山を下り、新たな窓を開く
ソローは2年にわたる森の生活の後に俗世の生活に戻り、著述や教育を通して「市民的不服従」と自然との共存に関する思想を広めた。同じように阿宝も2007年末に山を下りた。最初は宜蘭の田舎に家を借りて母親の世話をしながら山での農作業を続けた。1年後、彼女は宜蘭に0.5ヘクタールの田畑を借りて腰を据え、「友善耕作(地球にやさしい)小農連盟」と「小農市」の結成に取り組み始め、宜蘭の農村復興運動に火をつけたのである。
山を下りて2年後の今年1月、記者は宜蘭コミュニティカレッジの「地球にやさしい農業推進の地元からの支持の可能性」という座談会で阿宝に出会った。座談会の来賓や学生にとって、彼女は「拒絶できない主催者」であり、「情熱を伝染する」先生であった。
なぜ山を下りたのかと問うと、自分はライフプランを立てるのが苦手で、内的な困難に直面するたびに方向転換すると言う。今回山を下りたきっかけは年老いた母親の世話をするためで、家族を持たない彼女は、母親の世話と梨山の果樹園を維持するために、桃園に独り暮らししていた母親を宜蘭へ迎えたのだと言う。宜蘭に家や土地を探す過程で、彼女は台湾の農村の衰退を目の当たりにし、試みる価値のある使命を感じた。
これまでを振り返り「私は山林の保護ばかりを考え、農村に目を向けていませんでした」と言う。今までの10年は、一人で好きなようにやってきた。「一人で全て完結していましたが、運命のいたずらで、ある段階に来て変化が生じ、そうはいかなくなったのです」
阿宝にとって、本の執筆は高い評価と果物の販路をもたらしてくれるが、プレッシャーも大きい。社会の支持は自分一人のものであるべきではなく、自分のところへ集まった資源をもって、他の心ある小規模農家の前進を助けたいと考えた。
企業型農業経営と比べ、地球に優しい小規模農家は「生物多様性」の守り手であることが多い。「この点だけを見ても、小農の労働過程は異化と機械化を脱しており、力と美に満ちています」と話す阿宝は、思索にふけりながら葉をつまみ、水路の水で洗ってゆっくりと味わう。