです」と林さんは言う。

今回の苗栗行きはあいにく冬で、今年は暖冬だったとはいえ、海岸の町に吹く風はすさまじく、立っているがやっとというほどだった。林さんには「来る日を間違えたね」と笑われたが、この地の暮らしの厳しさを窺える旅となった。

この気候がこうした習俗を生み、ひいては白沙屯の人々の性格にも影響しているという。17歳から媽祖の北港行きに徒歩で参加しているという林さんは「白沙屯の人間は負けず嫌いですね。できそうなことなら、何でもやってみようとします」と言う。文化とは、人間が生存の道を求めて環境に適応しようとすることにほかならない。そういうことの実感できる興味深い旅となった。

大地とのつながり

続けて自転車を走らせ、苗栗の最南端、そして今回の旅の最終地点でもある苑裡に到着した。新興路に入り、我々の目的地である、昨年8月に開幕したばかりの「掀冊店」書店に向かう。ここは苑裡「掀海風」のワークショップでもあり、小さな苑裡の町では初の独立系書店だ。

「掀海風」ワークショップは1970〜80年代生まれの世代による運営で、劉育育さんと林秀芃さんが創設した。二人は苑裡の「反瘋車運動(風力発電所建設反対運動)」で知り合った。彼女らはそこで多くのことを経験し、やがてこう考えるようになった。「運動は一時的なものです。社会を良い方向に変えたいのなら、根本である大地に帰らなければ」と。

大地とふれ合い、大地とのつながりを取り戻すためには、まず苑裡をよく知らなければならない。そこで彼女らは町のあちこちをフィールドワークして回った。そして農家のために、働き手不足や販売ルートの問題などの解決に当たった。また、苑裡のかつての名産だったイグサ編み産業の復活にも取り組んだ。カヤツリグサ科のシチトウの種を撒いて栽培し、30年以上もイグサ編みから遠ざかっていた女性たちを励まして、この伝統工芸の伝承を目指した。

台湾はかつての高度経済成長で豊かにはなったものの、その代価は地球の資源を使い果たすことだった。林秀芃‬さんの世代まで来た今、経済成長は大切なこととはいえ、大地とのつながりを生む産業とはどんなものか、台湾にとって未来の小規模経済スタイルとはどのようなものか、彼らは考え始めたのである。

2015年、「掀海風」はフィールド調査の成果として、苑裡ミニ・ツアーを開始した。天下路商店街にある草編み用品店や、120年の歴史を持つ市場、台湾民族音楽の先駆者である郭芝苑の旧居などを回るツアーだ。また2016年には地域の暮らしを紹介する出版物も出し、文化の記憶を留めようとしている。2017年には「海風祭」を催した。「海風」の中国語読みに音が近いので英語名は「Hi Home Festival」、「故郷にHiと挨拶しよう」という意味だ。昔のにぎわいを再びと、媽祖廟の正面に舞台を組み、母語によるコンサートを開いた。ほかの町の人に苑裡を知ってもらうだけでなく、他所に行った人々にも戻ってきて、変化した苑裡を見てもらうのが願いだった。

「こうした活動を続けるうちに、地元の子供たちに目を向けなければと思うようになりました。文化の根本は教育なのだと。地域を知らなければ、そして自分を知らなければ、自信は生まれません。だから『読書』は大切です」書店が激減するこの時代に、あえて「掀冊店」を開いた理由を林秀芃‬さんは語る。

夜に本屋に灯りがついていると誰かがそばにいてくれるような感じがすると言って、ご近所のお年寄りたちも書店のオープンを喜んでくれた。「高齢者ケアがよく話題になりますが、これこそケアと言えるでしょう」と林秀芃さんは言う。また、子供たちにとってこの書店が世界と接する窓になれば、地域のために種を撒くことにもつながると考える。

2018年で掀海風は創設4年を超えた。林秀芃さんは、「故郷へのUターンそのものは難しいことではありません。難しいのは故郷に留まることです」と言う。幸い彼女たちは孤独ではない。思いを同じくする仲間たちがいてくれるからだ。周りの強風にめげず、彼女たちが歩き続けてくれることを願わずにはいられない。

これまで、海線一帯は、経済的資本がなく、文化資源にも乏しいと、貧しい弱者だと見られがちだった。だが、今回の旅では「掀海風」の物語が聞けた。海風にあおられ、吹き飛ばされそうになっていたのを、故郷にUターンした青年たちが自分たちの力で、その風向きを変えようとしつつある物語だ。それはまた我々にとっても、向かい来る風を突き進み、自転車の旅を続ける動力になってくれそうである。

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Cycling the Miaoli Coast

Cathy Teng /photos courtesy of Chuang Kung-ju /tr. by Phil Newell

Our story can be traced back to 1922, when the coastal railroad (offici­ally known as the West Coast Line) was opened to traffic. The movement of goods between north and south brought prosperity to cities and towns along the rail line. Since the construction of the freeways, goods have been transported by highway instead of by rail, and the coast is no longer as affluent. But train cars still run today between the rice fields and the waves, and the few remaining wooden train stations, nearly 100 years old, have become precious spaces for memories of railroad culture.

Yet the scenery along the ­Miaoli coast is not limited to train stations. There is also Gong Tian Temple in Bai­sha­tun, dedicated to the goddess Mazu, as well as the “Say Hi Home” workshop for young people returning to their hometown. There is beautiful scenery all the way.

Following the route of the coastal line, with the speed and freedom of bicycles, we ride along Provincial Highway 61 in search of stories of the ­Miaoli seacoast.

 


 

The coastal rail line and the older “mountain line” (the Tai­chung Line) provide the most captivating scenery of any of the railroads of the Taiwan Railways Administration. Of the five Japanese-style wooden train stations along the West Coast Line (known to railway enthusiasts as the “five treasures of the coastal line”), three—Tan­wen, Da­shan, and ­Xinpu—are located in ­Miaoli County.

Traveling the seacoast

We start our bicycle journey at Tan­wen Station, and our path carries us to the Da­shan and ­Xinpu stations.

These stations, of simple and unsophisticated design, were first used in 1922, so by now they have nearly 100 years of history behind them. Constructed of Cunninghamia wood, the buildings have a variety of common features, including pitched roofs, branching pillars, œil-de-bœuf (“ox-eye”) windows, and rammed-earth walls. Though development around West Coast Line stations stagnated because of the decline in rail traffic, this cloud has a silver lining: It has enabled the stations’ original appearance to be preserved, as historical structures that testify to the line’s past.

We continue our journey along Provincial Highway 61. Rail fans have told us of two can’t-miss sights for photo­graphy along this route. At the highway’s 106.3 kilo­meter mark, a side road leads down to the mouth of the Xihu River. From there you can get a shot of wind turbines, trains, and ocean waves together in one frame, and when evening comes you can add the setting sun into the picture.

To reach the next scenic spot, we have to work hard riding up Miaoli County Road 33 to the commanding height of Hao­wang­jiao, from where you can see the deep blue Taiwan Strait in the distance, the gigantic wind turbines along the coast, and a panoramic view of the coastline. In the strong wind, we wait for a train to come coursing through the verdant land, so that we can capture its image. Only then do we contentedly pack up our cameras.

Another sight worth exploring is the nearby Old Guogang Tunnel—in fact a sequence of three tunnels. When the West Coast line was electrified in the 1970s, its route was altered to avoid the tunnels, which were abandoned. Today the old route, complete with the beautiful horseshoe-­shaped brick-lined tunnels, has been transformed into a bicycle trail with colorful lighting.

Shilian Yuan: Front-row sea views

Leaving Highway 61 to follow a small road near the sea we come to the Shi­lian Yuan railcar restaurant. Shi­lian Yuan, now in its 17th year, is a special sight along the coastal line. Retired railroad cars have been repurposed as spaces to operate a restaurant and a homestay.

Owner Luo Shi­lian, whose home is in nearby Bai­sha­tun, tested into the Taiwan Railways Administration in 1970. He witnessed the days when steam trains ran along the rail lines, and each day he rode the trains to work and back, working at the TRA for 33 years.

Luo’s job once took him to India, and there he traveled in sleeper cars, providing him with a fresh and fun experience that he couldn’t get in Taiwan. He thought to himself: “After I retire, it would be good to take a couple of trains home with me to turn into a restaurant and homestay.”

First Luo bought five 30-ton railway carriages at the price of scrap metal, NT$1.2 per kilogram. Little did he expect that the transportation costs would amount to NT$1 million, it taking two nights to transport the cars by truck from Kao­hsiung to ­Miaoli. Because of the carriages’ height and length, they could only travel on ordinary roads, and only at night. Wherever the convoy would traverse a railway level crossing, they had to apply for the electricity to be shut off and the power lines raised so that the trucks could pass through. Finally Luo had to hire two 50-ton cranes to lift the cars onto the rails laid down for them at the site.

Since its opening, the railroad restaurant has attracted numerous travelers. This place, where you can gaze out over the ocean and admire the sunset at dusk, really does offer “front-row” views of the sea.

Gong Tian Temple

When you visit the Miaoli coast, you shouldn’t miss the local center of faith: Gong Tian Temple in Bai­sha­tun. Each year at Mazu’s birthday, in the third lunar month, the faithful come from all over Taiwan to walk alongside the goddess on her procession to Chao-Tian Temple in Bei­gang, Yun­lin County, and back to Bai­sha­tun. The journey covers more than 400 kilometers and has no fixed itinerary, with the twists and turns along the way all being decided according to Mazu’s will.

This tradition exists because, as Gong Tian Temple committee member Lin ­Xingfu explains, “Bai­sha­tun sticks to the old ways, so much so that it has become distinctive.” In earlier times many temples had the tradition of people coming to them on foot to worship, but with changing times, others have gone over to allowing worshippers to arrive by tour bus, with only Bai­sha­tun still insisting that people approach Mazu on foot. And each time that Mazu goes out on her meandering trail, this provides a chance for the goddess to connect with local residents. The Bai­sha­tun Mazu takes the initiative to seek out believers, and as a result each “inspection tour” she makes gives rise to many moving stories of believers’ experiences of her.

There are also various colorful stories surrounding the Gong Tian Temple Mazu herself. From the mouths of local elders one hears tales of the wrong Mazu statue being brought back to Bai­sha­tun, or of the deity’s palanquin being carried through the waters of the Zhuo­shui River at her own behest. “Folk beliefs reflect local people’s way of life,” says Lin ­Xingfu. He explains these stories from another angle—that they reveal a dependence on Mazu. The lives of Bai­sha­tun’s early settlers were not easy. Having to cope with the powerful northeast monsoon winds that blow daily in the fall and winter, as well as the vag­aries of life in a harsh environment, deepened residents’ reliance on Mazu. “People had to face uncertainties in life every day, and there are still threads of this in the worship of the Bai­sha­tun Mazu today,” says Lin.

In fact, winter is a somewhat inopportune time for our bicycle trip. Although this winter has been warm, the northeasterly winds along the Miaoli coast are as ­powerful as ever, leaving us dizzy and making it hard even to stand upright. Lin laughs as he says that we chose the wrong time to come here. But we are having a genuine local experience, which lets us know that life here is not easy.

The climate has shaped the indomitable character of the people of Bai­sha­tun, says Lin. Lin’s remarks are like sociological observations, and they seem to confirm that culture is the result of how people adapt to their environ­ment to survive. This was one of the unanticipated points of interest of our journey.

Say Hi Home: Reconnecting land and people

Continuing southward we arrive at ­Yuanli, ­Miaoli’s southern­most township and the last stop on our trip. Turning onto Xin­xing Road, the place we want to visit is the Hi Home Bookstore, which opened in August of 2018. This is the base of operations for the “Say Hi Home” workshop.

Most of the members of Say Hi Home, founded by Liu Yuyu and Lin Hsiu Peng, were born in the 1970s and 1980s. Liu and Lin met through the anti-­wind-­turbine movement launched by the people of ­Yuanli. After participating in various social movements they reflected on their ex­peri­ence and concluded, “If social movements want to get results in the future, protesting is just a temporary phase. If you want to make society change in a positive direction, you have to return to the land.” They put this into practice themselves by returning to their hometown.

The first step for Say Hi Home was to reconnect with the land, and this was the beginning of getting to know ­Yuanli anew. They traipsed through streets large and small doing field surveys, helped eco-friendly farmers to resolve labor shortages and find sales channels, and also tried to revive the rush weaving industry that once flourished in ­Yuanli.

In 2015, the Say Hi Home team transformed the information gleaned from their field surveys into mini-tours for vis­itors, guiding people through historic Tian­xia Street, to see the 120-year-old market, or to visit the former residence of Kuo Chih-yuan, a pioneer of Taiwanese folk music. In 2016, Say Hi Home launched a pub­lica­­tion to report on local news and collect cultural memories from the area. In 2017 they held the “Hi Home Festival,” with “say hi to everyone” as the core spirit of the event. They erected a stage across from the Mazu Temple, which was a very bustling place in days gone by, and put on a “mother tongue concert” in hopes of rediscovering that local hustle and bustle and of attracting young people who had left ­Yuanli to return home and see how different ­Yuanli could be.

“After promoting these activities for a long time, we felt we had to put the focus back on local young people. The root of culture is in fact ‘education.’ If people don’t have enough understanding of themselves, they will lack self-confidence. This self-­confidence comes not only from knowledge of the locality but also from knowing yourself, so reading is very important.” This is how Lin Hsiu Peng explains what prompted them to open Hi Home Bookstore in an era when large numbers of bookstores are going out of business.

Hi Home Bookstore is a place where children are welcome to read. Elderly people living nearby were also happy when the store opened, its lights at night conveying a sense of companionship. As the bookstore ­quietly plants a seed for the locality and for the children, we hope that the founders will not be daunted by the buffeting winds of the environ­ment and will continue to press onward.

In the past the coastal area along the rail line was considered poor and disadvantaged, lacking both economic capital and cultural resources. But on one bicycle trip, hearing the story of Say Hi Home—how a group of young people who had returned to their rural home underwent a transformation from passivity to actively initiating a tide of change—gave us the energy to press ahead.           

破風‧觀海‧追夕陽

文‧鄧慧純 圖‧莊坤儒

故事可追溯到1922年,鐵道海線通車了,運輸南來北往的物資,也帶起沿線城鎮的繁榮。但隨著高速公路開通,鐵路貨運為公路取代,海線榮景不再;但列車依舊奔馳在稻穗與浪花間,獨留的幾座近百年的木造車站則成為鐵道文化珍貴的記憶空間。

苗栗的海線風光還不僅於此,白沙屯的拱天宮媽祖廟,還有苑裡的返鄉青年「掀海風」,都是一路上美麗的風景。

以海線為軸,以自行車的速度和自由,隨興追著火車,我們騎行在台61號線,一探苗栗海線的故事。


山海線是台鐵最讓人流連的風景,北端從竹南站分道揚鑣後,又再殊途同歸於彰化站。鐵道迷暱稱的「海線五寶」(5座日式木造車站)中,談文、大山、新埔三座車站都在苗栗境內。

遊海線、追火車

此趟騎行的起點就從談文站開始。早年作為造橋木炭、公館紅瓦及南庄煤礦等貨物的轉運點,談文站因之興盛。大山站位在苗栗後龍,原名為大山腳驛。位在通霄的新埔車站,是西部幹線離台灣海峽最近的車站,一出站就能看到海。

這幾座造型古樸的驛站,啟用於1922年,迄今已近百年的歷史,站體以杉木建造,三角形屋脊、Y字形廊柱、牛眼窗及夯土牆為其特徵;海線車站雖因鐵路運量萎縮,以致周邊發展停滯,卻也因禍得福,得以保存原初樣貌,成為見證海線鐵路創建的歷史建築。

續行回到台61線上,我們繼續破風。這路線上有兩個鐵道迷「呷好道相報」不可錯過的鐵道攝影景點,在106.3公里處,下到一旁的小路可近西湖溪出海口,朝西面取景,風車、火車、海濤一併收入景框內,傍晚時分,還多了夕陽入鏡。計算著從龍港往白沙屯的列車時刻,我們守株待兔,就等著火車駛過三叉河橋,按響喀嚓喀嚓的快門聲。

下一個景點要奮力騎上苗33號鄉道,上到鄰近的制高點「好望角」。從好望角可遠眺湛藍的台灣海峽,海濤如白馬奔騰舞動著,豎立在岸邊的大型風力機組兀自在風中刷刷地轉動,將海線風景盡收眼底。強風中,我們還是等著火車,奔馳過綠地,留下身影,才滿足地收了鏡頭。

附近還有「舊過港隧道」值得探訪,已退役的三座隧道是全國海拔最低的隧道,1970年代因鐵路電氣化,鐵路改線,三座隧道走入歷史。隧道內部運用圓拱力學原理堆疊紅磚成漂亮的馬蹄鐵弧形,頂部還留有被蒸汽火車燻黑的痕跡。如今隧道改成自行車道,打上燈光,供民眾散步騎行。

隧道外有過港貝化石層,整塊裸露的山壁,挾雜著無數的貝殼化石,考據這塊山丘在距今100萬至600萬年前,位於淺海中,如今則距離海岸線0.5公里遠,見證了台灣陸地隆升的演變史,宛如活的地理教室。

石蓮園──海景第一排的火車餐廳

騎下台61線,沿著靠海的小路直行即可見火車餐廳「石蓮園」。經營已邁入第17年的石蓮園是海線上特殊的景點,把廢棄的火車車廂拿來做空間利用,開餐廳、做民宿。

家就住在白沙屯,老闆駱石蓮讀書的時候也是搭著火車,走海線到竹南念書。1970年考入台鐵,駱石蓮經歷蒸汽火車還在鐵道上奔馳的日子,每天搭著火車上下班,在鐵路局工作一晃眼就是33年。

曾因公務考察到印度,體驗當地臥鋪列車之旅,新鮮又有趣,是台灣沒有的經驗,駱石蓮想著:「退休後,弄兩台火車回去做餐廳、民宿也不錯。」

但買車容易,運送難。當初他以廢鐵價1公斤1.2元買入5台30噸的車廂,沒料到運費卻要價100萬,從高雄運到苗栗,花了兩個晚上。因為車廂超高超長,只能趁夜間行駛平面道路,遇到平交道需申請斷電,把電線撐高,讓貨車通過,再請出50噸的吊車兩台,才把車廂安置在鐵軌上。

駱石蓮指著車內的設備,「這600型車體是日本人在1940年代製作的,至今不鏽鋼行李架、窗戶,都還完好,可以想見日本技術的品質。」

鐵道餐廳開幕至今,仍吸引許多遊客來訪,鐵道迷來看門道、內裝,研究車底的轉向架,許多民眾則來重拾當年搭普通車的回憶,平日觀浪、黃昏賞夕陽,這邊堪稱海景第一排。

白沙屯拱天宮──好與信眾互動的媽祖

造訪海線,不能錯過苗栗海線的信仰中心──白沙屯拱天宮,這座幅員不算大的地方廟,每年農曆三月媽祖生,吸引了眾多信徒跟著媽祖徒步到雲林北港朝天進香,全程四百多公里,而且無固定行程、路線,前進轉彎,全憑媽祖的意識。

這樣的特色,拱天宮委員林幸福解釋是因為「白沙屯太守舊了,守舊到最後反變成特色」。早年許多宮廟都有徒步進香的傳統,只是隨著時代的進步,當其他人改搭遊覽車進香時,只有白沙屯媽祖還傻傻堅持徒步。而每回出門飄忽不定的路線,是媽祖與在地居民的結連,白沙屯媽祖會主動去找信眾,直接與信眾互動,也因此每年數萬人的追隨,路程上每一雙合十祈拜的手,每個人都有屬於自己跟媽祖的故事。

拱天宮的媽祖故事更是多元而精采,在當地耆老的口述中,有著換錯媽祖、神轎潦過濁水溪等各種版本。「民間信仰其實反映著當地人的生活方式。」林幸福說,先民在白沙屯的生活並不輕鬆,應付著秋冬兩季每日吹拂的東北季風,生活環境困頓、不穩定性高,加深居民對媽祖的依賴與虔敬,媽祖因之成為在地居民的心靈寄託,也衍生出白沙屯媽祖沒有固定行程的進香路線,「因為每天要面對生活中諸多的不確定因素,所以白沙屯媽祖進香到現在還留有這樣的線索。」林幸福說。

其實,此趟苗栗騎行之旅不巧安排在冬季,今年雖是暖冬,但沿海地區的東北季風依舊展現無比的威力,吹得人昏頭轉向,站都站不穩,林幸福笑說我們選錯日子了,但也是實地經驗這一遭,才知道當地生活的不易。

從這角度考察,這樣的氣候,形成了如此的習俗,連帶影響了白沙屯人的性格。17歲那年就跟著徒步進香的林幸福說:「我在其中看到白沙屯人不認輸的性格,有什麼事情我可以做的,都可以做看看。」與林幸福的一席話,猶如進行了一場社會學的觀察,也恰巧印證了文化是人類適應環境尋求生存的課題,是此趟行程的意外之趣。

掀海風──從反到返,找回人與土地的連結

繼續往南,車行到苗栗最南、也是此趟旅程最後一站苑裡。轉進新興路,我們要去拜訪去(2018)年8月剛開幕的「掀冊店」書店,這邊是苑裡「掀海風」工作團隊的基地,也是苑裡小鎮第一家獨立書店。

「掀海風」工作室由一群七八年級生組成,劉育育和林秀芃是最初的創辦人,她們因苑裡「反瘋車」社會運動而結識,歷經多次事件後反思,「如果(社會)運動要走下去,抗爭只是一時,但如果要讓社會往好的方向改變,那麼回到土地才是根本。」因此她們身體實踐,從「反」到「返」,「第一個是社會運動的反對,第二個是返回鄉土的『返』,回到自己的原鄉。」林秀芃說。

從接觸土地開始,重拾人與土地的連結,是重新認識苑裡的起點,也是掀海風的第一步。她們踏遍大街小巷做田野調查,協助友善農友解決缺工及販售通路的問題,也嘗試重新找回苑裡曾經輝煌的藺草編織產業,把藺草種回土裡,再找回已三十多年沒編織的阿嬤們,鼓勵她們編織,要把這門手工藝再傳下去。

台灣曾經的經濟起飛,帶來了富裕,但代價是把地球資源像石油一樣燃燒,到了林秀芃她們這個世代,經濟成長固然是重要的事,但一群人更思考著:與土地產生連結的產業是什麼樣子?台灣未來微型經濟的模式是什麼樣子?

2015年,苑裡「掀海風」團隊把田野調查的成果轉成小旅行的形式,帶領大家去苑裡天下路老街的帽蓆行、看已有120年歷史的老市場,或是被尊為台灣民族音樂先驅的郭芝苑故居,深入認識苑裡。2016年,出版刊物報導在地日常,也為地方積累文化記憶。2017年舉辦海風祭,有趣的是,以諧音為名,海風祭的英文為「Hi Home Festival」,「跟家鄉說Hi」是祭典的精神,她們在昔日熱鬧的媽祖廟對面搭起舞台,以母語音樂會為主軸,想把在地的熱鬧再找回來。不僅希望吸引外地人來認識苑裡,更期待離家的遊子能回家看看苑裡不一樣了。

「推動這些活動久了,會覺得要回到在地的孩子身上。文化的根本其實是『教育』……。一個人的自信除了來自對地方的認識外,還有對自己的認識,所以『閱讀』很重要。」林秀芃解釋為何要在這書店紛紛歇業的時代,創立「掀冊店」。

書店開幕了,左鄰右舍的老人家也開心,晚上書店的燈亮著,帶著一種陪伴的感覺,「長照2.0最真實的樣子應該長這樣子。」林秀芃說。書店歡迎孩子來看書,也悄悄為地方、埋下一顆種子、成為孩子接觸世界的窗。

2018年,掀海風的留鄉已經四年多了,林秀芃說:「返鄉其實不難,難的是留鄉。」所幸有一群志同道合的夥伴,讓她們不孤單,而我們更期待她們不畏環境的強風,持續地走下去。

以往海線地區總被認為是既貧窮又弱勢,沒有經濟資本,也缺乏文化資源。但一趟騎行之旅,聽著「掀海風」的故事,一群返鄉青年,如何從被動地被海風「搧」巴掌,轉為主動「掀」起改變的風潮,也讓我們的騎行之旅,有繼續破風前行的動力。                               

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