わがままを言っても頼りに
謝佩妤に、「阿秋」と別れた時の気持ちを聞くと、記憶はすでに曖昧なようだったが、かたわらにいた祖母が鮮明に覚えていた。「帰国の際、阿秋は私を抱きしめて泣いていました。国に持って帰りなさいと私は贈り物を渡しました」賢くてよく気のつく阿秋が孫娘をどんなによく世話してくれたか祖母はよく覚えていた。
家族同様に、阿秋は同じテーブルで食事をした。阿秋には洋服も買ってもらい、美容院に一緒に行ったり、病気になれば病院にも連れて行ってもらった。ただ阿秋と一緒にいる時間が最も長かった謝佩妤は、幼い頃はきかん気で、阿秋によく口ごたえし、いたずらもした。
「阿秋が私の言うことを理解できないと、私はよく癇癪をおこしました」阿秋に対するこんな態度は父の影響かもしれないと謝佩妤は言う。日頃から父は口が悪く、阿秋にも「どうせそのうち帰ってしまうのだ」と言っていた。だが阿秋はこんな親子に対していつも笑みを絶やさず、静かに聞いていた。
阿秋に対する態度は悪かったが、謝佩妤はその実、阿秋を母よりずっと頼りにしていた。オネショをすると母を起こさず、弟の部屋へ行って阿秋を起こして後始末してもらった。後に幼稚園で盗みを疑われたことがあった時、誰も自分の無実を信じてくれず、もし阿秋が台湾にいてくれたらきっと信じてくれたのにと思った。阿秋はいつも無条件で彼女を受け入れてくれたからだ。小さい頃から動物が好きだったので、よく阿秋に野良猫や野良犬を見に連れて行ってもらった。今、謝佩妤は中興大学獣医学科で学ぶ。

許紫涵一家はドゥイを家族の一員と見なしてきた。新型コロナが収束したらインドネシアで再会する約束をしている。(許紫涵提供)