台北大龍小学校の建設と保存論争
各界が共通認識に達している大園尖山遺跡に比べ、校内に遺跡の発見された台北で一番古い小学校、大龍小学校は、それほど幸運ではなかった。
大龍小学校に遺跡が発見されたのも、偶然であった。台北市が都市計画を実施している大龍峒;文化園区「六芸広場」工事の時、地方の文化関係者が清代の「輦車堡」遺跡と思われるものを発見した。台北市文化局では去年9月に文化資産の調査を行うと共に、考古学の専門家劉益昌に試掘を依頼したのである。
考古チームが六芸広場から程近い大龍小学校の運動場に4つの探査坑を、周囲にさらに5つの探査坑を掘って試掘したところ、当初は日本時代の下駄や生活用品、明治の貨幣が見つかり、その下からは清朝の乾隆、道光の貨幣、さらに1.5メートルまで掘り進むと、先史時代の遺物が出てきたのである。単一文化の堆積の状況が見て取れ、今から4300から2000年前の訊塘埔文化と推定された。清朝の遺物を目的としていたのに、掘り進むと予想もしなかった新しい先史時代の遺跡が現れ、考古チームは興奮した。
しかし、大園小学校では政府、民間団体と学校の支持を受けられたのに対して、大龍小学校の問題は複雑である。
「大龍峒;は下町で人口密度が高く、道は込み合っています。漸く予算が取れて、全面的再開発が行われ、小学校には地下駐車場ができるというのに、中断できますか」と、ここに20年住む蔡さんは、地域住民が開発建設に期待する心情を訴える。その一方、地域の歴史的価値ある遺跡保存を望む声もある。
「大龍小学校の近くは孔子廟、保安宮などの歴史的建造物があり、台湾北部では貴重な教育史跡です。地方でも1万人の署名を集め、この古い町を保存したいと考えています。4500年前の遺跡まで見つかったのですから、市政府に開発再開の理由はありません」と、大龍峒;文史工作室の陳応宗代表は、地域への期待を示す。
劉益昌によると、大龍小学校は教育用地なので権利関係は単純で、遺跡も保存されてきたが、学校のある大同区は下町で、新しい学校用地や駐車場用地を取得するのは難しい。一番いいのは遺跡と学校の共存である。
しかしこれが難しいというのであればどうすればいいのであろうか。劉益昌はさらに、大龍小学校改築に当り、保存のよい南の遺跡は建設せず、北側については建設前に考古学調査と評価を行う、つまり半分は原状保存、半分は発掘して保存という方法である。
建設計画の見直しについて、台北市文化局二科によると、最大の問題は建設会社との交渉だと言う。工事を発注する台北市政府工務局にとって、遺跡保存と学校の建物建設の共存は初めての経験だし、すでに発注を終えているため、それを取り消して入札をやり直すとなると、法律や契約の賠償問題が出てくる。現在、この案件は市長レベルで最終的な結論を待っているという。