政治と経済と
香港と中国との距離はますます近くなり、その関係もますます緊密になっていく。イギリス国旗が下げられてから10年、香港は新たなパートナーとの関係に最初は懐疑的だったが、しだいに受け入れ始め、その勢いはしだいに増している。
「香港は一つのコマです。ここでの一国二制度が成功すれば、台湾と世界に対する最良の宣伝になりますから。また同時に、北京としては香港を利用して上海幇を牽制することもできます」と、台湾と香港・マカオの政治に詳しいある評論家は指摘する。
中国では現在の「諸侯経済」の下、地方政府に高度な自主権があたえられており、省や市の行政首長の任免においても、企業誘致や経済発展の業績が主な評価基準となっている。各地が経済成長を最優先させる中で「江沢民・前国家主席の勢力が残る上海は、北京政権にとっては大きな脅威です。そのため、上海と香港が金融センターの地位を巡って競争している現在、北京当局は香港に肩入れしているのです」と、この評論家は指摘する。
しかし、香港はいつまで北京の寵愛を受けることができるのか。寵愛が失われた時、香港経済はどうなるのだろう。
「CEPAに関しても、香港人は知っておく必要があります。中国はWTOに対して『市場を漸次開放する』と約束しているので、香港だけが優遇されるという状況は変わっていきます」と潭自強さんは言う。
「より重要なのは、香港自体の特色がどこにあるかです」と指摘するのは林昱;君さんだ。中国からの優遇策だけに頼っていたのではリスクが高い。例えば台湾と中国が対話を再開し、三通が実現すれば、香港は年間200万人以上のトランジット旅客を失うことになるのである。
「イギリス時代から今日まで、香港の経済的役割は常に外部から指定され、香港自身には決定権はありませんでした」潭自強さんはこれこそまさに「植民地経済」の宿命だと指摘する。
「金融センターというは良いですし、香港にもその条件があります。しかし、正常な社会において都市が金融センターを目指して発展していこうとする場合、市民も意見を発表して、周辺措置を考えていかなければなりません。例えば、貧富の格差の拡大や地価上昇、あるいは地価高騰で他の産業が存続できなくなるなど、起こり得る問題にどう対応するか、議論する必要があります」
「しかし残念なことに、香港にはこのような機会はあたえられてきませんでした」と梁文道さんは嘆く。中国経済体系における香港の特殊な機能――金融、貿易、中継、旅行など――を強調しすぎるあまり、一つの独立した経済体としての完全性が犠牲にされ、そのため体質的に極めて脆弱で、しかもそのモデルに入れない大部分の香港人は厳しい状況に置かれるのである。
一方、歴史的に植民地はしばしば「搾取される」立場にあった。しかし「香港はイギリスに物質的な貢献はせず、香港政庁時代、イギリスも香港に対して経済的利益の還元を求めませんでした」と香港事情に詳しい台湾の政治評論家、南方朔さんは言う。「香港政庁が香港で得た経済的利益は違う種類のものでした。イギリス資本の多くの企業、例えばキャセイ・パシフィック航空やHSBC香港上海銀行を傘下に持つスワイヤーグループなどが香港で大きく成長し、香港経済の盛衰に影響を及ぼし、また多くの香港人を雇用してきました」と言う。
返還10周年を迎える直前、返還当時にイギリスとの交渉に当った中共国務院香港マカオ弁公室の魯平・元主任は当時を振り返って次のように述べた。97年の返還前の北京当局の考え方は「香港の安定は資本家に頼らねばならぬ」というもので、経済政策の重点は資本家を安心させることだったという。「イギリスも中国も、常に大企業を通して香港をコントロールしてきたのです」と前出の評論家は分析する。
「税率はアジアで最も低く、労働者保護政策はほとんどないという資本家優先の環境で、香港のcan do精神は、努力さえすれば成功できるという神話を生み出してきました」と香港の評論家、潭自強さんは言う。当時、大陸から香港へ逃れてきた難民たちは、そんなことは気にせずに99年という「借りものの時間」で富を築くことしか考えなかった。しかし返還後、かつて「社会主義」を標榜していた中国がこれを黙認したとしても「香港人は貧富の格差の大きい、資本家優先の社会に我慢できるでしょうか」と潭自強さんは問いかける。
「だからこそ民主化と自決の権利が重要になってきたのです。GDPと物流と金融センターの他に、香港には環境や社会正義に関するさまざまな問題がありますが、それらの問題の解決を北京に頼ることはできません」と梁文道さんは言う。
ショッピング、飲茶、そしてスピード感のある「アジアの国際都市」香港は、常に人々の味覚と視覚を満たしてくれる。