世代交代
金馬賞の歴史は華語映画史の記録でもあり、この半世紀の台湾社会の発展と変化をも反映している。
金馬賞の「金馬」は金門・馬祖の前線で戦う兵士の精神から取ったもので、「反共復国」の時代、一種のプロパガンダでもあった。
初期には明確な審査基準があり、作品テーマのイデオロギーや各種技巧など評価項目が定められていた。だが、それに背く現象も起きた。第2回の作品賞は『梁山伯与祝英台』に贈られたが、主題のイデオロギーから見れば『呉鳳』に贈られるべきだったと聞天祥は言う。審査では両作品に支持者が別れ、最終的に『呉鳳』には特別賞が贈られた。
1960年代には中央電影公司と李行を中心に「健康的なリアリズム」が形成された。プロパガンダ映画もあったが台湾独自のリアリズムが育っていった。
評論家の黄建業によると、李行は映画制作に厳格なプロフェッショナリズムを確立し、それによって70年代に愛国映画や文芸作品が大量に制作される台湾映画の黄金時代が築かれたという。
そして1983年、胡金銓、李行、白景瑞という3人のベテラン監督が『大輪廻』を制作したが、その興行成績は3人の若手監督が制作した『児子的大玩具(坊やの人形)』に及ばず、李行は世代交代の流れを認めざるを得なかった。
世代交代は実現したものの、映画産業は発展せず、70年代には衰退し始める。80年代にはニューシネマの波で芸術性が高まるが、産業としての基盤が脆弱で映画制作者は孤軍奮闘することとなった。
金馬賞は創設当初から香港映画が参加したことで世界的な華語映画祭となった。写真は、金馬賞の常勝軍である香港の王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『一代宗師(グランド・マスター)』。