桃源郷はどこに
悲しみが仕事の忙しさでまぎれるわけではない。半年前『小さなせむし』を黄大魚児童劇団は再演した。物語の終りの方で、人にいじめられ続けた「小さなせむし」金豆が死に、親友がこう言う。「金豆はせむし村に帰ってしまったよ。もう戻っては来ないよ」この台詞が黄春明には「国峻は逝ってしまったよ。もう戻っては来ないよ」と聞こえ、ひどくうろたえたという。
黄春明の演劇に「感動」を得てきた宜蘭の人々は、少額ずつ寄付をし合って黄大魚基金会を成立させ、黄春明のかねてからの念願であった文学雑誌刊行の実現を手助けしようとした。
ついに2006年夏、台北と宜蘭を結ぶ北宜高速道路の開通とほぼ同時期に、雑誌「九弯十八拐」は創刊され、現在2000人以上の定期購読者を集めている。北宜高速を走るのは絶対に嫌だという黄春明は、毎週電車に揺られて宜蘭まで足を運ぶ。劇団や雑誌のために徹夜で執筆したり、表紙を作成したりと忙しい毎日だ。
「現代人には激情だけで感動がありません。心の桃源郷を作るには、最も原始的な感動を呼び覚ます必要があります」これが、黄春明が児童劇や文学雑誌に打ち込む理由だ。
記者が最後に黄春明の台北宅を訪れた際、夫人は幾度も階段を行き来して国峻の作品や幼い頃の写真を出してきてくれた。話の途中でこみ上げてくるものがあると、黄春明は決まって何か理由を作り立ち上がるのだった。「さ、柿をむいてあげましょう。とても甘いですよ」「ほら、あれが国峻のデッサンです。上手でしょう」
黄春明が席をはずすと、夫人の林美音が「ああやって逃げてばかりで、直視できないのです」と心配そうに言った。息子を失って3年、黄が大声で泣いたのはたったの2度だけだったという。最初の2年は墓参りにも行けなかった。今年になって友人・尉天聡の夫人が亡くなり、その霊園を訪れた際、ちょうど国峻の霊園が近かったため初めて国峻の納骨堂に足を踏み入れた。
国峻が逝ってしまってからの黄春明の最も大きな変化は、薬をきちんと服用し、自分の体を大切にするようになったことだ。これはむしろ妻のために自分の健康を気遣っていると言っていい。一方、宗教の力を借りて徐々に回復しつつある夫人が心配しているのは、黄春明が悲しみを抑え続けていることである。
老いて子を失うのは何よりもつらい。この3年余り黄春明は、涙にくれることもなく、宗教や心理療法にも決して頼らなかった。悲しみのどん底に沈む夫人を尻目に、心の痛みを忘れさせてくれるようなことは一切しようとせず、友人たちの慰めさえも遠ざけてきた。そんな思いを黄春明はこう語る。「親には自殺する権利などはなく、歯を食いしばって生きていくしかないのだ」と。
黄春明プロフィール
生い立ち
1935年宜蘭の羅東に生まれる。8歳の時、5人の子供を残して母が亡くなる。1958年に屏東師範学校を卒業、その後は小学校教師、電気修理工見習い、通信兵、ラジオ番組編集、ドキュメンタリー制作、広告企画、アディダス社勤務など様々な職業を経る。林美音と結婚し、国珍、国峻の二児をもうける。
小説
1956年に小説第一作「清道夫的孩子(道路清掃員の子供)」を発表、1969年には初の小説集『坊やの人形』を刊行し、その後も『鑼』『さよなら・再見』『小寡婦』『我愛瑪莉(マリーが好きだ)』と発表し続け、1980年に呉三連文芸賞を受賞する。
1990年代には、『等待一朶花的名字(花の名を待って)』、文学漫画『王善壽與牛進』を出版する。
1998年には久しぶりの短編小説「死去活来(逝ったり来たり)」「銀鬚上的春天(白ひげの春)」「呷鬼的来了(化け物食いが来た)」などの「老人シリーズ」を発表し、それらを集めた『放生』は第二回国家文化芸術基金会文芸賞に輝き、現代台湾郷土文学を代表する作家として不動の地位にある。
2006年からは文学雑誌「九弯十八拐」を刊行している。
映像
1973年、ドキュメンタリー「芬芳宝島(麗しの台湾)」シリーズを発表し、台湾におけるドキュメンタリーフィルムや報道文学の先駆けとなった。
1980年代には台湾ニューシネマの監督たちによって黄春明の作品が多く映画化された。「坊やの人形」「小h的那頂帽子(小hのあの帽子)」「りんごの味」「さよなら・再見」「海を見つめる日」「我愛瑪莉」などである。
演劇
近年、黄春明は児童文学や児童劇創作に重きを置いている。1993年に「黄春明童話」シリーズを出版、『小麻雀・稲草人(スズメ・カカシ)』『愛吃糖的皇帝(飴好きの皇帝)』『短鼻象(鼻の短い象)』『小駝背(小さなせむし)』『我是猫也(僕は猫だ)』の5冊がちぎり絵絵本となっている。
1994年、黄大魚児童劇団を創設、『土龍愛吃餅』『稻草人和小麻雀』『掛鈴噹;』『小駝背』『小李子不是大騙子』などの劇作を執筆した。
2003年にも児童劇や歌仔戯を手がけた。歌仔戯では『杜子春』と『愛吃糖的皇帝』を演出し、歌仔戯改革を実践している。