素朴な外観の上揚唱片(サンライズ・レコード)は台北市内の賑やかな一角、人通りの多い中山北路に48年も店を構えてきた。周囲のビルは入れ替わりが激いのだが、上揚唱片は48年を一日の如く、音楽への情熱を守ってきたのである。
台湾のクラシック音楽界では「上揚で見つからないなら、台湾にはない」と言われ、クラシックファンにとって上揚唱片は聖地のような存在である。デジタル配信が普及した今でも、上揚唱片のカウンターには顧客の注文が途絶えない。
二代目の経営者林晋賢は、両親に話が及んでも董事長、総経理と役職で呼ぶ。彼にとって、両親の生涯は上揚唱片と切り離せないのである。
レコード店からレコード会社へ
「当時はそこで寝ていました」と、林晋賢は事務所の一角を指さす。48年の時を遡り、1967年の台北が蘇ってくるようである。
「最初はステレオ器材店で、半分はレストランでした。レコードはステレオ器材の試聴用だったのです」と林晋賢は言う。ステレオが売れて、内外から音質の良いレコードを仕入れたところ、音楽ファンが集まり、ステレオより売れるようになった。そこから上揚はレコード代理店に転身し、1970年代には海外のクラシックやジャズのレコードを輸入販売するようになった。レコードの直接輸入ばかりではなく、ライセンスを受けて同じ内容の台湾版のレコードをより安い価格で発行し、音楽ファンから好評を博したのである。
台湾版レコードの発行に成功してから、上揚唱片の張碧総経理は台湾音楽のレコード発行を考えるようになった。その当時、台湾のレコード市場は賑わいを見せていたが、クラシックとなると、まだまだ開拓が必要だった。
1984年に、上揚は故人となった台湾の著名作曲家馬水龍と協力し、「梆笛協奏曲」を制作した。伝統楽器の特性を生かし、オーケストラと組み合わせた名曲として内外に好評で、1990年代には台湾のラジオ局BCCの時報音楽に採用され、台湾でも大変な人気を博した。レベルの高い台湾音楽を制作しようと、上揚唱片では海外の著名スタジオで録音を試み、江文也や胡乃元、湯慧茹、邱玉蘭、紀露霞及び李静美などの音楽家や声楽家の代表作も上揚唱片から出版された。当時の楽曲は今日でも人気があり、台湾民謡とバロック音楽を組み合わせた台湾版の協奏曲「四季」は20年余りを通じて上揚唱片の売上トップを占める。よい音楽は時代を越えて聞き継がれ、上揚唱片にとっても新しい作品を生み出す原動力となっている。
起伏に富む人生の楽章
上揚唱片の台北店には優雅な楽の音が響くが、上揚唱片公司の物語も、楽曲のように起伏に富んでいる。1990年代中期となると海賊版CDが横行し、多くのレコード会社に打撃を与えた。2000年以降はデジタルのネット配信の衝撃を受けて、リアルのレコード店は市場から消えていき、上揚唱片も少なからぬ影響を受けた。
「最大の影響を受けたのは自社制作です。2002年の李静美の『満面春風』が最後のレコードです。モスクワで録音して製作費は500万元でした」と林晋賢は言う。自社制作はコストが高く、ほとんど利益が出ない。製作費は100万元を超え、5000枚以上売れないと回収できない。以前は代理店の収入で支えていたが、市場が縮小する現在では自社制作を諦めざるを得ない。
リアルのレコード店が都市の景観から消失する中、2008年に思いがけない事件で上揚唱片がマスメディアに取り上げられることとなる。
上揚唱片の隣にある国賓飯店前で大規模なデモが起こり、中山北路は人で埋まった。店内ではちょうど『台湾之歌』アルバムをかけていたが、デモの一人が店員に音量を上げるように求め、それが警察の注意を引き、双方の小競り合いとなった。「当時、新竹にいて、ニュースを見て自分の店だと驚きました」と林晋賢は言う。
ところが、これをきっかけに『台湾之歌』を購入する客が急増し、一日で在庫切れとなった。それでも客は後を絶たず、それならと他のCDを買い求めるため、数日で店から商品が消えた。
この事件で上揚唱片の知名度が上がり、長年育ててきた台湾の芸術音楽も広まってきた。そんな中、上揚の運営は激変する。2010年になり、経営管理と海外代理権交渉を担当してきた張碧が脳梗塞で倒れ、林晋賢と二人の妹が急場にあたることになったのである。
当時、新竹サイエンスパークの会社の管理職を務めていた林晋賢は、平日は新竹で勤務し、土日は台北で経営に当たった。こうして2年余り休日もなく頑張ったが体がもたなくなり、会社を辞職して、家族が使命感を持って経営する音楽事業に専念することにしたのである。
事業継承の難しさ
2013年に林晋賢は董事長スペシャルアシスタントとして上揚唱片の楽章を引き継いだ。今時CDを買う人はいるのかとよく聞かれると、林晋賢は笑う。レコードがカセットになり、CDになり、今後はネット配信に取って代わられると言われる。だが、今すぐではないと林晋賢は言う。
リアルのCDが今も残っているのは音質のためである。現在のデジタルファイル形式には、CDの音質を再現できるものがあると言うが、それでも完璧な音響効果を求めるには、CDが最良の選択である。音楽市場は二極化していて、ハイエンドの愛好家はCDの高音質を求め、一般の人はネットの便利さを求める。音響設備に百万元を投下する人はMP3を聞くことはない。時間があればお気に入りのCDを家のステレオで聞き、外出時にはスマホで音楽を聴く。デジタル配信の視聴とリアルのCDは共存できると林晋賢は考えている。
時代の流れに合せて方向性を調整するのが、上揚の経営の鍵である。デジタル配信が主流となり、1枚数百元のCDが一曲30元のMP3ファイルになるとしたら、上揚の経営戦略も転換する。海外の上質なCDの代理は継続して台湾における非主流音楽の宝庫を維持する一方、ネットやSNSなどの新しいチャネルも開拓する。さらに台湾録音著作権人協会が推進する放送ライセンス機構に参加し、ラジオや商業施設などが必要とする音楽の合法的な放送を保証し、放送回数や時間で費用を計算してレコード会社や創作者に合理的な利益を確保しようとしている。
「ネットは制約ではなく、多くの可能性をもたらします」と、その可能性を林晋賢は語る。去年は出版社と提携し、推理小説の気分を盛り上げる本とCDのセット販売を実施し、個別販売時の10数倍を販売した。そこで、映画やテレビ、サイト、広告から旅行会社、ホテルまで異業種との協力モデルの可能性を積極的に探っている。
林晋賢は新竹でのマネージング経験を家業に持ち帰り、数十年来両親が守ってきたレコード代理の本業を守りつつ、新しい可能性あるイノベーションを推進している。伝統と創造を融合するこのリアルのレコード店は、音楽を愛する人の情熱をエネルギーに、新しい楽章を奏で続けているのである。
二世代にわたって経営を続ける上揚唱片(サンライズ・レコード)は、伝統を大切にしつつ新しいビジネスにも挑戦している。二代目の林晋賢の努力の下、創設者である林敏三と張碧の初心は今も守られている。
二世代にわたって経営を続ける上揚唱片(サンライズ・レコード)は、伝統を大切にしつつ新しいビジネスにも挑戦している。二代目の林晋賢の努力の下、創設者である林敏三と張碧の初心は今も守られている。(右/上揚唱片提供)
上揚唱片は台湾の優れた芸術音楽を推進するだけではない。第1回金曲賞ベスト男性ボーカル賞に輝いた殷正洋など、メジャーアーティストも発掘してきた。写真中央は作曲家の馬水龍。(上揚唱片提供)
上揚唱片は台湾の優れた芸術音楽を推進するだけではない。第1回金曲賞ベスト男性ボーカル賞に輝いた殷正洋など、メジャーアーティストも発掘してきた。写真はプロデューサーの梁弘志(右)と 殷正洋。(上揚唱片提供)
音楽のデジタル配信が普及し、温もりのあるリアルのレコード店は減少し続けているが、上揚唱片は今も音楽愛好家の聖地である。