世界の著名大学巡礼
「光華」は1988年から、記者とカメラマンを各国の有名大学に派遣している。これは各大学の歴史や学風、特色と文化を紹介するとともに、その大学の台湾人留学生に留学生としての見聞をインタビューしたものである。
ヨーロッパの大学の起源と称されるフランスのパリ大学、詩人の霊感の故郷とされるイギリスのケンブリッジ大学、老学生がキャンパスに溢れるドイツのハイデルベルク大学、成功者の金字塔であるアメリカのハーバード大学、独自の理念を掲げるプリンストン大学に加え、アジア唯一の国際大学と称され、アジア地域のエンジニアリング人材の育成を目的として設立されたタイのアジア工科大学院、さらには日本の東京大学、早稲田大学、京都大学、慶応大学にも、「光華」の取材の足跡が残されている。
巨額の取材費をかけた精彩ある内容に対して、その当時、人生の理想を実現するために留学を目指していた若い学生たち、また教育関係者には重要な参考資料として高い評価を受け、各方面から注目を浴びた。
「光華」は1989年3月から「世界の漢学と漢学者」シリーズも開始した。その当時はイタリアの監督ベルトルッチの「ラストエンペラー」がアカデミー賞9部門を受賞し、世界的な中国ブームが巻き起こっていた。しかし、遥か彼方東方の神秘的な中国は西洋の目からどのような姿に映ったのか、好奇心が湧いてくる。
西洋と東洋の出会い
早くも16世紀、イタリアの宣教師マテオ・リッチが初めて中国の孔子を西洋に紹介し、西洋世界に向けて中国を知るための窓を開いた。しかし、その後の「数百年の間、漢学は西洋の植民地官僚と宣教師の時代から、大学の講座に取り上げられるようになっても主流となることはなく、一貫して孤立した珍しいジャンルとされてきたのです」と、「光華」ヨーロッパ駐在特派員だった王家鳳は述べている。
漢学と漢学者は我が国と国際社会との間のコミュニケーションの架け橋となりうるため、「光華」は国際的に著名な漢学者へのインタビューと、世界各地に散佚した文化遺産を訪ねることとした。それは自省の旅であるとともに、孤独の中で不人気ジャンルを追い求める海外の知己に敬意を表するためでもあった。
漢学者Glen Dudbridgeは中国の明清小説を専攻し、中でも西遊記のサルである孫行者に注目していた。イギリスで教壇に立つオランダ人漢学者Piet van der Loonは、台湾、福建と広東の民間信仰と戯曲を研究していた。フランスの漢学者であるKristofer Schipperは北京語と台湾語に精通していて、道教を専門とし、1963年から台湾の中央研究院に8年在籍し、その間に道教に入門し法号を鼎清と称した。最初は陶淵明研究を志したフランスの漢学者Donald Holzmanだが、魏晋南北朝の竹林七賢の清談と詩句を逍遥して20、30年を数えていた。スェーデンのアカデミー会員であるGöran Malmqvistは、先秦と前後漢の言語研究から始まり、近現代の中国文学までを幅広く研究していた。イギリスの漢学者Hugh Bakerは中国語に堪能だが、広東語はさらに流暢で、テレビやラジオに出演し、コラムを書き、「中国の学問を社会に紹介すること」に努め、東西文化の間の理解を深めようとしていた。
西洋が東洋と出会う時、そのぶつかり合いが火花を散らすこともあるが、双方の文化を互いに豊かにするものであるのも間違いない。幸いなことに、「光華」はその貴重なシーンを記録することができたのである。
(下)台湾と福建および広東の民間信仰や戯曲を研究するPiet van der Loon。