地域の祭りを全国規模に
近年は、地域活性化の「金のなる木」として、地域の文化や行事などを大々的に打ち出そうという動きが活発だ。地域でひっそりと行われていた文化行事が、次第に発展して全国規模の祭りとなり、ひいてはそれによって国際化が図られる。宜蘭の国際子供の遊び祭り、美濃の黄蝶祭り、三義の木彫祭り、塩水の爆竹祭りなどがそうであり、もちろん平渓の天灯祭りもここに含まれる。
地域の行事が全国規模になることの利点は、何と言っても押し寄せる観光客と、彼らが落としていく金だろう。人口5000人に満たない平渓郷に、今や天灯祭りとなると、数10万人に及ぶ観光客が訪れる。経済が活気を呈すると若者たちのUターンも始まり、普段はひっそりとした十分の町がたいへんなにぎわいとなる。十分駅近くの食堂では、帰省してきた10数人の家族もみな店を手伝うことになるし、天灯を売る商店には、小正月だけで30万元以上の売上げを出す店もあり、さほど売れない店でも5万元は売れるという。
普段は人影の少ない平渓郷にとって、1年に1度の小正月は大きな収入源なのである。天灯を製作販売する人や、飲食店の経営者にとって、1年に3日も続く交通規制も何ということはない。「人出が多いほど、稼ぎになりますからね」と、天灯を売る露天商は言う。
地域が熱心に自己PRを続けるのを、文化評論家の陳板さんは次のように評する。「大規模な祭りが悪いのではありませんが、きちんと準備ができていない状態で、ひたすら観光客を呼び込むと、文化をどんどん消耗してしまうことになりかねません」と。文化産業は、商売で終わってはいけないというのだ。
では準備とは何か。陳板さんによれば、平渓では組織・規則作りが整っておらず、外から来た露天商などに対しても無対策で、飲食店などの経営方法も行き当たりばったり、とても地域の特色を出すところまでにはいたっていない。「天灯祭りは地域と深く結びついた、地域の特色を見直すものでなければならず、祭りを通し、自信を持って他地域と対話できるものであるべきです」と陳板さんは言う。
確かに、盛大な天灯祭りが終った後の平渓では、木や畑、川辺、線路、電線などいたる所に天灯の残骸が残る。また、天灯広場の近くの住人は、一晩中、竹竿を片手に、失敗して燃えながら落ちてくる天灯を払いのけなければならない。
大規模なコンサートに若者は熱中するが、イベントが多くなった分、感動は減った。カーニバルのような文化的行事は天灯祭りの静かな喜びに背離するものなのではないだろうか。(蔡斯撮影)