西門市場の盛衰
紅楼周辺の西門市場は、日本統治時代には台湾全土で最も流行先端の商品を扱う市場だっただけでなく、台湾北部最大の食料品卸市場だった。
ところが、1980年代には人々の消費スタイルが変わってスーパー主流の時代となり、西門市場に足を向ける人は激減、再起は不可能と思われるまでになる。紅楼が文化財に指定され、新たなスタートを切った後も、長い間さびれた状態が続いていたのである。
黄永銓は当時をこう語る。もともとそこに店を出していた肉屋や八百屋、飲食店などは、政府の打ち出した「文化創意」というイメージに自分たちは馴染まないことを感じ、補償金をもらって店をたたむ道を選んだ。ところが新たに入った商店も経営状況は決して良くなく、2003年前後に相次いで商店が変わったが、依然として客足は遠のいたままだった。
しかし、3年ほど前に、同性愛者を主な顧客とする「小熊村」が進出、ここでティーハウスを開いたのがきっかけで、思いがけず、転換のきざしが見えたのである。
「西門町はもともとファッショナブルで開放的なムードがあるうえ、交通の便もよく、そのくせ紅楼はやや奥まった地点にあって人目につきにくい。そういったことが、同性愛者関連の商店を集める要因となりました」と、カフェ・ダリダの経営者、アルヴィンは分析する。地下鉄西門駅の6番出口から出てきた人の群れは、そのまま直進して西門町歩行者天国や映画街のほうへと向かう。一方、6番出口から左側に目をやると、古風な紅楼の建物が見えるものの、その後方の広場に別天地が広がっていることに気づく人は少ない。
それにアルヴィンによれば、紅楼は、もっと早い時期から同性愛者にとってゆかりの地だったという。社会がまだ保守的だった1980年代、すでにポルノ映画上映館へと没落していた紅楼は、同性愛者がひっそりと集まる場となっていた。ふらりと訪れた独身青年と、結婚してすでに子供もあるような男性が映画館の中で出会い、カップルになって出て行く姿などが見られたのである。
カフェ・ダリダがこの地で有名になる以前、アルヴィンは男性同性愛者の間ではよく知られたパブ「フレッシュ」の店長だった。その頃の経験と、顧客の人脈を生かして、この地でカフェ・ダリダを開き、大いに繁盛させている。
カフェ・ダリダの成功を耳にし、やがてオープンカフェやパブ、レストラン、衣料品店、フォトスタジオなどで、同性愛指向を打ち出した店が次々と進出してくるようになった。今やこの辺りでは、マッチョ・タイプだけでなく、イケメンや美少年まであらゆるタイプのゲイが堂々と憩い、かつての「隠すべき嗜好」という同性愛のイメージとは、ほど遠いムードをかもし出している。
八角楼と十字楼が繋がった特色ある建築は台湾でも唯一のものだ。写真は日本時代の紅楼とその周囲の図。当初は「新起街市場」とされて、北側には稲荷神社があったが、神社は1945年の米軍による空襲で焼けおちた。