空腹の時代に、高価な作物を導入
農友種苗公司は、台湾で初めて種なしスイカの栽培に成功した「スイカ大王」陳文郁によって1968年に創設された。台湾ではおなじみの聖女プチトマトや天蜜洋メロン、それに数々のスイカの品種は、この会社の種苗栽培チームが生み出してきた。
農友種苗には世界各地の6万種以上の野菜・果物の種子が保存されており、スイカだけで1000以上の野生種がある。味覚の好みによって「オーダーメイドのスイカ」を生み出すこともできる。
同社はすでに300種近いスイカの品種を開発し、その生産量は世界のスイカの種子の4分の1を占め、50数ヶ国へ販売されている。
農友種苗の支社はシンガポール、タイ、大陸福建省、ベトナム、インド、インドネシアなどにあり、1994年にはミャンマーでの栽培を開始した。広大な沖積平野を持つミャンマーの土壌は肥沃で、温暖な上に雨量も多く、瓜類の栽培に適していることがわかり、ここに拠点を置くこととした。
だが、計画経済を実施するミャンマーで経済的価値の高い作物の栽培を推進するのは難しかった。軍事政権は各地で栽培する作物の種類を強制的に決め、主食となる稲や雑穀を主とするため、その他の作物を栽培する場所を探すのが大変だった。
「当時、ミャンマーの農業大臣に、私たちの農地探しに協力してほしいと願い出たことがありますが、『飯を食わなければ餓死するが、果物は食わなくても死なない』と冷ややかに断られました」と話すのは、農友種苗ミャンマー支社の総経理・郭坤石だ。彼はミャンマーで15年、現地の台湾企業の間では「地下の農業大臣」と呼ばれている。
幾度も働きかけて、ようやく政府の管理が及ばない半端な土地を探しだし、まず興味を示した農家に栽培してもらい、少しずつ基礎を作ってきた。
農友種苗は長い年月をかけ、実績を示して軍事政権の信頼を獲得し、ついに稲作が休耕になる乾期にウリ科果物を栽培することが認められた。
農友種苗ミャンマー支社の郭坤石総経理は、ミャンマーのスイカ市場開拓の立役者である。