本名を楽茞;軍という薇薇夫人は、若い頃は新聞やテレビなどのメディアで活躍し、恋愛、悩み、孤独など、女性の物語を得意としてきた。自分自身の生活の知恵を包み隠さず披露し、女性にそのあるべき姿を示したのである。しばしば女性に向い「簡単に足を止めないで、世界に通じるドアを締め切らずに、自分の人生を歩きなさい」と励ましてきた。美貌と美徳、知性を兼ね備えたその幸福な女性のイメージには、誰もが羨望したものである。

「国語日報」の社長を務め、長年児童教育に力を注いできた薇薇夫人。彼女の個展を訪れた子供たちと一緒に。

余光を描いて

1997年、薇薇夫人は65歳の誕生日に、国語日報社長を定年退職することにした。国語日報の規定では、社長の定年は75歳なのだが、このポストにしがみつく気はなかった。誰もが定年を迎えるものだが、楽しみにする人もいれば、心配する人もいる。楽しみにしていても、定年後の生活が期待した通りとは限らないし、心配していても、思いがけず定年後に新しい天地が待っていたことに気づくかもしれない。その鍵は、定年前にどれだけ周到に準備していたかにかかっている。

定年前の数年、薇薇夫人は内心ひそかに人生の後半を思い描いていた。絵を描き、本を読み、旅行し、展覧会や公演に出かけ、旧友たちと過ごす、そんな生活である。そこで、退職してから二日目に、30年来の友人で画家の奚淞を訪れて弟子入りした。

習い始めは、目を開けていれば絵を描き、一日10時間描いていた。その後アメリカに行き、コミュニティカレッジで学ぶ、楽しい老留学生になった。絵を描く楽しみについて、薇薇夫人は景色や花鳥、人物を好きなように配置できることだと言う。

たとえば「フリーダ･カーロに捧ぐ」と題した絵では、ショールつきの女性の衣装が谷間を渡る棒にかかっている。映画「フリーダ」の主人公ともなった、近代メキシコ絵画を代表する女性画家への敬意を表した作品である。奚淞によると、芸術家の中でも女性画家はもともと少ないのだが、フリーダと同じように強烈な女性の情熱を迸らせる作品を描くとは、薇薇夫人の芸術への情熱と共に、温和で内省的な性格のもうひとつの一面がうかがえる。

もう１枚「三犬一猫図」は、青空の下、石段に佇む犬３匹、猫１匹を描いたものである。みな画面を覗き込んでいて、この構図を奚淞はシュールレアリスムだと思った。薇薇夫人によると「新店の花園新城に住んでいた日々の記念で、毎朝出かけるときに石段を下りながら振り返ると、犬や猫があとをついてきて、訴えるようにじっと見送ってくれました。友人から貰ったり、裏山から拾ってきた犬や猫ですが、ここで一家になったのも何かの縁だろうと」ということになる。

1982年に薇薇夫人が親しい文化人たちと集まった時の貴重な写真。前列左から樊曼儂、韋韶明（鄭淑敏の娘）、薇薇夫人、蒋勲、王信、奚淞、馬以工、黄永洪。後列左から羅倫梭、ｭｳ端、鄭淑敏、呉静吉、林懐民。

家、帰るすべもなし

人生の晩年を悠々自適にすごせるのは、人として最大の幸福だろう。しかしこれも、薇薇夫人が人生の試練を乗り越えてきた末のもので、試練はたやすいものではなかった。

1932年、安徽省に生まれた薇薇夫人の家族は両親と妹で、父は著名な文芸評論家の楽蘅;軍である。母は息子を望んでいたために、小さい時からこの娘を息子として育て、髪を短く刈っていた。小学校に入ると、女の子は彼女と一緒になりたがらず、彼女も男の子とばかり、木登りや喧嘩など、男の子の遊びをしながら育った。

薇薇夫人は当時を思い起こし、母が早くに亡くなったため、父の影響を深く受けたと言う。杭州芸術学校卒業の父は、戦乱の中で絵を描くことはなかったが、開明的な人であった。二人の娘を連れて散歩していても、話すのは太陽の黒点である。その時代、高校生になると少女は胸をきつく縛らなければならなかったが、父はこれに反対で、校長先生に文句を言いに行った。女性の胸は自然に発育するのがよいのだというのだが、こんな父に娘二人は恥ずかしくて困ったという。「私の性格は父に似て、大らかで開放的です」と彼女は笑う。

しかし運命は無常、思いがけない転換をもたらす。1949年、国共内戦の中、中国は戦乱の時期にあった。学校にも行けなくなった女生徒たちを対象に孫立人将軍は「女青年大隊」を組織し、台湾で訓練することにした。妹と二人、この機会に台湾を見ておこう、どうせ数ヶ月で家に帰れるのだからと、父には試験に受かって台湾に行くと嘘をついて参加した。程なく中国は共産党化し、家に帰れなくなった。隊員たちはこのニュースに抱き合って泣いたが、その後、台湾を家にするしかなくなった。うら若い少女は異郷の日々から、自主独立の気概を養うことになる。

父の影響からか、薇薇夫人は読書好きで、絵も得意であったが、当時の部隊には読み物などほとんどなかった。女青年大隊の訓練地は屏東県阿猴寮と辺鄙な所で、その時代には本屋もなく、お互いに家から持ってきた本を交換してぼろぼろになるまで読んだ。軍が編集した宣伝用の「精忠報」が来るとみな争って読んだが、余りにも娯楽が少ないので、軍で壁新聞コンテストを行うことにした。文章も絵も得意な薇薇夫人は無論この機会を逃さず、彼女の隊は優秀な成績をあげた。

訓練が終ると、薇薇夫人は救国団の軍事訓練教官に選出された。しかし、彼女は学生の管理に興味がなく、しかも常に学生の側に立って抗議する側に回るので、学校の先生から冷たい視線を浴びた。軍事訓練の仕事は彼女にとって楽しいものではなく、ご主人の周徴教授に出会い、結婚を機に仕事を辞めたのである。

何の拘束もないリタイア生活を薇薇夫人は自分にとって快適なリズムで過ごしている。退職してから少しずつ模索してきた自分らしい暮らし方だ。

チャンスは自分の手の中に

結婚後、数年は仕事をしていなかったが、ある日新聞に台湾大学病院が美術編集スタッフを募集しているのを見て応募し、採用された。台湾大学には10年勤務したが、時にお小遣い稼ぎのために新聞に投稿していた。しかし、それも没になる方が多かった。ところが連合報に「核家族の喜劇」と題して投稿したところ採用され、シリーズとして毎週掲載されることになったのである。

こうして10ヶ月たった頃、新聞社の編集長が電話してきた。家庭欄のコラムを担当しないのかと言うのである。コラムが何かもよく分らなかったが、とにかく引き受けることにした。ペンネーム、薇薇夫人も編集部が決めたものである。こうして顔を見たこともない編集者が、コラムニストとしての彼女の生涯を開き、人生を変えたのである。

薇薇夫人は当時の状況をこう語る。３人の子供を育てながら、狭い家でコラムを書く。時には腰掛を持ってきて、ベッドの側で書いた。子供たちはペンを横取りしようとするし、それを取り上げてまた書き続ける。こうして、どれだけ忙しかろうと、テーマに悩もうと、期限までに原稿を出し続けたのである。

薇薇夫人のコラムは大きな反響を呼び、彼女の知名度も上がった。その後、中華テレビで放送を開始した「今天」に、薇薇夫人はメイン司会者として出演し、文芸評論を行うことになった。この機縁で、奚淞、樊曼儂、林懐民、呉静吉、蒋勲、馬以工、黄永洪などの芸術文化関係の名士と知り合い、30年来の付合いとなる。彼女が人間関係のアドバイザーとして、嫁姑、夫婦、親子の問題を解き明かしてきたことを、多くの人が覚えていることだろう。

薇薇夫人の名前が影のように自分に付きまとい、今日まで至るとは思いもよらなかったし、本名を知る人も読める人もいないと、彼女は言う。

こういった経験はチャレンジの連続だが、成果も上げてきた。しかし、本当につらい経験は、長男周凱の早逝であろう。

人生最大の苦痛

20年前、劇場の照明デザインを手がけていた周凱は、当代伝奇劇団の劇団創設公演「欲望城国」のために、24フィートの高さの足場に上り、ライトを調整していた。徹夜続きで疲れていたのか、足を踏み外して転落し、頭部に致命的な打撃を受けた。集中治療室で18日間救命治療が続いたが、ついにこの世を去ったのは26歳の誕生日である。

楽観的で開放的な薇薇夫人は、読者の前で涙を見せず、コラムのファンもそこから息子を失った悲しみを読み取ることはできなかっただろう。しかし、これが人生で一番辛く苦しい日々であったに違いない。彼女は深いうつ状態に陥り、できるのは眠ることだけだった。朝から晩まで目を開くことなく、長い夢を見ているようだった。病院に詰めて息子を看取ることもなく、葬儀にさえ出席しなかったというが、薇薇夫人は昏睡状態で現実から逃避し、目覚めたらすべてが元に戻っていることを願ったのである。

その時期、息子を失った悲しみに加え、さらに残酷な現実が待っていた。毎日着飾って働き、仕事を優先していたから息子が事故にあったと言う人もいれば、この物語を小説にすれば売れると言う人もいた。友人たちは腹を立て、告訴しようというが、薇薇夫人の反応は「それは私のことなの？」というものであった。

こんな経験から、薇薇夫人は人間性について考え始めた。人はなぜ、これほど残酷に他人の悲しみを取り扱うのだろうか。人生の行き止まりを感じ、一度は自殺を考えたが「それでも私にはまだ二人の子供がいる。家族もいる。私がいなくなったら家族はどうなるのだろう。どうせ生きていくしかないのなら、毎日嘆き暮らすわけにはいかない。そこで一人ドライブに出かけて、泣きながら山道をターンし、心の痛みを発散させました。家に戻る時は涙を拭き、作り笑顔を見せながら」と語る。

「フリーダ･カーロに捧ぐ」と題する作品は、メキシコの悲劇的な近代女性画家に敬意を表したお気に入りの作品である。

息子の大きな愛

そうは言っても、薇薇夫人は一人になるといつも息子の姿が頭に浮かび、夢にも見た。180センチと大柄でがっちりして、満面髭だらけだった周凱は、ちょっと見ると外国人のようだった。時に外国に出かけると、息子が外国のどこか知らない場所に生きていると思うのである。

ある時、ロサンゼルスの空港で出発を待っていたとき、息子によく似た人を見かけた。彼女は手荷物にもかまわず、その人のあとを追い始めたという。足早に歩く人を必死に追いかけながら、涙が吹きこぼれてきて、心の中では「周凱、あなたなの。振り向いてこっちを見てちょうだい。そんなに早足じゃ、おいつけないじゃないの」と叫んでいた。その人は振り返ることもなく、税関の奥に消えていき、残された彼女は隅っこの壁に頭を寄せて、声をたてずに泣いた。

また別のとき、外国から台湾に戻る機上で、疲れからすぐに寝入ってしまった。途中、激しい乱気流で機体は大きく揺れ、手荷物が上から落ちてきて、乗客は悲鳴を上げた。彼女も叫び声で目を覚ましたが、目を凝らすと機内案内のスクリーンに、周凱によく似た人が映っている。息子だと思い込んだ彼女はスクリーンに向かい「迎えに来てくれたの。お母さんはここよ。連れて行ってちょうだい」と叫んだ。

薇薇夫人はその当時を思い起こし「不思議と少しも怖くなく、三年ぶりに息子が迎えに来てくれたと思うと、ただ嬉しくて」と話すのである。

息子が世を去ってから長い時が経ち、薇薇夫人の気持ちもようやく落ち着いてきた。その年月を思うと、息子を失った痛みは消えたわけではなく、沈殿していっただけだという。薇薇夫人は書物の中から、徐々に生と死の必然性を悟り「親より先に死ぬのは、息子の親不孝だという人もいますが、息子は自分を犠牲にして、母親に死を恐れるなと言ってくれたのだと思います。息子の大きな愛なのです」と締めくくる。

薇薇夫人が描いた孫娘のスケッチはその表情をよくとらえている。今では年頃の美しい女性である。

山の町から海辺へ

この経験と悟りから、薇薇夫人のその後のエッセイには、しばしば生死別離の悲しみに勇敢に立ち向かうというテーマが登場するようになる。定年前に出版したオーディオブック『熱愛生命』でも、耐え難い悲しみにいかに向き合うかが語られている。

20年前の息子の急逝は、薇薇夫人にとって何ものにも替えがたいことで、そこから生の価値と意義は長さにないのだと感じた。息子は26年しか生きられなかったが、やりたいことを数多くやりとげ、生き生きとした人生を送った。そう思うと、彼女の悲しみは少し癒される。

３年前、薇薇夫人が半生を共に過ごした夫、周徴教授が山東省の故郷で病没した。息子と娘はすでに、それぞれ中国とアメリカに暮らしている。一人で古い家を守っていくと、目に入る物が思い出を募らせるので、30年住んだ新店の花園新城の家を売り払って、台北の反対側、淡水に新しい生活を求めることにした。

過去を振り捨てるために、引っ越すときには大部分の家具を処分してしまい、新居にはダイニングテーブルと椅子、それに何脚かの椅子を除くと、最も目立つのがサロンの中央に置かれたイーゼルである。周囲の壁にはその作品がかけられ、毎日用事もないので、イーゼルの前に座って、絵を描き続ける。自由自在な生活の中で、薇薇夫人は快適な生活のリズムを見出した。退職して10年、ようやく自分の望む生活のスタイルを築き上げたようである。

キャリアウーマンが定年を迎えれば、無論新しい自由な人生が始まるが、家庭の主婦も人生の第二の春を迎えるチャンスを逃してはならないと思う。

数十年もコラムを書き続けて、薇薇夫人は余りにも多くの満たされない主婦を見てきた。ポストも給与も、同僚も昇進もなく、もちろん定年も退職金もない。若い時代を家庭と子供にささげ、子供が大きくなってみると、温かいはずの家庭は空っぽの巣になり、夫と二人で暮らすしかない。その夫が自分と性格が合わなければ、当然憂鬱になり絶望するだろう。「女性は家を守りながら定年後の生活をプラニングしなければなりません。女性の平均寿命は男性より長いのですから、将来に向けて早めに人生設計をしてください」と、アドバイスする。

薇薇夫人は十数年前に祖母になった。娘婿はアメリカ人の博士、両親の長所を受け継いだ孫娘は活発で愛らしく、薇薇夫人は目の中に入れても痛くない。

最後のソロダンスを

薇薇夫人は、人の性格が運命と生活を決定すると考える。定年後の生活も同じである。明るく開放的、あるいは好奇心が強く学習意欲のある人は、定年後も場所が変わるだけで、年齢にかかわらず、生き生きとにぎやかに生きていける。困るのは閉じこもるタイプの人で、定年は人から外界とのつながり奪ってしまい、生活の意味も価値も失う。定年後に家に閉じこもってしまう人の多くは、程なくしてあちこち病気にかかったり、果ては自殺を図ったりすることもある。それでは人生でもっとも輝かしくあるべき黄昏の時期を無駄にするではないか。

「定年退職は正常な現象ですが、生活や人生から引きこもってしまうのは正常ではありません」と、中年になって子供を失い、老年になって夫を失った自分を例にとり、人生の波風を過ごしてきたあとに、今の自在で静かな透徹した生き方がことのほか貴重に思える。来し方、行く末に感謝の念を懐きながら。

人生のダンサーよ
退職はステージと演目の転換
でもダンスは続く
定年後、それは観客もいない
ソロダンスかもしれないし、
拍手もないかもしれない
でも自由、
決まった振り付けもなく、
気の向くまま
だからソロダンスを楽しんで
人生の最良のステップを踏んで
ダンスの終るそのときまで

薇薇夫人は友人のこの詩が大好きである。すでに定年を迎えたか、これから定年を迎えようとしているすべての人に、人生の幕はまだ降りていないと忠告する。ステージが変わるだけなのだから、これからも踊り続けて欲しい。最後のすばらしいダンスを、人生の最後に悔いのないエンドマークを贈ろうではないか。

1972年、薇薇夫人は中華テレビの朝の番組「今天」の司会を務め、女性たちが直面するさまざまな問題に解決方法を提供してきた。今も最も影響力のある女性作家の一人である。

多様な才能を持つコラムニストの薇薇夫人は、その思いやりで読者に慕われてきた。リタイアしてから絵筆を執り、新たな人生を歩み始めた。夢は若い人の特権ではなく、退職してからも夢を追い、それを実現できると考えている。