DNAデータベースが教えてくれる
理論的には、一卵性双生児を除き、同じDNAを持つ人はいないから、親子の鑑定にも用いられる。では警察において、DNAは犯罪の証拠になるほかに、何ができるだろう。そこで、陳福振はDNAを用いて行方不明者の捜索も行う。しかし、この業務が始まったのは、悲しい出来事がきっかけだという。
十数年前、認知症を患う人が行方不明になった。家族は居ても立っても居られず警察に捜索願いを出し、真剣な家族は即座に法医研究所でDNAデータを登録した。同じころ認知症の本人はと言うと、通行人が新北市の警察局に連れて行っていた。認知症のため身元不明者として登録され、社会局が保護施設に収容し、政府が一日600元の施設費用を負担していた。
認知症患者はその5年後に亡くなり、そのDNAが「身元不明死者DNAデータベース」に登録され、ここで初めて家族のDNAと照合されたのだ。遺骨を引き取りに来た家族は静かに言い残した。「公的機関で5年も前に見つけていたのなら、どうして5年前、生きている間に還してくれなかったのでしょう」
当時の新北市副市長・侯友宜は2013年、行方不明者に関する会議でこの例を挙げた。「なぜ生きている間に家族に会わせてやれないのか?」そうして関係機関に、対策案を検討し、体制の不備を解決するよう指示したのだった。陳福振は公文書に署名し、存命の「身元不明者」のDNAデータベース構築に着手した。
すると、新北市で保護し登録した身元不明者41人すべてが、新北市の保護施設にいるわけではないことが分かった。ずいぶん前に花蓮や苗栗で収容されている人もいて、DNA採取は結局台湾全土に及んだ。陳福振は苦笑する。「どうりで家族には見つからないはずです」
2014年に構築された「新北市保護身元不明者DNAデータベース」によって、最初の照合で9人の身元が判明し、家族が見つかり、家へ帰っていった。その内、政府が保護して31年になる例では、彰化に住む家族が認知症の母を20年間探した後に、死亡認定の手続きもしていた。2020年に家族がDNA鑑定ができることを知り、照合したところ花蓮玉里の保護センターにいることが分かったのである。認知症の母と一家が再び会えたことを、員林警察分局が盛大な記者会見で発表した。その成功は、陳福振が2014年から台湾全土を回って集めた身元不明者のDNAデータデータベースに負うところが大きい。
銃弾や薬莢の鑑定と対比分析は、銃撃事件捜査に重要な証拠を提供する。