人民の総統府
「『人民の総統府』と言うだけではだめで、人々に入ってもらってこそ感じてもらえます」と総統府報道官の林鶴明は言う。
宝慶路と博愛路の交差点に面した三号門から総統府に入ると、大きな「府」の字が目に入り、傍らの説明にこう書いてあった。「『府』という字を分解すると、下の『付』には『人民の付託』の意味が込められ、総統の権力が人民から与えられたものであることを表します。つまり総統府は、人民の付託と期待を託された建物です」
常設展「府—POWER TO THE PEOPLE」と、建築百年を記念した特設展「府100」が催されている。「100の二つの丸は、建物の窓で言えば目を表します。展示のコンセプトは『人の目を通して総統府建築百年を見る』です」と李厚慶は説明する。
特設展の目玉は、人それぞれが捉えた総統府を展示する総統府写真コンテストと、台湾百年の写真を集めた展示だ。これら歴史的写真を配置したスペースには、総統府外壁のアーチ型窓を模した飾り付けが施されており、林鶴明によれば、ここにも展覧会のコンセプトが反映されている。
外国人の見学も大歓迎で、会場では中国語、日本語、英語の説明が聞こえてくる。シンガポールやマレーシアといった東南アジアの人々は台湾に関する知識もややあるが、台湾が歩んできた民主化への道を詳しく知っているわけではなさそうだ。ボランティアガイドが写真の前に立ち、国民皆保険の成果や、アスリートたちの活躍、社会運動の発展などを説明するのを、外国人観光客が感心したように聞いている。それを見ていると、台湾の歴史や自分の人生の歩みが思い出され、台湾人としての誇りが心の底から湧いてくる。
常設展のうち、「府—声音」は特に心を動かされるコーナーだ。台湾社会の民主化が進んだのは、多くの先人が体制に挑み、血と汗を流したおかげだ。このコーナーでは、社会の様々な声が集められており、人々の訴えが集結してパワーとなり、政権に聞き入れられたことがわかる。
今年4月に総統府前で開かれたコンサートも、また別の声の集結だった。
1995年にも、当時の陳水扁台北市長が総統府前の広場を若者に開放し、ダンスパーティーが開かれたことを李厚慶は思い出す。今年はおそらく最も総統府に近づいて催されたコンサートで、初めて総統府への自由入場も許された。
プログラムも特に工夫が凝らされ、クラシック、ポップス、インディーズ、客家、先住民、閩南など各ジャンルのコラボが披露された。廟の祭りなどで催される音楽的素材を新たにアレンジしたインディーズ・バンド「三牲献芸」と先住民シンガーの桑布伊が、総統府の車寄せ上に作られたステージに立った。ここは、かつて総統が閲兵したり、民衆に手を振る際に立った場所だ。まさに同じ場所で台湾オリジナルの音楽が演奏されたことに意義を感じる、と李厚慶は言う。
「台湾は長く製造業で世界に知られてきましたが、近年は王建民やアン・リー、戴資穎といった、各界で国際的に活躍する人材が出ています。このコンサートは台湾の多様な文化を集結し、その実力、より細緻な国力を示すものです」と林鶴明は説明する。
5月下旬、蔡総統は自ら案内役を務め、外国人観光客を招いて総統府に泊まってもらった。これはグレート・バリア・リーフで島に暮らす若者を募集した「世界一素晴らしい仕事」の例を参考にしたもので、国家元首の執務の場としては、世界で初めての試みだろう。台湾人のもてなし好きは有名だし、総統府だから宿泊の安全は保証つきだ。李厚慶は「世界に台湾を見てもらう良い方法です」と言う。
我々は初めての女性総統を選出した。そして5月には総統府の前で100卓を連ねた同性婚披露宴が催された。近年は台湾が国際社会で取り上げられる回数も増し、その話題も多様化している。我々はもっと自信をもって世界と友達になるべきだろう。多くの歴史を見つめ、台湾の記憶を積載したこの建物が、介寿路から凱達格蘭大道に生まれ変わったこの道に屹立し、今後も時代とともに更に自由に、人々の歩みに寄り添ってくれることを望まずにはいられない。
アーチ型の窓や回廊、赤と白の装飾など、百年の歴史を持つ建築物はじっくり鑑賞するに値する。
幼い頃から総統府の近くに住んでいた李厚慶は、この建物がますます国民に親しみのあるものになってきたと感じている。
台湾らしいモチーフを取り入れた総統府の応接室。写真は、 書がかけられ、台湾固有の生き物をモチーフにした絨毯が敷かれた「台湾緑庁」。(荘坤儒撮影)
築100年を記念する「府100」特別展で、見学者は自分の角度で総統府を観賞することができる。