ジャンル映画とはスタイル、テーマ、構成、キャラクターに至るまで類似の特徴を備えた映画を言う。よくある映画のジャンルとしては、ミュージカル、サスペンス、刑事物、ホラー、西部劇など、独特のストーリー構成やスタイルを特徴として備え、一定の観客の支持を受けている。
ここで言うジャンルとは、創作者と観客の間に成立する不文律的関係である。剣戟の音が行き交う映画を好む観客は、当然カンフー映画を選ぶ。宇宙の旅や宇宙人との接触に夢中な映画ファンならSF映画だ。宇宙人もカンフーも現実の生活には存在しないが、ジャンル映画にはストーリーのマジックがある。観客はこの時ばかりと単調な日常生活から逃れ、スクリーンの映像に想像力を羽ばたかせられる。
アメリカのハリウッド映画産業は20世紀初頭に始まり、大スタジオで大量に西部劇や警察の物語、ミュージカルなどジャンル映画を作り出した。世界の映画界に目を向けると、主要なヒット作はすべてジャンル映画に区分できる。
台湾にはジャンル映画の伝統がなかったわけではないが、1980年代に映画産業が衰退し、娯楽映画に反対し、台湾の歴史体験や価値を重んじる新しい映画を率いる侯孝賢や楊徳昌などが出てきた。この台湾映画のヌーベルバーグは商業的なジャンル映画に反対し、こういったジャンルの市場性を軽視してきた。しかし、芸術性の高い映画は大衆受けせず、台湾映画の興行成績には役立たなかったのである。
一方、ジャンル映画はビジネス的には成功しても、映画を型にはめ込み創造力を枯渇させるという問題がある。中国の監督陳凱歌と張芸謀が「黄色い大地」を撮った時、河川の画面のためにズボンをまくり上げて川に入った。それが陳凱歌の新作ファンタジー「無極」では、あからさまなジャンル映画の模倣に制約され、人物は平板で人を打つものが少ない。
台湾では霊異映画がブームだが、若手の柯孟融と陳正道は異口同音に、そのポイントは伝統的な恐怖感と、観客の想像を覆す点だと言う。さらに重要なのは、人間性の闇と、成長の試練を描けていれば、どんなジャンルの映画でも成功するという。