永康街と言えば、まず頭に浮かぶのは「鼎泰豊」だろう。一つには、鼎泰豊が永康街の入口にあって、この街の目印になっていること。もう一つは、その「小籠包」のおいしさが世界中に知られていて、いつ行っても日本人観光客が大勢順番を待っているからだ。
鼎泰豊の創業者、楊秉彝は山西省出身の1927年生まれ、幼い頃に戦乱に遭い、1949年に台湾へ逃れてきた。当時、台北市重慶南路に上海人が経営する「恒泰豊」という食用油店があり、楊秉彝はここで配達の仕事をするようになった。
1958年、楊秉彝は独立して自分で油店を開いたが、世話になった「恒泰豊」に感謝して自分の店に「鼎泰豊」という名をつけた。1972年に現在の永康街の入口に店を移したが、その頃から缶入りのサラダ油が出回り始め、油の量り売りの商売は下り坂になった。そこで生き残るために彼は油店時代に親しくなった飲食店の人脈を活かし「鼎泰豊上海点心店」を開くことにしたのである。
鼎泰豊が点心店に生まれ変わった当初、すぐ近くにある「高記」はすでに上海点心の店として非常に有名だった。この厳しい状況を乗り越えるために楊秉彝は研究と改良を重ねた。従来の小籠包は大きくて油が多く、飽きやすかったため、小籠包のサイズを小さくして1蒸篭10個にし、すべての皮に18本のひだを入れ、中のスープの量も何度も実験してお客が飽きない味を作り出した。
食通は小籠包のほかに原盅鶏湯(チキンスープ)も注文する。これは一般のチキンスープのように脂っこくなく、あっさりした繊細な味わいがある。このほかに、赤豆鬆糕(あずき入り蒸ケーキ)、豆沙小包(あん入り小籠包)、糯肉焼売(もち米シューマイ)などの点心も人気がある。
楊秉彝の努力によって鼎泰豊の名は広まり、1993年、ニューヨークタイムズによる世界十大レストランに選ばれた。また日本のマスコミの紹介もあって、収益の3分の1は日本人客から得ている。1996年、日本の高島屋から誘いがあり、鼎泰豊は日本に初めての支店を出し、日本で「小籠包フィーバー」を巻き起こした。
台湾の2店舗の他に、2006年現在、鼎泰豊は日本に11店舗、さらにアメリカ、韓国、シンガポールなどにも支店を置いている。山西省生まれの創設者による上海点心の店は、2001年には本場の上海に乗り込み、現在中国に6店舗を展開している。
永康街の本店では、30分並ぶのは普通のことだ。全面的なコンピュータ管理によって病院の受付のように登録して順番を待つ。しかも1テーブルの平均使用時間はわずか40分と、国際レベルの経営ノウハウを持つレストランであることがわかる。
昔からの常連客は、順番待ちをしなければならないことに時代の変化を嘆き、昔の単純な風情を懐かしむ。しかし、山西省から台湾へと逃れ来て、油売りからレストラン経営に転業し、世界中にブームを起し、しかも「大陸反抗」にも成功した「鼎泰豊の物語」は、いつまでも語り継がれることだろう。そして、物語の始まりは、永康街だったのである。
湯気で曇る「鼎泰豊」の厨房では職人が休むことなく小籠包を作り続け、多い時には一日に1000蒸篭も売る。永康街で最も有名なレストランだ。