「小ルリマダラは片方の点々、マルバネルリマダラは両方の点々、ホリシャルリマダラは3ヶ所の点々、ツマムラサキマダラはたくさん」茂林国家風景区の紫蝶幽谷(ルリマダラの谷)の解説員養成プログラムの教室では、指導員がフィルムを使って、20数人の受講者に茂林の4種のルリマダラ、8種のマダラチョウの見分け方を説明する。さらにマダラチョウの食べる草や、棲息地での習性なども教えられる。ほぼチョウの見分けがつくようになるまで、受講者は一生懸命で、教師も講義に熱が入っていた。
自然解説指導員はルリマダラが来るのと一緒に茂林の谷にやってくる。最初に茂林に入るボランティアだ。その後、それに続いて胡蝶保護協会の全国の会員や台湾大学の学生たち、中学校教師などが続々と茂林にやって来る。調査に来る人もいれば、団体を連れて紫蝶幽谷の自然の謎を説明するためにやってくる人もいる。
「毎年恒例ですよ」と言うのは茂林の村役場の観光課課長でチョウの父と称される施貴成さんだ。施さんは、時には20〜30日もここに滞在するが、これほどたくさんのボランティアが協力してくれるからこそ、チョウの谷の保護が可能なのだと言う。
「地元の若者もルリマダラの貴重さを知っていますし、関心を寄せています。ですが生活もありますし、彼らにできることは少ないのです」と言うのは茂林郷の民宿「得恩谷」の責任者でルカイ族の陳誠さんだ。彼はエコツアーを推進しているが、最大の悩みは地元に自然解説員がおらず、地元の青年にガイドになってもらうのも難しいことだという。
陳誠さんは茂林郷エコツーリズム推進の立役者の一人だ。
彼は茂林郷全体を貫いて流れる濁口渓の谷に1ヘクタールの農場を持ち、大きなキャンプ地もある。農場内にはクワ科の樹木の盤龍木や天仙果、カラスザンショウなど原生種の植物がたくさん植えてあり、早朝にはヤマムスメがパパイヤの実をついばみに来る。林の中にいると、鳥や虫の鳴き声が聞こえ、チョウが舞い、夜更けにはミミセンザンコウが山を出入りし、フクロウの鳴き声が遠くから聞こえてくる。
「生態関係の仕事を始めたのは、詹;家龍さんの影響です」原住民の貴族の出である陳誠さんは茂林小学校の教務主任で、長年にわたってルカイ文化の記録や整理、郷土教材の編纂にあたってきた。一方、早くから茂林でチョウの研究をしていた詹;家龍さんは、村の青年たちに調査を依頼し、その後協会と行政部門が連絡を取る必要から陳誠さんに声がかかった。これが陳さんの人生に思わぬ転機をもたらしたのだ。
茂林の三つの村の中の多納村はルカイ文化が最もよく保存された集落だ。400年来、村が移転したことはなく、今も残る伝統の石板屋は観光客にも人気がある。