
文化建設委員会(現・文化部)出版の『2011台湾文化クリエイティブ産業発展年報』によると、2010年、台湾全土の文化クリエイティブ産業従事者は17万人、業者は5万社を超えた。売上は6615億元に達し前年比16%成長の実績を上げている。出版・音楽・工芸・デザイン・映像等の分野に跨るこの産業は首都台北に集中し、約1万5000社の多くが零細企業で、生産額は台北で全台湾の6割を占める。
文化クリエイティブ産業は多角的に発展する新興産業の姿であり、生活態度の一種でもある。台北の街には11のクリエイティブ・クラスターが隠れている。国際的な中山北路、ゆったりした民生コミュニティ、賑わう台北東エリアの粉楽町等、それぞれのきっかけから独自の文化の風景を作っている。
クリエイティブ・クラスターとは、世界の都市振興のホットな話題であり、台北シティが生まれ変わる新たなエネルギーでもある。
英国の研究機関NESTAの『The Geography of Creativity (クリエイティビティの地理学)』レポートによるとクリエイティブ・クラスターとは、新しい事物に高い興味を示すクリエイターが集まるコミュニティ、触媒効果を発揮し才能がぶつかり合う場所、インスピレーションと自由な表現を提供できる環境、オープンなインタラクティブネットワークが独自性とアイデンティティを育むことを指す。
台北市文化局長・劉維公はクリエイティブ・クラスターの発展を「ダーウィンのパラドックス」に喩える。台北のクリエイティビティを体験するなら、裏通りに入り、大小のクリエイティブ・クラスターを歩くことだという。「豊かな種は広いインド洋域ではなく、小さなサンゴ礁域にある」のと同じ道理である。では紙上探検に出かけよう!

MRT中山エリア。古いアパートメントを改造した服飾店や台北好店、芸術映画を上映する台北光点、そして流行のビーチサンダルを売るショップなど、それぞれの時代の文化スタイルがクリエイティブの火花を散らす。
文化人はニューヨーク・ソーホーや東京・表参道を引き合いに、日米文化が融合した中山北路を語る。金融、ホテル、デパートやブティックなど類似の要素があるからだが、中山北路は時間の経過とともに、個性的な魅力を生み出している。
緑揺れる大通りは、台北という都市の歴史の縮図である。日本統治時代には台湾神社(現・圓山)に通じる勅使街道であった。光復後は総統府と空港、士林官邸とを繋ぐことから、中山北路は台湾現代化を象徴するナショナルロードとして、各国の大使・領事館が並ぶ台北一の国際ゾーンになった。
1950年、米国がランキンを駐中華民國大使館臨時代理大使兼公使に任命した。1953年ランキンは中山北路2段18号のエレガントな建物を官邸にし、後任の米国大使5代がここに住んだ。1979年に米国と国交が断絶すると領事館は閉鎖したが、華やぐ中山北路に影を落とすことはなかった。1997年に官邸の二階建て建築は三級古跡に指定され、後に台積電(TSMC)文教基金会の賛助を得て修復され、文芸映画を専門に上映する「台北光点」となった。
中山北路2段は半世紀前、台北で最も賑わう商業エリアでもあった。1964年創立のアンバサダーホテルの前身は、地元の名士・黄家の邸宅「蘭園」である。三十数年前に建てられたリージェントホテルとロイヤルホテルは、建築家・李祖原と陳憲昭の代表作である。新式の二丁掛けタイルと大理石を使った外観は、当時の建築のモデルだった。
実践大学建築学部副教授の李清志は「中山北路は台北の記憶の貯蔵庫」だという。

MRT中山エリア。古いアパートメントを改造した服飾店や台北好店、芸術映画を上映する台北光点、そして流行のビーチサンダルを売るショップなど、それぞれの時代の文化スタイルがクリエイティブの火花を散らす。
MRT中山駅2番出口から続く細長い公園に沿って、中山北路を経に南京西路を緯にした裏通りは人波が絶えず、コーヒーショップにはいつも列ができる。クリエイティブ・ショップには文芸青年や観光客が集まる。
小さな庭のあるショップ「地球樹」は、衣類・アクセサリー・食器の色やスタイルにエスニックムードが漂う。フェアトレードを支持しているから、商品は全て途上国から仕入れ、現地住民が天然素材で作った手工芸品だ。硬い石鹸を彫刻したケニアの小物、アンデス山脈のアルパカの毛で作ったストラップは、独特の風格である。ショップ・イン・ショップ「マザーハウス」は、若き日本の起業家・山口絵里子が立ち上げた。バングラデシュの人々の生活を変える可能性を求めて、2006年に現地のジュート素材を使い、現地人の手で、日本の消費者を魅了する高品質のバッグを作った。バングラデシュに持続可能な経済活動の確立を目指す。台北中山店は「マザーハウス」初の海外支店である。ジュート、皮革、シルク等のバッグやストール、財布など、シンプルながらファッション性も高い。
「台湾好、店」は台湾の農産品と原住民村落の手工芸品の展示販売の場である。創作者の丹精込めた仕事と故郷への想いが窺われる。水出しでも熱湯でも飲める爽やかな口当たりの「台湾好、茶」は、南投県名間郷松柏嶺の有機農家・謝賢鴻が生産する。中寮の農家・邱繍蓮が古来の方法に則って植物の根茎・花葉や果実・果皮等で染めたストールは、色合いがやさしい。台東県大武郷大鳥のレモングラス・オイルは、原住民に先祖代々伝わる方法で精製され、リラックス効果があり虫除けにもなる。
中山北路は、若いデザイナーとクリエイティブショップの進出で賑やかさが増した。例えばゲームの色彩に満ちた「イン・ザ・プレイグラウンド」は、国内外の様々な色や模様のサンダル、レインブーツ、スポーツシューズを主に扱う。大胆な色使いとデザイン、店内のシーソー椅子、メリーゴーラウンド、マジックミラー、ロボット型の荷物用エレベータが、オープンな空間に遊び場の楽しさを運ぶ。
赤峰街の古いアパートメント1階にある「DE STIJL」は、古い家屋の窓につけられた鉄枠をそのままに、レトロな雰囲気を醸し出し、ショップ内の20世紀ヴィンテージ・アクセサリーとも呼応している。コレクションはデザイン性、時代性を重視し、ビクトリア時代の凝った装飾はではなく、シンプルなラインや抽象的な表現のアクセサリーである。純銀、金、宝石や半貴石といった材質に、当時の職人のていねいな細工とデザインの発想が、アクセサリーを唯一無二のアート作品にしている。

MRT中山エリア。古いアパートメントを改造した服飾店や台北好店、芸術映画を上映する台北光点、そして流行のビーチサンダルを売るショップなど、それぞれの時代の文化スタイルがクリエイティブの火花を散らす。
富錦街と民生東路5段を中心にした延寿街・新中街までの町並みは、ほとんどが5階建て以下、築30年以上のアパートメントで前庭があり、建築設計、広告デザイン、映像業者などが進出している。特に、緑濃い富錦街は交通量の多い通りから離れ、俗世の束縛から放たれた楽園となっている。
民生コミュニティは約3平方キロで大きくはないが、台湾初のアメリカンスタイルのモデルタウンであった。1967年に500万ドルの米国資金援助で作られ、ゆったりした空間が半世紀を経て、台湾随一のクリエイティビティ密度となった。
統計によるとこのエリアのデザイン・映像業者は200社を超える。20軒に1軒はデザイナー、監督、プロデューサー等クリエイターがいる計算になる。映画、テレビドラマ、ミュージックビデオのロケも多く、映画『台北の朝、僕は恋をする』は新東街で、『台北カフェ・ストーリー』『ターンレフト・ターンライト』は富錦街でロケが行われた。
富錦街に店を構えて二十年以上になる「吉祥草茶館」は、畳、引き戸、すだれ、屋外の赤い扉と柱、庭の花と老木が東洋風である。多種ある茶は、香りも味も長年変わらない。館主は鹿谷の実家の農園の茶を自ら焙煎して品質を維持している。
静かな新中公園の向かいでヨーロッパのシティサイクルを専門に扱う「輪粋生活」は、シックでシンプルな趣きである。自転車を所狭しと吊り下げている普通のサイクルショップとは異なり、十数台のユニークなタイプの自転車と、あとはサドル、サイクルウェア、バンダナ等のアクセサリーが少し置いてあるだけで、優雅なレジャーをイメージさせる。シティサイクルの多くはイギリスやデンマーク製で、折りたたみ、デザイナーズ、ハンドメイドを看板に、品位を重んじる都会人に他とは違った足を提供している。富錦街を選んだのは、広い木蔭の歩道で試乗できるからだという。
2台置かれたハーレーが目印の「AGE SPACE」は1970年代にデザインされた商品を扱う。店主はインテリアデザインが専門で、店の奥はデザインオフィスになっている。百を超えるプレイヤーやレコードをコレクションしていたので、たくさんの人に楽しんでもらおうと店を出した。店には宇宙飛行士の丸いヘルメットとロケットの曲線に発想を得た1960年代のペンダントライト、椅子なども集められ、クラシックなデザイン年代の文化が窺える。
こじんまりした富錦街に生活用品店やフラワーショップ、スローライフのコーヒーショップが増え、付近の通りにも影響を与えて、特有のカルチャーライフスタイルを形作っている。

アメリカンスタイルを残した富錦エリアには、サイクルショップ、古いレコードを扱う店、落ち着いた茶館などがあり、ゆったりとした時間が流れる。
市が宣伝する11のクリエイティブ・ストリートの内、中心市街にありよく知られているのが康青龍エリアと温羅汀エリア、東エリアの粉楽町である。
粉楽町の名前は、富邦芸術基金会が毎年台北東エリアで行う「粉楽町(Very Fun Park)当代芸術展」が由来である。地価が高く競争が激しい地域だから、どの店も目を引く工夫を凝らし、パッチワークの趣きがある。
中心地には「旧」市街もある。クリエイションの火種は未成熟だが、独特の風情を醸し出している。
旧来の商圏である艋舺(萬華)は、龍山寺を中心に仏具や薬草茶などの古い店が並ぶ。大理街の服飾エリア、華西街夜市、更に改造後の剥皮寮歴史街とともに、伝統文化を特色とした観光スポットを形成する。地元商店も共同で文史工房を設立し、ガイドとデザインフェスタで古い街が往年の賑わいを取り戻し、台北市発展のルーツを教えてくれている。
故宮博物院を中心に広がった故宮/東呉大学/実践大学クリエイティブ・クラスターには、裏通りに個性的なショップが隠れている。「アトリエ・モネ」「費莉莉DIY」「好氏・創意整合」「シャドウ・グラフ」といった文化クリエイティブショップがある。実践大学にデザイン関連の学部があることで、ショップと学生とが刺激し合い、また生活機能を担う店もできて、ひとつの町のようである。
北投クラスターは、温泉文化とともに、ガラス・陶芸創作が生れた場所でもある。文化人やコミュニティ組織、台北芸術大学の師弟が加わり、創作エネルギーは強さを増している。

MRT中山エリア。古いアパートメントを改造した服飾店や台北好店、芸術映画を上映する台北光点、そして流行のビーチサンダルを売るショップなど、それぞれの時代の文化スタイルがクリエイティブの火花を散らす。
「成熟した文明の高い都市だけに、裏通りの生活美学が生れるのです」旅行好きの作家・韓良露が言っていた。街に成熟した生活文化があるかどうかを判断するのは、ショッピングセンターやデパートだけでは決してない。美しい事柄は迷路のような小道に起こる。手作りオイルや古い絵葉書、骨董の銀器を売っていたりして、ニューヨーク・ソーホー、マドリード・セントアンナ、東京・上北沢、ロンドン・ノッティングヒルのように、街の豊かな文化の肌理を見せてくれる。
生活美学の積み重ねが形作る台北クリエイティブ・クラスターは、台北の都市文化の深さの表れだが、共通の試練にも直面している。街の全体環境の再構築と維持、クリエイティブ・ショップの存続に関わる家賃の高騰、住民とショップとの間で共通認識を構築する場の欠如、大規模開発によるコミュニティの破壊等の問題には、関係部署がコーディネートのメカニズムを確立し、クラスターの健全な成長を助けていく必要がある。創造性が都市の空間と人々の生活に組み込まれなければ、強大なクリエイティブ・エコノミーは立ち上がらない。

アメリカンスタイルを残した富錦エリアには、サイクルショップ、古いレコードを扱う店、落ち着いた茶館などがあり、ゆったりとした時間が流れる。

緑陰の通り、入り組んだ裏通りで、クリエイティブ・クラスターが育まれている。

MRT中山エリア。古いアパートメントを改造した服飾店や台北好店、芸術映画を上映する台北光点、そして流行のビーチサンダルを売るショップなど、それぞれの時代の文化スタイルがクリエイティブの火花を散らす。

アメリカンスタイルを残した富錦エリアには、サイクルショップ、古いレコードを扱う店、落ち着いた茶館などがあり、ゆったりとした時間が流れる。

アメリカンスタイルを残した富錦エリアには、サイクルショップ、古いレコードを扱う店、落ち着いた茶館などがあり、ゆったりとした時間が流れる。