会場：北投平等小グランド

時刻：午後2時、設営開始

舞台装置、設備搬入、照明･音響設置等、国立劇場並みのステージの準備が整った。

夕方、子供連れの家族が続々と星空の下に腰を下ろす。金の鎧のドン･キホーテが馬に乗って現れ、巨大な風車に立ち向かうが、敵はドラゴンだと気づく。ドン･キホーテがドラゴンを舞台下に追いやり、スタッフがドライアイスを噴射すると、子供たちが立ち上がって「ドラゴンを倒せ！」と叫ぶ。この場面は必ず子供たちのテンションが上がり、歓声や笑い声が夜空に響く。

紙風車は300回以上これを演じてきた。全国町村ツアーは、新しい募金スタイルと上演の約束で、2009年第五回総統文化賞創意賞を受賞した。賞金100万元もツアーに寄付した。

『ドン･キホーテ』は紙風車の代表作であり、また全国319の町村すべてで公演するという困難な任務の象徴でもある。

2006年。王建民の大リーグ入り以外、良いニュースはなく、社会は沈鬱ムードだった。

「やる気が出ず、客入りにも影響しました。演劇人にできるのは何か、いつも考えていました」と話す紙風車文教基金会･執行長の李永豊だが、子供が喜ぶことなら元気が出た。

「子供に芝居を見せることはできる。それも台湾全土で演じまくる」夢はこうして生まれた。費用を行政に申請しないことも決めた。政治的かけ引きに巻き込まれないためだ。資金は小額ずつでも時間をかけて募る。李は台湾の力を信じた。

「皆反対でしたよ」紙風車劇団の団長･任建誠が言う。李永豊の突拍子もない構想と、彼に従うことに慣れていてもだ。

「直感的に反対でした。企画が大きいし、自力で資金を集めるなんて。金はどこにあり、どれだけ時間がかかるのか。政府に頼らず、小額の募金に期待するといっても、賛同が得られるのでしょうか？」

企画書が紙風車の会議で回覧されると、呉念真のような友人に意見を請うこともある。だがやっぱり応援してくれるのが仲間だ。映画監督･呉念真は李のあの手この手の要請に応じ、企業や団体に講演に行った。最初は企業に期待していた。呉大先生のネームバリューで企業のトップが加わると思った。

「ところが講演の後、現場でケチ臭い寄付を見るたび、呉念真にこっ酷く言われましたよ。『普段講演したってこんなに安くはない』と」

もっとも、中には説得力ある発起人もいる。あるとき呉は円神出版社董事長･簡志忠が友人を誘った食事会に参加した。簡はおだやかに計画の内容を話した。すぐさま「永靖は私が寄付します」と静かな声と、「台中龍井は俺が」という声も響いた。挫折の後のこんな場面に李は励まされた。

政府に頼らなかったのは、台湾の芸術環境と関係がある。

故郷のために力を出し合う。35万元の募金が集まれば紙風車劇団は必ず公演し、毎回寄付をした個人や企業の名前を貼り出して感謝を伝える。

1962年生れの李永豊は、芸術学院演劇科に入る前、文芸界に影響の深い「蘭陵劇坊」に入り、創設者で著名心理学者の呉静吉の指導を受けた。以来呉静吉を「師匠」と敬う。

蘭陵と芸術学院の洗礼を経て、李永豊は24歳で日陰の児童劇に飛び込む。ｹ志浩、朱曙明と「魔奇児童劇団」を設立した。だが、台湾の人々は劇場で演劇を見る習慣がないから、舞台芸術の経営は苦労が見えていた。「芝居を見てくれなくて舞台がよくなるわけがない」

マーケットはなく、舞台芸術は行政の補助に頼り、行政のイベントに参加する。芸術家は行政から遠ざかるべきなのに、これでは舞台芸術は育たない。

1993年、李永豊は柯一正といった友人と「紙風車」を設立する。当時も環境はたいして変わらず、行政委託の大型イベントをいくつも請け負った。「国慶民間遊芸」「宜蘭国際童玩節」「総統府前ダンスフェスタ」「新港国際児童芸術節」「青少年演劇推進計画」等だ。

西部海岸の田舎町で育った彼には分かっていた。芝居が良かろうと拙かろうと、劇団でも児童劇でも、相手は自分の出身とは全然違う中産階級なのだ。

「嘉義県布袋の育ちで、その辺じゃ劇場に行ったことのない人も多いんです。まして児童劇なんて。芝居をするなら、村の人たちに見てもらわなきゃ、成功したとはいえません」

2011年、紙風車はブロードウェイの『CATS』や『ライオンキング』に倣って独自の『チキン･ストーリー』を創作した。歌とダンスと感動的な物語で見応えも十分だ。

李永豊は振り返る。「紙風車」の名は風車の精神に学ぶためだ。風があれば吹かれ、風がなければ自分で動く。

「劇場に来た子供は、高い確率で将来の観客になる。だから演劇が発達している国は、児童劇を重視しています。紙風車は台湾の舞台芸術のために根を張っているんです」

紙風車は児童劇に照準を当てるが、同じ年に台北芸術大学演劇学科OBが設立した緑光劇団は「誰でも分かる芝居」を演じる。2000年、呉念真が緑光に加わり、2001年に『人間条件』シリーズを手がけ、普通の人の実生活と情感で強い共鳴を呼んだ。公演はいつも客が入った。李永豊はプロデューサーと主役級の役者を兼任した。

「国立劇場でいつも同じ客に会いました」舞台芸術は舞台を広げなければと呉は話す。ここ数年『人間条件』上演時に、スタッフが「ヘンな」観客がたくさん来ていると言う。「それなら成功です。劇場に来なかった人を呼び入れたのだから」

『人間条件』シリーズ成功以前、緑光と紙風車の経営は惨憺たるものだった。李永豊はよく自分は何者なのか考えた。

「ジョセフ･ナジ(フランスダンスシアターの大家)、ピナ･バウシュ(ドイツコンテンポラリーダンスの大家)、ロバート･ウィルソン(アメリカポストモダン演劇の演出家)を見たら、一生かけても同じになれないと思う。俺がそこそこの演出家でも、それだけのこと」

39歳、大きな壁にぶち当たっていた。友人に充電を勧められ、本当に台北芸術大学伝統芸術大学院に合格した。

「町づくりの父」陳其南の指導で、李は文化環境の視点で児童劇を考え始めた。「町づくりが、人と地域を見る彼の視線を変え、319プロジェクトへと動かしたのです」表現芸術聯盟事務局長の于国華は言う。

澎湖諸島の七美で上演された『ドン･キホーテ』と台東県卑南での『武松打虎』、満場の観客が星空の下で楽しい一夜を過ごした。

紙風車と緑光が作った基礎の上に、李はパソコンを手に説明に奔走した。企業の献金額には高低あった。そこで一般人の心を打つ口上を考えた。

「どちらにお住まいですか？実家は？しばらく親御さんに会ってないんじゃないですか？郷に帰っていますか？紙風車は応援を待っています。あなたの故郷での公演に」

何度となく繰り返した口上は続く。「319があなたの故郷に行くとき、その数百元の領収書をお母さんに渡して、お母さんを芝居に招待してください。きっと感激してくれるはず」

酒の席で李は、当時中国時報紙の副編集長だった張瑞昌を捉まえて「布教」した。話も終わらぬうちに張はもういいと、ポケットから1000元札を3枚出した。「台中烏日に寄付してくれ。出身地は烏日なんだ」二日後、中国時報は紙風車が始めた「319郷村児童芸術工程」を一面トップで報じた。

開幕の発表会では、小野、呉念真、柯一正、賀陳旦、白崇亮といった友人が応援に来てくれた。財界は中華電信、台糖、中興保全、泰安産物保険等が早くに支持を表明し、協賛の推進役となった。開幕後は自由時報紙が翌日の上演情報を報道した。

しかし、上演後も細部の修正が続き、設備、人材、交通費は公演一回につき当初60万の予算を徐々に45万、35万と下方修正する。団員はこれ以下はない安宿に泊まった。予算が500元しかなかったのだ。節約のため、高雄や屏東の公演の後に貸切バスで台北に戻ることもあった。団員の家族から様子を伺う電話が度々入った。推算では公演一回につき十数万元の損失だ。離島となると、一回の公演で90人になる動員数は、移動だけで百万元を超えた。

子供たちが思い切り笑う姿こそ紙風車劇団の最大の喜びだ。左は台東県緑島。会場の子供たちもお小遣いを寄付する。右は台南県下営。

夢の呼び声に、寄付は細い流れの如く入ってきた。郷のため金を出す人、働く人がいる一方で李に任せる人もいた。メディア人の陳文茜は公演一回分の35万元を寄付した。

「彼女が私に場所を指定しろというので考えて、金門金沙をお願いしました」と李は得意げだ。「『どうして金沙なの』と聞かれたので、昔恋人が金沙にいて、懐かしいからと……」

こうして「父、母の名、故郷の名で」の寄付が徐々に流れ込み、5年余りで2万4000件近い個人と団体の寄付を集め、累計2億円近くに上った。

一つの物語がもう一つの物語を生み、ある想いが別の想いを呼び起こす。319寄付者の手記を開くと、亡くなった父のために故郷に寄付する人、毎日看板を背負って郵便局と夜市で募金をする先生、朝食店の収入一日分、僻地の学童が一元、五元と貯めたお小遣いなど、319計画は連鎖のように、発起人、賛助者、ボランティアと観客を一つに繋いだ。これこそ社会運動家の目指す境地だ。

「重要なのは想いです。名利ばっかりで、世のためになることなんてしない人は多いけど、想いと、通う心を大切にする人もいるんです」

2006年末の宜蘭県員山郷の初回公演以来、今年8月までに紙風車は313の町村を回った。数え切れない接待に50歳近い李永豊は、スレンダーボディが今ではビール腹だとぼやく。だが相手が杯を挙げるなら、彼はとことん付き合うのだった。

子供たちが思い切り笑う姿こそ紙風車劇団の最大の喜びだ。左は台東県緑島。会場の子供たちもお小遣いを寄付する。右は台南県下営。

2007年1月3日、紙風車は阿里山に来た。冬の山は冷たい空気、霧が深く渦巻く。天気が心配だ。「苦労を重ねて金も人も集め、芝居の準備もできた。客が来なかったらどうする？」

だが幕の外に、車やバイクの音と子供の笑い声が近づいてくる。あちこちの山から阿里山小へ。人口三千余りの阿里山で、今夜山越え谷越えやってきた大人と子供は千人を超えた。

花火に子供の歓声が上がる。タバコに火をつけ照明下の舞台を見ていると、涙が出た。こっそり隠れて泣いたが、劇団の皆が目を潤ませていた。

「打ち開かれ、解き放たれた感覚でした。あの時、続けていけると確信が持てたんです。どんなに長い道のりでも」

昨年末、父が世を去り、李は再び泣いた。「劇団をやるなら一生都会の人にだけ見せるわけにはいかない。父は小学校卒、母は字が読めません。そういう環境で育った田舎の子供ですから、319はある意味、自分の故郷、両親のためでもあります」

台北に出て20年、舞台は故郷には行かなかったが、2009年末に紙風車が嘉義県布袋に来た。その一年後、父は去った。

今、長い旅路のゴールが見えてきた。創作の苦境と、中年を前にした自分への期待という焦りを通り過ぎ、ふと振り返るとこんな遠くまで来ていた。

「死んだらそれまで。焼いてしまえば何もない。今大切なのは、自分の気持ちと家族と兄弟だけ、子供たちの笑顔だけ」

「319を続けたいかと聞かれたら、もし誰かが自分の力で続けたいなら、文句ありません。でも俺は走り終わりました」

319は李に中年の関門を抜けさせ、また紙風車に二十数作の蓄積を作った。

「作品を出すたびに子供たちの反応を見て話し合い、話の筋や道具、演技や配役を修正してきました」紙風車の執行美術総監･張敏宜が数えると、修正を重ねた結果「自然消滅」した作品もあった。残った作品はエッセンスとなり、紙風車の演出もいっそう成熟した。

定番の中でも『ドン･キホーテ』は子供たちに一番人気だ。金ピカ鎧のドン･キホーテが馬に跨って舞台に上がると、子供たちはどっと笑うのだった。

台湾風ドン･キホーテは、高さ4ｍ、長さ十数ｍのドラゴンと戦う。ドラゴンをやっつけると、「我ドン･キホーテは力の限り、子供たちが芸術の初めの1マイルを踏み出す手助けをしよう」と自己宣伝する。

芝居が想像力を啓き、小さな命に刻印を残す。ドン･キホーテを見た人なら、その種が必ずいつか花開くと信じるのだ。

「『後ろ盾』の力だ。荒れた社会には、新しい憧れの人物が人々に希望を抱かせる必要があるんです。319は心の繋がりです。この企画が信頼を得られたのは、天に感謝しないと」

李が狡猾な笑いを消し、舞台役者の大袈裟な抑揚を収めると、はにかんだ表情に戻る。金ピカに光りながらどこか泥臭いドン･キホーテのようだ。

このドン･キホーテは挫折から立ち上がった役者だ。役者の夢は舞台を見る者を感染させ、人々は、罵詈雑言もビンロウで真っ赤な口も、夜中に喚きたてる酒も受け入れ、夢の実現に力を貸す。そこに人情と、生命力豊かな人間が檻を破ることで芽生える社会の力が見える。

風が巻き起こった日、風車は319の村を過ぎていく。

澎湖諸島の七美で上演された『ドン･キホーテ』と台東県卑南での『武松打虎』、満場の観客が星空の下で楽しい一夜を過ごした。

紙風車文教基金会の李永豊執行長は演技が自然で生き生きとしていてCM出演依頼も多い。写真は『人間条件』の中で李永豊が里長を演じる様子。粗野で力強い感じがよく出ている。