生きていくための建築物
2016年に裘振宇がセンターの設計建設を引き受けた時、現地の複雑な政治環境から、成功しないだろうと見られていた。確かに最初の4年は多くの難題に直面したが、奇跡的に完成した。
例えば、4年の間に市長が3回代わり、3人それぞれの考えも異なり、設計図は11回目にようやくレイハンリ市に受け入れられた。台湾の外交部による人道支援の予算しかないため、アーチ型の屋根もコンクリートではなくアルミ合金にした。
これは裘振宇にとっては初めての設計・建築の仕事だったが、トルコの首都アンカラの大学で教鞭を執っていた彼は、学生たちを率いて35回もレイハンリを訪れて調査を行なったことから、市長や国会議員の信頼を得ることができ、おかげでさまざまな困難を乗り越えることができた。
52のアーチ型のスペースのコンクリートの基礎は、もともと軍の検問所に用いる強度レベルC30というコンクリートで、ロケット弾の攻撃にも耐える強度を持つものだ。実はこれが非常に安く、1スペース当り500米ドルしかかからず、既存の軍事施設を人道施設に応用することができた。「国境の傍らにいる私たちは戦いながら生き延びなければならないということを、全世界に伝えたいのです」と言う。
建築史を教える裘振宇によると、モダニズム建築は第一次世界大戦後に出現し、第二次世界大戦後に世界的に流行した。戦後には急速な再建が求められたからで、短時間で施工できる鉄筋コンクリートを用い、装飾を排除することで、都市住民の需要を満たしたのである。台湾センターのこの建物も、百年前のモダニズムと同様の使命を担っている。家を失った人々のために、限られた資源で最大限の効果を発揮するというものだ。まさに「戦後のモダニズム建築」なのである。