深情の流れに跡が残る
旧正月が近づく中、蔡爾平は嘉義県の招きを受けて、2018年の台湾ランタンフェスティバルに参加することとなり、台湾に戻って百人以上を動員する大規模イベントを指揮する。大規模なイベントでは、毎回多くのゴミが残され、資源の無駄使いとなることに心を痛めた彼は、芸術の観点から鑑賞と所蔵価値のある大型のランタンをデザインするとともに、屑鉄工場に出向いて、使えそうな廃材を集めた。これによって「recycle、reuse、renew、repair、refunction」の価値を表現しようと考えたのである。
蔡爾平の後を追い、北港の鉄製窓格子の工場に入ると、袖口を捲り上げ、軍手をはめた彼は、同郷の北港の職人と作業の細部を議論していた。彼自身は細部まで精緻な作品を作れるが、現在は他の人と共に創作に取り組み、より価値があり、意義のある事を生み出していきたいのである。それは自然から得た啓示でもある。「以前は、自己の成就のためであったが、ある段階まで来ると、生涯積み上げた知識と技術を解き放つのです。それは日月と大地の精華を吸収した大樹が、ある段階に来たら花開き、実を結び、木陰となり万物を守るように、生を全うするのです」と語る。
「森生不息(たゆまず生きる森)」と名付けた大型のランタンは、大量の屑鉄を使用していて、鉄製のスプーンや鍋蓋、漉し網などの姿が見え隠れするが、それが脱構築を経て、新たな建築に再構築される。蔡爾平はわくわくとした様子で「豚肉スープが大好きで、これはスープ用大なべの蓋です」(この蓋は、城の丸屋根に使用)と言うが、華やかで壮大に生まれ変わった作品には、その土地の人々の生活が込められている。
一家の庭園を「深情花園」と名付けたのは、父の蔡深河を記念するためである。その当時、台北帝大医学部(現在の台湾大学医学部)の学生だった父は、僻遠の故郷に戻り、肝臓腫瘍の新しい治療法を開発し、3600人余りの命を助け、郷里に貢献した。その貢献を深情と表するのは「深情流過的河流、必留下感情(深い思いが流れた河には愛情が残される)」を意味するが、蔡爾平も同じことである。夫人の荘恵芳は「台湾では多くの産業のサプライチェーンが途切れ、台湾で設計したパブリックアートの大多数は、大陸で加工し完成されます」と話す。蔡爾平はそのパブリックアートの作品を、多くの人が共同で参加する運動に拡大し、地元の部品を用い工場で作成したいと願う。こうして郷里の人材や資源を活性化し、そこに新しい活路を見出そうとしている。現在、彼は深情をもって荒れ地を耕す園丁のように、希望の種をまき続け、新しいページを開くのである。
蔡爾平の作品は自然の大切さを感じさせるとともに、人々を童心に返らせる。(林格立撮影)
蔡爾平が虫や鳥や動物、草花を愛するのは、その幼い頃の環境の影響だ。
家族記念館の最上階の壁画や彫塑は、交趾陶や剪黏といった伝統工芸の技法を用いており、一家総出で創作して完成させた。
屋根の塑像は、父親が話をし、母親が傍らで皆を見守るという幼い頃の記憶を表現している。
蔡爾平はニューヨークのロングアイランドに居を構え、風景も美しい「懐郷園」を切り開いた。(蔡爾平提供)