文化がテクノロジーに影響
日本のロボット研究者の多くは、アトムのように「優しい心」を持ったロボットを作りたいと夢見ている。自動車メーカーのホンダでロボットを開発する竹中透や広瀬正人もアトムのファンだ。ホンダは1986年に秘密裏に10年計画をスタート、1996年に初めて人型ロボットP3のプロトタイプを発表し、世界を驚かせた。
身長160センチ、体重130キロのP3は宇宙飛行士のような姿をしていて、人間と同じように少し身体を揺らしながらバランスを取って二足歩行する。ドアに向って真っ直ぐ歩き、ドアノブを回して押し開き、階段を上ることもできる。ただ、周囲の変化に臨機応変に対応することはできず、進行方向に人が立っていれば、そのままぶつかって人を倒してしまう。
その後、改良が重ねられ、2000年11月にASIMOが誕生した。身長120センチ、体重43キロの軽い合金とプラスチックのロボットが、ゆっくりと歩きながら記者会見場に登場し、カメラに向って手を振った。
ASIMOという名前には、アシモフへの敬意も込められているようである。
ロボットは、人型とそうでないものに分けられ、人型でないものの方が早くから応用されてきた。例えばロボットアームは、スペースシャトルや宇宙ステーションなどに欠かせない存在となっている。
人型ロボットの開発が難しい理由はもちろんたくさんあるが、最も簡単な説明は、人間があまりにも精密にできているので、それに似たものを作るのが難しいというものである。
こんな言い方をする人がいる。夢からスタートした日本では、ロボットを「人間の延長」と考え、ロボットは人間の忠実な仲間であるべきだと考える。一方、アメリカではロボットを「人間の対照」ととらえ、潜在的なライバルと考える。まったく異なる文化的思考が背景にある。人型ロボットの研究でアメリカが日本に遅れをとっているのは、キリスト教文明と関係しているのかも知れない。「人の創造」は神の仕事であり、人間が神の仕事をしてはならないという考えが根底にあるからだ。
限界まで小さく
ロボットは人間以外の生物を真似たものでもよく、そうするとさらに応用の範囲は広がる。
バイオニクスとは、生体の構造や機能を模倣して、それをさまざまなエンジニアリング設計に応用するものだ。例えばアメリカの国防高等研究計画局が支援する蜘蛛の形の15センチの飛行機は、衛星が撮影できない細部を偵察するロボットだ。またカリフォルニア大学バークレー校が研究する「スマートダスト」は、センサーを持つ、塵のように微小なロボットで、それを指先につければキーボードがなくてもコンピュータを操作でき、冷蔵庫に入れておけば食品の鮮度をモニターすることもできる。
1966年に映画として公開され、後にアシモフが小説化した『ミクロの決死圏』は、マイクロロボットの医学応用を予言した作品である。映画の内容には科学的矛盾があるものの、医療チームと潜水艇を縮小して患者の体内に注入し、血液の中をめぐりながら免疫力を増強し、ウイルスや腫瘍を探すというのは、現在まさに各国が研究しているテーマでもある。
人間とロボットの融合
ロボットが人体の一部になるのも遠い先の話ではない。人工関節や補聴器、心臓ペースメーカーなどを身体の一部としている人は大勢いるし、人工心臓や人工角膜、神経信号とつながった義肢なども開発が進んでいる。
人間が怪我や病気で身体器官を損なうと、それを修復したり、矯正したりするが、将来は人間もアシモフの小説に出てくるロボットのアンドリューのように、ロボットメーカーに行って機能をバージョンアップするようになるのかも知れない。
マサチューセッツ工科大学で先進プロテーゼ法を研究するHerr助教授は自らも両足を失った障害者だ。「彼は太腿から下は完全にロボットだ。しかも手の込んだロボットではなく、プロトタイプに過ぎない。金属が骨の代わりに入り、筋肉があるべき場所には基板が付けられ、電池は黒いテープで止めてあり、至るところでワイアーが揺れている」と同大学人工知能研究所のブルックス教授は著書『Flesh and Machines』に書いている。Herr助教授は、人工筋肉によって動く義肢を研究しているのである。
未来のものだと思われていたロボットが次々と現実の世界に登場し、ロボットに対する人々のニーズや渇望、恐怖や排斥といった複雑な心理が、心理学や倫理学の新たなテーマとなった。日本と韓国では、ロボットの安全性と倫理に関する原則を定める計画が進んでいるという。その内容には多くの人が興味を持つことだろう。
ロボットはすでに探索者や労働者、外科医や俳優、ペットなどとして実際に社会に入っている。人間の想像は無限に広がっていくのだから、ロボットの進出分野も、今後ますます増え続けていくことだろう。