向うところ敵なしの張成秀の経歴は見事なものだ。「天下雑誌」広告営業管理職、台湾マイクロソフトMSNポータル部門代表、米ハンドスプリング社国際マーケティング部代表、台湾モバイル社CEO特別アシスタント兼シニアディレクター、そしてGoogleである。
Googleグローバル副社長の李開復は彼女を「モチベーションが極めて高く、卓越した事業開拓能力とリーダーシップを持つ」と称賛し、面接で一目見た時からその自信と才能にひきつけられたと語っている。
親しみやすい人柄で、着飾ることもなく、常に新しい知識や思考を吸収するために、資料とパソコンとペットボトル2本で重さ5キロになるバッグパックを手に出勤する。
「開発エネルギーに満ちたGoogleの職場が好きでしたし、新しいプラットホームが台湾の産業のレベルアップにもつながると考えていました」だが頂点にあったその時に、思いがけないことから人生が大きく変わることとなる。
Time to say good-bye
昨年8月、500人近い聴衆の前でネットマーケティング戦略について講演していた時、急に臀部に温かいものが流れ始め、黒いパンツを濡らして太ももから下へと流れ始めた。
痔になって十数年、普段も調子は良くなかったが、ずっと治療を受けていなかった。「恥ずかしいですよ。ホラー映画のように壇上が血だらけにならないかと心配でした」と言う。
彼女は冷静に最後まで務めたが、オフィスに戻ると泣き崩れ、病院に向った。第四期の大量出血だった。
手術後の回復の過程でも苦しみ、小さな傷口がこれほど痛いものかと驚いた。血糖不足と貧血にも悩まされ、元気を取り戻したのは6ヶ月後だった
「葛藤もありました。Googleの仲間が大切だったので、無給休職を申請しました。が、同じ手術をした同僚が半年以内にさらに2回も手術したのを知り、It's time to say good-byeと決意したのです」これに夫も家族も賛同してくれた。
サクセスシンドローム
張成秀は業界でも有名な努力家で、2年前に出した自伝の中で、自分は幼い頃から「サクセスシンドローム」にかかっていたと書いている。試験の成績は全校3位以内でなければならず、何かを始めたら、歯を磨く時もそのことを考え、一日に平均6回の会議に出、トイレに向う途上で6つのことをするという具合だ。
なぜそんなに頑張るのか。それは彼女の家庭の境遇と関係する。1970年代の2度のオイルショックで、玩具の輸出をしていた父親は破産して刑務所に入り、出所後の3年間はうつ状態で、最後は自ら命を絶った。張成秀は11歳だった。母親は3人の子供を育てるために、内職、皿洗い、清掃、保母などをして働いた。彼女は、必ず母に楽をさせてやろうと誓った。
兄の張成華は張成秀をこう語る。「妹は貧しさに負けるどころか『貧乏人に夢を見る権利はない』といった社会の圧力と正面から戦って投げ飛ばしました。これが妹の素晴らしいところです」と。彼女自身は、父親の起業家精神と母の強さと楽観的な性格を継いだと感じている。家庭が逆境に置かれていたため、早くにキリスト教を信仰するようになった。
だが、人生をずっと全力疾走することはできない。45歳になった彼女は「確かに頑張りすぎました。病気になって初めて『過ぎたるは及ばざるがごとし』『中庸の道』の知恵を知りました」と語る。
信仰も大きな支えになった。「物質と社会的地位がもたらす安心感を手放すのは難しいものです。でも病床では『出エジプト記』を繰り返し読み、自分に変化が必要なことを知りました。人に仕えられる立場から仕える立場へ、物質の満足から精神的な満ち足りへの変化です」
この間、ヘッドハンティングの話もあったが断り、スタンフォードMBA同窓生の王秀鈞と張原偵とともに「中華グリーン経済発展協会」を設立した。グリーン産業のプロを育て、起業を促すのが目的だ。
非営利事業を選んだのは、自分と社会に変化をもたらすためだ。企業界で20年、常に最大の利益を追求する資本主義がもたらす弊害を目の当たりにしてきた。新しい組織の方向は模索中だが、各社の経営者を訪ねたところ、反応は悪くなく、十分に期待が持てるという。
ついに父を理解する
張成秀がこれほど大きな変化を乗り越えられたのは、6年前に母親が交通事故に遭って植物状態になってしまったこと、そして改めて父親と向き合えたことが大きく働いている。
「昔から、父が母と私たちを残して逝ってしまったことが理解できず、父を弱い人間だと思っていました」と言う。だが事故に遭った母親に付き添っていた時に兄とじっくり話をする機会があり、父親が自殺する日の朝、人生の最後の時間を息子と一緒にバスに乗って過ごしたことを知った。「父は本当は家族を大切に思っていたのです」
こうして数十年にわたる胸のつかえがとれた。父親は、事業の立て直しが不可能なことを知っており、しかも肝臓を悪くしていた。死ぬ時期も考え、米国フォード大統領の大陸訪問時を選び、米国が台湾を裏切ったことに抗議する遺書を残した。これは、遺族が政府の補償を得られるようにと考えてのことだったのである。
張成秀は声を詰まらせ、だからこそ今後は何があっても明るく対処できると言う。「父は私たちのために自分を犠牲にしたのですから、私が人生を悲観する権利などありません」
今、人生の後半と向き合う張成秀は、神の導きに自分を任せている。変わらないのは謙虚さと明るさ、そしてより良い世界への期待だけである。