文化の軌跡を残す
2004年、湯錦惠は新北市万里区瑪鋉漁村文化生活協会を設立し理事長に就任した。瑪鋉というのは平埔族の言葉に漢字を当てたもので、協会は漁村の貴重な史料の保存に力を注いでいる。「野柳には多くの古い漁法や漁具が保存されていますが、それを知る高齢者が世を去るに連れて失われてしまうおそれがあるのです」と湯錦惠は言う。そこで郷土を愛する女性たちが立ち上がった。祖先の暮しを子供や孫たちに伝えていくためだ。協会では漁村の年配者を訪ね歩いて昔の暮らしについて話を聞き、3冊の本を出版した。また2012年から現在まで170回にわたって漁村案内などのイベントを開催し、瑪鋉漁村の名を知らしめてきた。
『瑪鋉漁村文物ガイドブック』を手に、曲がりくねって起伏に富んだ漁村の路地を歩いていくと、野柳にも摸乳巷(一人がやっと通れるほどの狭い路地)があることに驚かされる。サンゴ石で建てられた古い民家も保存されている。瑪鋉文化館である「瑪鋉居」は、この漁村を訪ねる人々が文化を知る重要なスポットになっている。この建物の前の広場ではさまざまな文化フェスティバルが行われている。来弄輦、魚陣、神明浄港文化フェスティバル、媽祖の練り歩き、海藻麺の手作り、万里の蟹フェスティバルなどだ。アイディア豊かな湯錦惠は、伝統の宗教信仰と地元の食材などを組み合わせ、地域住民の参加を促しつつ、野柳の景観と漁村文化を活かしたイベントを次々と催している。
野柳で最も有名な漁法と言えば「棒受網」漁業で、これは光に集まる習性のある魚を捕る方法だ。協会では、こうした昔からの漁法の変化を記録した『走看野柳』を発行し、また野柳小学校の教室を借りて「漁村生活館」を設け、昔の漁具を保存展示し、旅行客も漁村文化に触れられるようにしている。
カニ漁用の籠がうず高く積み上げられた港には、次々と漁船が入ってきて水揚げし、野柳港が今も近海漁業の拠点であることがうかがえる。「カニ籠が錆びていれば、カニが捕れていないことがわかります」と協会の蔡彩芳総幹事は漁民しか知らないことを教えてくれる。こうした地元の人しか知らない話が聞ける観光ガイドはおもしろく、生命力に満ちている。
湯錦惠はジオパークの燭台岩の横にある鯉魚岩を指差し、「石鐘、石乳、鯉が水に入り、鼠が猫の乳を飲む」と地元に昔から伝わる言葉を教えてくれる。野柳での厳しい生活を伝える言葉だ。「下の方に海溝があり、海藻がたくさん採れるので、昔は海女が行きたがるところでした」という。だが、地形が険しく風も波も強く、岩は滑りやすいため、落ちてしまうと非常に危険な場所である。
堆積岩の中の鉱物質が固まった硬い部分が、球状や楕円形など不規則な形の「結核」として残っている。