無常が日常
野湾では動物の世話は職員全員の仕事だ。雑食動物には根菜類や葉物野菜、果物などを、肉食動物には鶏肉やハツカネズミ、昆虫など、それぞれの習性に合わせて毎朝新鮮な餌を準備する。食物は市場に買いに行くほか、定期的に野外でカジノキやクワの葉、木の実などの採集もしてくる。最後には動物を自然に返すことが目標なので、野外の食物に慣れさせておく必要があるからだ。またそのため、餌やりやケージの清掃も静かに行い、できるだけ動物に触れないようにする。人間に慣れてしまうと野生に戻るのが難しくなるのだ。
野湾野生動物病院では動物のケージに毛布や布が掛けられているのに気づく。廖朝盛によれば、野生動物はケージに閉じ込められ、どこにも逃げられない状況になると、極度の緊張状態に陥り、人間の一挙一動に怯える。それで少しでも落ち着けるよう布を掛けて外部と遮断するのだ。
こうした配慮はさまざまな細部に感じられる。同病院を建てる際、スタッフの休憩スペースは「ホモサピエンス・キッチン」、動物の餌を調理する場所は「野生動物キッチン」と江宜倫が名づけた。彼女にとって人間と動物は平等、どちらもこの地球で生活する種の一つなのだ。「人も動物も環境も健康でなくては。みな一体なのですから」
野湾は設立以来、140件以上のケースを扱ってきた。傷ついた動物が来るとまずケガの状況を把握し、助けられない場合は苦痛を長引かせないよう安楽死させる。助けられる場合も後に自然に放つことが可能かを見定める。なぜなら人間がケアすること自体が野生動物を極度の緊張状態に置くことになり、もし理想的な飼育環境が与えられない場合は、アニマルウェルフェアの考えから安楽死も選択肢の一つになるからだ。動物を治療した後は、入院部に送る。リハビリは数日だけのこともあれば、何年もかかることもあり、傷の回復後には自然に放つ訓練が行われる。
廖朝盛によれば、自然に放つかどうかは、行動する、餌を探す、身を隠すの三つの能力がそろったかどうかで決める。ケガが治ったようでも野生として暮らせないこともあるからだ。かつて保護されたカンムリオオタカがそうだった。衰弱して立てず、趾は腫れて黒ずみ、脱落している部位もあった。治療で右足の前後の指は残すことができ、次第に回復したので、廖朝盛は自然に返す頃かと考えた。だが訓練エリアに放ってみると、右足の親指の傷が悪化し、体重をかけて立つ左足が炎症を起こしていた。これでは木に止まったり狩りすることはできない。自然に放つことは死を意味するので結局は安楽死させるしかなかった。
生命は無常、それが野湾の日常だ。だが死は終わりではない。病理解剖を行って死因を解明し、その種をよりよく理解する。毎日ひどい傷を負った動物が搬送され、しかも法律で禁止された捕獲道具でケガをした動物も多い。だが決して悲観的にはならず、むしろ彼らには前向きの力がみなぎる。傷つきながらも生きようともがく動物を目の前に、「私たちが文句を言っている場合ではないと思うのです」と綦孟柔は言う。
仲間に声をかけて野湾野生動物病院を設立した綦孟柔は、野生動物保護を自分に与えられた使命だと考えている。(野湾野生動物保育協会提供)