
ライブを聴きにいく人が増えている。最近の音楽ファンは、完璧に編集されたCDの音に飽き足らず、大勢のファンと一緒に声を上げながら未修正の音を楽しむようになった。The Wallや女巫店といったライブハウスや「野台開唱」「春天吶喊」などの、一万人を超える観客が集まる大型の音楽祭が台湾のミュージックシーンの一部となり、新しい体験型の音楽文化をかたちづくっている。
夜9時のステージで、やや年かさの3人が「青春よ赤々と燃えよ、自分の歌を歌え」と歌う。ここは台北で最も設備の整ったライブハウス「The Wall」、バンドは「揺滾東方」だ。中年の彼らは17年前は「東方快車」のメンバーで、かつてこの「紅紅青春」というCMソングが大ヒットした。だが80年代の当時、多くのロックファンは「彼らは外見はロックバンドだがライブの実力はないだろう」と見ていた。
当時はバンドがライブ演奏する場所がなく、羅大佑以外に大型コンサートを開ける歌手などほとんどいなかったため、東方快車は実力を証明することができなかったのである。そして中年になった今、ようやくステージで力を発揮できるようになった。
ベテランバンドだけでなく、新しいバンドも次々とライブハウスに登場している。ライブハウスはインディーズバンドに成長とファン獲得の場を与えており、昨今のインディーズとバンド隆盛の重要な要因となっている。

台北県貢寮の海辺で開かれる「海洋音楽祭」は台湾で最も観客数の多い音楽祭で、十数万人が集まる。写真は2004年の盛況ぶり。
ライブの魅力
台湾の以前の音楽市場にはアルバム売上という単一の指標しかなかったと文化評論家の何東洪は指摘する。それが2000年頃からライブが盛んになり、ライブハウスや音楽祭、楽器店、練習スタジオ、録音スタジオなどが重要視されるようになった。海外では、これらはすべて音楽産業チェーンの重要な一環であり、音楽文化多様化の鍵を握る存在である。
かつて台湾の歌手養成プロセスは、レコード会社がルックスの良い新人を発掘し、ミュージックビデオや広告、ゴシップなどを利用してシステム化された中でスターを生み出し、レコード売上につなげるというものだった。だが音楽文化において、これは決して正常な「順序」ではない。
外国では歌手やバンドは、まずライブハウスなどで経験を積み、独自のスタイルと実力を確立した後でチャンスをつかむのが普通だ。「ライブハウスや音楽祭は音楽文化の『根』とも言える重要な存在です」と何東洪は言う。
では、現代人はなぜライブに足を運ぶのだろう。いま音楽はCDやMP3や携帯電話などさまざまな手段で聞けるが、それは冷たいものだと音楽評論家の翁家銘は指摘する。「人は寂しさを恐れ、人ごみの中に温もりを求めるものです。多くの人と一緒に汗をかいて興奮する臨場感を通して、自分が孤独でないことを確認したいのです」と言う。
MP3や音楽サイトの普及で、レコードのコンテンツは急速かつ大量に複製されるようになり、アルバムを買う人は少なくなった。しかし、ライブは毎回状況や雰囲気が違い、それは複製できない一度だけの体験となる。レコードを聴くのとは全く異なる「体験型」の音楽文化だ。最近は、胡徳夫や張懸や蘇打緑がライブを通して多くのファンを獲得し、マイナーからメジャーへの反撃に成功した。
ライブハウスや音楽祭も、音楽関係者の長年の努力によって多くのファンを得、それが主流メディアにようやく注目されるようになったのである。

音楽フェスティバル
ライブハウスに行ったことのない人にとっては音楽祭がライブを経験する場となる。音楽祭、つまりミュージックフェスティバルは屋内のコンサートと違って自由に歩き回れ、好きなところに座れる自由な場である。西洋の音楽祭には69年の有名なウッドストックや、イギリスで36年の歴史を持ち、毎年10万人が集まるグラストンバリーなどがある。
台湾には現在、テーマやスタイルの異なる四つの音楽祭がある。「春天吶喊」「海洋音楽祭」「野台開唱」そして「流浪之歌音楽祭」が四大音楽祭と呼ばれる。
95年春、バンドをやっているジミーとウェイドという二人のアメリカ人が、墾丁の海岸で手作りのコンサート「春天吶喊」を開催した。バンド愛好者のパーティのようなこのイベントは、バンドをやっている友人たちに太陽の下で思い切りパフォーマンスしてほしいという目的で行なわれた。政府や企業のスポンサーもなく、器材も簡単なものだったが、自由な雰囲気に満ちていた。
それから十数年がたった現在、毎年4月になると墾丁では「春天吶喊」の名をつけたパーティがあちらこちらで開かれるが、しばしばドラッグ使用が報じられて批判されている。正真正銘の音楽祭「春天吶喊」はこうして汚名を着せられてはいるが、アーティストにとっては年に一度のビッグイベントなのである。
夏の盛りの7月、台北県貢寮のビーチでは「海洋音楽祭」が開かれる。2000年に始まったこの音楽祭は、最初は台北県政府とインディーズレーベルの「角頭音楽」が共同で始めたが、今は規模が拡大し、四大音楽祭の中でも最も広く知られている。
海洋音楽祭はパフォーマンスとコンクールの二部門に分かれ、パフォーマンス部門は招待アーティストの大舞台と、自主参加の小舞台に分かれる。小舞台に出るバンドは経験も浅く観客も少ないが、新鮮な発見もあり「蘇打緑」はこのステージでプロデューサーの林暐;哲の目に留まった。
コンクール部門の「インディーズ音楽大賞」には華語圏からインディーズバンドが参加でき、大賞の賞金は20万元、多くのバンドが腕を競う。有名なTizzy Bacや旺福、図騰、張懸などは、みな海洋音楽祭の卒業生だ。
県と企業がスポンサーになっている海洋音楽祭の入場は無料で、最近は観客数が激増しているが、物見遊山の観客も多い。2006年には県政府と角頭音楽が主催権を奪い合うという問題も起こり、将来に陰を落としている。
同じく7月に開かれる「野台開唱」はバンド「閃霊」のリーダーであるフレディが率いるグループTRAが主催者だ。95年に北部の大学の音楽クラブのロックイベントとして始まり、今では3日にわたって100以上のバンドが出演し、数万人がチケットを買って入場する。このイベントは台湾で最も専門性の高い音楽祭であり、その年の台湾の音楽シーンを占うものとされる。1000元近い入場料を払う観客は耳の肥えた音楽ファンであり、香港や日本からの参加や観客も多い。
10月になると、大大樹音楽図像が主催する「流浪之歌音楽祭」が開かれる。観客の年齢層はやや高く、知的な内容が特色だ。世界の民族音楽を中心とし、世界の弱者が直面する移住や土地や国境などの問題に目を向け、音楽を聴くだけでなく、世界のさまざまな文化が直面している問題を考えさせる内容となっている。
これら四大音楽祭は長年の蓄積を経て根を張ってきた。最近は、メジャーレコード会社もこの流れに乗り「台客ロックカーニバル」や「シンプルライフ・フェスティバル」という音楽祭を開催し、反響も悪くない。2006年を「音楽祭元年」と呼び、台湾は華語圏における音楽祭のリーダーだと考える人も少なくない。

台湾にもライブハウスが増え、若いバンドミュージシャンにステージに立つ機会を与えている。写真はThe Wallで開かれた蘇打緑のコンサートだ。
ライブハウス文化
音楽創作に取り組む人にとってライブハウスは音楽祭と違い、日常の発表の場である。
ライブハウスは文化的に以前のフォークレストランやパブとは違う。前者は料理を売るのが目的で音楽は付属品だし、後者は社交の場で音楽は重点ではない。だが、ライブハウスはライブ演奏が主体であり、社交や料理を目当てに行った人は失望する。
台北には多数のライブハウスがあり、多くは台湾大学近くの公館一帯にある。指標となる4軒は、若者の多い「The Wall」、文化人が集まる「地下社会」、フォークがメインの「女巫店」、中年世代の出演が多い「河岸留言」だ。全台湾には20軒余りある。
しかし時代遅れの法令のためにライブハウスは「飲食店」か「飲酒店」に分類され、しばしば警察の臨検を受ける。そこで最近は業者が力を合わせ、音楽文化に対するライブハウスの貢献を訴え、政府に法の改正を求めている。

「野台開唱」音楽祭はすでに東アジアで重要なロックフェスティバルとなっている。写真は2005年に参加した日本のバンドThe Back Hornのステージ。
自分の歌を歌う
金馬賞国際フィルムフェスティバルで芸術映画のチケットがよく売れるように、商業的なものだけがヒットするわけではない。無料で入場できる音楽祭は潜在的な観客を開発してはいるが、このブームは毎日営業しているライブハウスまでは拡大していない。音楽評論家の翁嘉銘は、政府は入場無料の音楽祭を減らすべきだと指摘する。民間と競って利益を求めるのではなく、まず民間業者によって音楽祭とライブハウスの市場を開拓させてこそ、音楽産業にとって長期的な利益につながる。
2006年12月3日、メジャーレコード会社と統一企業が共同で3000万元を投じ、台北の華山芸文特区で「シンプルライフ・フェスティバル」を開催した。流行音楽と中産階級の趣味を結びつけた内容で、1万人を超える観客が入場して大きな収益を上げた。しかし、イベント内容は外国で流行しているLOHASの精神をそのまま消費に結びつけたものだという批判も少なくなかった。
ちょうど同じ時、バンドミュージシャンたちが都市部を離れた金瓜石の山にある廃棄された銅加工工場に集まり、完全に独立自主の方法と7万元の予算で「山丘フェスティバル」という入場無料の音楽祭を開催した。別の意味での「シンプル」な主張である。
12月3日は台湾の流行音楽史上、大きな意義を持つ日のようである。1976年のこの日、当時淡江大学に学んでいた歌手の李双沢は、学校のステージで外来文化の象徴であるコーラの瓶を割り「自分たちの歌を歌おう」と叫んだ。ここから台湾のフォークソング運動が始まったのである。30年後の今日、まだ青臭いが恐いもの知らずの若いミュージシャンが、ライブハウスや音楽祭などで観客の前で自分の歌を披露する機会を手にした。台湾の音楽は、こうした肥沃な土台があってこそ、いつまでも強く美しい花を咲かせられるのだろう。
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