農業を志し、知識と技術をつなぐ
南太平洋のパラオは観光で知られる。島は天然資源に乏しく、食糧も多くを輸入に頼る。そのうえ、島の人々は楽観的で貯蓄に長けておらず、毎月末には懐が厳しくなる。そこでスーパーで手に入る缶詰やカップ麺が、食卓に登場する。
財団法人国際合作発展基金会(ICDF)の駐パラオ技術団は、三十年来、農業技術の向上に取り組み、野菜の栽培技術と摂取不足を改善してきた。今期パラオに派遣された外交代替役の頼羿均は、台湾大学園芸・景観学科を卒業している。高校時代から農耕に興味を抱き、暇があれば父を手伝い農地の手入れをしていた。在学中には交換留学生として秋田県へ赴いた。一年間、日本の農家が果樹を子供のように大切にし、職人の精神で農作に励むのに触れ、農業の道に進む決心をした。そこで頼羿均は、外交代替役を申請し、パラオに派遣されることとなった。
技術団の園芸生産プロジェクトは何年も行われてきた。模範農場の種子保存・育苗によって、パラオの野菜作付面積は拡大している。近年は学校農場の取り組みも始まっている。技術団が資材と技術を支援し、学校に苗の栽培を指導する。毎週火曜日には各農場で栽培の様子を視察し、子供たちに自分で育てた新鮮な野菜を食べさせる。
「農業には経験の蓄積が大切です」と頼羿均はいう。パラオに来た当初は技師の育苗をサポートしていたが、数ヵ月後には苗の数と種類の配合にチャレンジした。大学で学んだセルボックス型プランターでの育苗技術に加え「株分け、移植の時機と力加減が、栽培の成否を分けます」という。南太平洋で、かなりの規模の農場で学べるのは、とても幸運だと話す。
農場は現地の日系旅行会社とも協力関係にあり、よく日本人観光客が訪れる。頼羿均は得意の日本語で案内も担当する。パラオは熱帯雨林気候だから、高緯度の日本とは作物が大いに異なる。観光客はその珍しさに驚く。
日本の駐パラオ研究機関は、時に技術団に資料を求めてくる。日本語での連絡も頼羿均の仕事である。英語を話すパラオで日本語が役に立つことで、人生はいつでもどこでも学びがあるのだと感じる。そこでも頼羿均は、日本の農家諸先輩と、異なる気候における栽培技術について交流する機会を得ている。
高緯度の日本でも熱帯のパラオでも頼羿均は台湾で学んだ園芸技術で貢献し、環境に応じた栽培の調整も学んだ。終始一貫して学術研究の成果を実地の技術に融合している。農業が先細る時代にこそ、若い世代が必要なのだと頼羿均は信じている。そして自身もそれを楽しんでいる。
頼羿均はパラオで農業への情熱と専門性を発揮し、農場の植物ひとつひとつを大切に育てている。(頼羿均提供)