コーヒー文化の変遷
悪魔の飲み物と言われる濃厚な飲料に、なぜかくも多くの人々が惹かれるのだろう。実はこれは、カフェ文化、コーヒーチェーン、コンビニの廉価コーヒーと深くかかわりがある。
半世紀前、台湾ではコーヒーはセレブな文化人の舶来品という色彩が濃く、庶民には手の届かないイメージだった。1950年代には、台北で富裕層が多い大稲埕や西門町辺りには、文化人や芸術家、政治家が集まる「波麗路」や「明星珈琲館」などがあり、カフェと芸術や文化が密接にかかわり、市井の庶民生活とは無関係と思われていた。
1970年代になると、国民所得が増加し海外留学生が戻ってきて、外来の飲食文化の社会的受容度も高まり、珈琲消費が増加していく。西門町の老舗「南美珈琲」はこの時期に生豆を輸入し、自家焙煎で有名になった。酸味を帯びたほろ苦い味が、多くの人をとりこにした。
1985年以降になると、株価が急騰し、コーヒー消費も庶民化した。ブラウンなどの缶コーヒーやスティックコーヒーが発売され、手軽で低価格、苦味や酸味を好まない市場のニーズに応えた。街中には小洒落たコーヒー専門店や書店内のカフェが出現し、合せて軽食も提供する経営モデルが出来上がった。しかし「蜜蜂」や「老樹」などの老舗カフェで炭焼きブルーマウンテンやマンデリンをブラックで飲む人は少数派であった。
1992年になると、コーヒーチェーンが出現する。日系の珈琲館「真鍋」はドリップと多様な食事メニューを出し、「ドトール」「ダンテ」などがセルフで35元の低価格コーヒーを提供した。1997年以降になると「シアトル」や「スターバックス」が進出し、市場を席巻した。
コーヒー界のマクドナルドと言われるスターバックスは、食品大手の統一が導入し、積極的な展開、明るい店内など、その雰囲気は一般のカフェと大きく異なる。揃いのTシャツの若い店員が明るく元気に一杯ずつ入れる。カスタマイズしたサービスは標準作業が定められ、アメリカンのインテリアはゆったりと心地よい。良質のレギュラーコーヒーと高めの値段設定でホワイトカラーに愛され、現在では台湾に200店舗余りを展開している。
2003年前後になると低価格テイクアウトが始まり、「壱珈琲」は35元のおいしいコーヒーで市場を拡大した。次いで「85℃」は、良質のケーキとの組合せ戦略で5年で300店舗を出店した。コーヒー消費人口は15歳から75歳まで拡大した。
2004年、セブンイレブンを運営する統一超商は、City Caféのブランドで「Cityこそ私のカフェ」と強力な広告を打ち、台湾4500店舗の流通ネットを通じ、低価格の本格派コーヒーを発売した。その後、他のコンビニも参戦して、コーヒーは全国民的な広がりを見せた。2008年には台湾のコーヒーチェーンは731店舗と、ファストフードの695店舗を抜き去った。
コンビニ、ファストフード、個人店舗にチェーン店を加えると、1万店以上でレギュラーコーヒーを買うことができ、コーヒーの市場規模400億元の半分以上を占める。
至る所にあるコンビニでも安くコーヒーが買えるが、街角には個性的なカフェもたくさんあり、自家焙煎のコーヒーは一味違う。