愛するゆえに
週末の夕方、県道145号線を走っていると、平坦な農地の向こうに銀色に輝く温室が見えたので、訪れてみることにした。愛想よく迎えてくれたのは、温室栽培を行う「華興有機農場」の主、廖瑞生で、西螺の野菜生産販売チーム47班の代表でもある。有機栽培がまだ今ほど行われていなかった頃、廖瑞生は早くもチームを率いて有機栽培の研究を続け、しかも自宅の倉庫の上に農薬検査所を作り、収穫のたびに残留農薬を測定して、結果を政府に提出した。なぜそこまでするのかと問うと、廖瑞生は「私は雲林人で、雲林のすべてを愛しています。毒のある農薬を使えば、土壌はどうなります。水源は? 私の故郷は?と考えたのです」
彼の努力は報われ、彼と47班の有機農場は、指定6都市の小中学校での給食食材サプライヤーとして選ばれた。「私は毎日畑に行って菜っ葉たちに話かけ、彼らの生長に気を配り、日差しがきついと天井に遮光ネットをかけてやります。愛を込めて育てた野菜です。食べた人が健康になりますようにと」と語る。
再び自転車を走らせ、今回の旅の最終スポット、西螺に来た。ここは「醤油の故郷」と呼ばれる。西螺の人は帰省したらお土産に必ず醤油を買って来るものと周りから期待されていて、買って来ないと叱られるらしいが、それを西螺の人は誇りに思っている。西螺の醤油は、本当に最高だからだ。
我々の目的地は、祖父の代から薪をくべて手造りを続ける醤油の老舗「御鼎興」だ。コクのある醤油作りに没頭してきた父親は数年前に、3代目になる謝宜澂と謝宜哲兄弟に家業を任せた。二人は醤油への愛を元手に、新たに道を切り開いている。ブランド「御鼎興」を国際的にも広めようとニューヨークにも進出した。また「御鼎興」醤油を異なる食材と組み合わせて多様な味を生み出し、創作料理を作ってシェアしている。
我々が自転車を止めると、庭で兄弟が醤油甕のふたを開けたところだった。香りに引き寄せられたミツバチが甕の周りを飛んでいる。謝宜哲が「ふたを開けるといつもこうです」と笑った。庭じゅうに並ぶ甕は、水を加えない「乾式熟成」と塩水を加える「半水熟成」の2種類に分かれており、それらをどういう比率でどう混ぜるかは、家伝の秘訣だ。謝宜澂が釜に薪をくべる。温度調整は経験による判断だ。そのあと、人の背丈ほどもある長い鉄杓子を両手で持ち、ゆっくりと醤油をかき混ぜ始めた。次第に温まってきた醤油から、ふくよかな香りが漂う。
御鼎興を出た後もしばらく醤油の香りに伴われ、雲林の旅にふさわしい締めくくりとなった。今回は、農地や文化の道をたどり、まるで自転車という筆で線を引くように、雲林の平原に美しい地図を描くことができた。その地図上には、農業の里としての素朴さ、文化や歴史、人情や滋味が集められている。
町役場と警察局、消防局が集まった「合同庁舎」。高くそびえる消防隊観察塔は、かつては一帯で最も高い建物で、虎尾鎮全体を見渡すことができた。
虎尾厝サロンは台湾人が建てた洋館で日本の伝統的な屋根を載せてあり、当時は前衛的とされた「帝冠式」の建築スタイルとなっている。
劉銓芝(左)は、唐麗芳(右)が故事館による文化交流の方式で日本統治時代の古い建築物に新しい命を吹き込む方法には大きな意義があると考えている。
雲林を愛するからこそ有機農業にこだわる廖瑞生は、今も毎日温室に足を運んで野菜を愛で、大切に育てている。
黒豆醤油を作る老舗「御鼎興」三代目の謝家の兄弟は、創意とマーケティングとシェアリングの概念によって「醤油美学」を打ち出し、老舗のイメージを変えつつある。