音楽フェスティバル
ライブハウスに行ったことのない人にとっては音楽祭がライブを経験する場となる。音楽祭、つまりミュージックフェスティバルは屋内のコンサートと違って自由に歩き回れ、好きなところに座れる自由な場である。西洋の音楽祭には69年の有名なウッドストックや、イギリスで36年の歴史を持ち、毎年10万人が集まるグラストンバリーなどがある。
台湾には現在、テーマやスタイルの異なる四つの音楽祭がある。「春天吶喊」「海洋音楽祭」「野台開唱」そして「流浪之歌音楽祭」が四大音楽祭と呼ばれる。
95年春、バンドをやっているジミーとウェイドという二人のアメリカ人が、墾丁の海岸で手作りのコンサート「春天吶喊」を開催した。バンド愛好者のパーティのようなこのイベントは、バンドをやっている友人たちに太陽の下で思い切りパフォーマンスしてほしいという目的で行なわれた。政府や企業のスポンサーもなく、器材も簡単なものだったが、自由な雰囲気に満ちていた。
それから十数年がたった現在、毎年4月になると墾丁では「春天吶喊」の名をつけたパーティがあちらこちらで開かれるが、しばしばドラッグ使用が報じられて批判されている。正真正銘の音楽祭「春天吶喊」はこうして汚名を着せられてはいるが、アーティストにとっては年に一度のビッグイベントなのである。
夏の盛りの7月、台北県貢寮のビーチでは「海洋音楽祭」が開かれる。2000年に始まったこの音楽祭は、最初は台北県政府とインディーズレーベルの「角頭音楽」が共同で始めたが、今は規模が拡大し、四大音楽祭の中でも最も広く知られている。
海洋音楽祭はパフォーマンスとコンクールの二部門に分かれ、パフォーマンス部門は招待アーティストの大舞台と、自主参加の小舞台に分かれる。小舞台に出るバンドは経験も浅く観客も少ないが、新鮮な発見もあり「蘇打緑」はこのステージでプロデューサーの林暐;哲の目に留まった。
コンクール部門の「インディーズ音楽大賞」には華語圏からインディーズバンドが参加でき、大賞の賞金は20万元、多くのバンドが腕を競う。有名なTizzy Bacや旺福、図騰、張懸などは、みな海洋音楽祭の卒業生だ。
県と企業がスポンサーになっている海洋音楽祭の入場は無料で、最近は観客数が激増しているが、物見遊山の観客も多い。2006年には県政府と角頭音楽が主催権を奪い合うという問題も起こり、将来に陰を落としている。
同じく7月に開かれる「野台開唱」はバンド「閃霊」のリーダーであるフレディが率いるグループTRAが主催者だ。95年に北部の大学の音楽クラブのロックイベントとして始まり、今では3日にわたって100以上のバンドが出演し、数万人がチケットを買って入場する。このイベントは台湾で最も専門性の高い音楽祭であり、その年の台湾の音楽シーンを占うものとされる。1000元近い入場料を払う観客は耳の肥えた音楽ファンであり、香港や日本からの参加や観客も多い。
10月になると、大大樹音楽図像が主催する「流浪之歌音楽祭」が開かれる。観客の年齢層はやや高く、知的な内容が特色だ。世界の民族音楽を中心とし、世界の弱者が直面する移住や土地や国境などの問題に目を向け、音楽を聴くだけでなく、世界のさまざまな文化が直面している問題を考えさせる内容となっている。
これら四大音楽祭は長年の蓄積を経て根を張ってきた。最近は、メジャーレコード会社もこの流れに乗り「台客ロックカーニバル」や「シンプルライフ・フェスティバル」という音楽祭を開催し、反響も悪くない。2006年を「音楽祭元年」と呼び、台湾は華語圏における音楽祭のリーダーだと考える人も少なくない。
台湾にもライブハウスが増え、若いバンドミュージシャンにステージに立つ機会を与えている。写真はThe Wallで開かれた蘇打緑のコンサートだ。