円環の繁栄と衰退に夜市の姿を見る
1960年代、円環は空前の繁栄を見せた。付近の歓楽街は大繁盛し、その賑わいは寧夏路、重慶北路、民生西路一帯まで広がった。そして多くの人が寧夏夜市へ寄り、三元号の滷肉飯や再成号の蚵;仔麺線(牡蠣入り素麺)や麻油鶏(鶏肉の胡麻油スープ)などが広く知られるようになった。
だが、風水は移り変わる。台北市の東側にビルが建ち始めると西側の古い市街地は衰退し始めた。円環は1993年と1999年に火災に見舞われて建て物は傾き、修築後は十数軒の屋台が残るのみとなり、一部の老舗は重慶北路へ店を移した。
2001年、円環は全面的な改築のために取り壊された。その時は、へその緒を切られたように大きな影響を受けたと寧夏夜市協会総幹事の林定国は言う。乱雑な寧夏夜市には地元のお年寄りしか来なくなっていた。新しい円環は外部と隔絶されたガラス張りの空間で、夜市をそぞろ歩きするという雰囲気が失われた。しかも、屋台が負担する電気代が月数十万元に達し、ついに空き家同然になってしまった。
円環の改築と同時に、市は寧夏路の環境改善も行なおうとしたが、寧夏路南側の住民は屋台の一斉移転を希望し、2年にわたる話し合いの末、163の屋台を店舗が多い北側に集中させることとなった。蓬莱小学校の近くでは西側の通行を確保し、屋台は午後5時から午前1時まで営業できる。昼間は車や歩行者の通行を確保し、清潔で静かな環境を維持する。
客足が遠のいていた寧夏夜市では危機意識があり、協会の話し合いを経て「環境」をテーマに夜市を活性化することとなった。
夜市で最も嫌われるのは油汚れや生ゴミだ。2003年に市は夜市屋台のシンク下に油の濾過機を設けて油を集め、通りの両側の地下に汚水集中システムを設け、油汚れのない通りへと生まれ変わらせることにした。
寧夏夜市のうまいもの。潤餅(生春巻き/左ページ)、腸詰、骨付き豚肉のスープ。