ガガを認めて実践
タイヤル語の「ガガ」は祖先から伝わる教えを指し、彼らの生活はすべてガガの規範に従う。風習、信仰、人生観などすべてを含み、哲理に満ちた精神を表すものだ。伝統家屋もかつてはガガに従い、親族が協力して建てた。だが今日では仕事を休んで数カ月手伝ってもらうというわけにはいかない。そこで韋浪と比穂はガガを拡大解釈することにした。「ガガという文化を認め、いっしょに実践してくれるなら、親族ということになりますよね」と比穂は言う。ネットで有志を募ると「手伝おう」と100名以上の応募があり、原住民でない人も多かった。離島や香港からも「仕事を休んで、ともに家を建ててタイヤル文化を学びたい」と来てくれた。おかげで3カ月余りで家は完成、この集団プロジェクトも完了した。
伝統から生まれた大型作品
宜蘭の山中のタイヤルの集落から、場面を台東県成功鎮の麻荖漏集落に移そう。山を背に太平洋を臨む地にアミ族の伝統家屋が建つ。これはアーティスト陳豪毅の「Malasecayアミ伝統家屋構築與宝庫工房」だ。Malasecayとは団結や協力を意味する。この伝統家屋の建設にのべ600人が参加したという、まさに労力の結晶だ。台南芸術大学の龔卓軍·准教授はこのプロジェクトを「人の体と生態が呼応した創造的実践」と評した。
陳豪毅は台北芸術大学美術史大学院で学んだ後、台北で工房を開いて多くの美術展にも参加したが、後に台東に戻って小学校で教壇に立った。原住民の児童のための実験的な授業を多く行ない、同校では台湾、ドイツ、ブラジル、マレーシアなどからのアーティスト·イン·レジデンスも招き、子供たちの視野を大いに広げた。
だがそれも2018年に転機を迎える。数年にわたって反転教育を実施してきたが、教育現場の頑迷な体制としばしば衝突、陳豪毅は次第に消耗した。ついに辞職を決め、アミ族の母から麻荖漏集落にある土地を相続した。「この土地を売って台北でアーティストとして再出発しようと一度は考えましたが、それは本当にやりたいことではありませんでした」悩んでいた頃、彼は韋浪のタイヤルの家屋を訪れる機会があった。伝統家屋で伝統を守った暮らしをする夫婦の姿に、彼はアミの家を建てようという思いを強くした。
そこで彼はお年寄りに尋ねるなど現地調査を開始、その途中で、集落にわずか3軒残る伝統家屋を見つけた。いずれも路地や一般民家の奥に隠れており、消えつつあるその姿はアミ伝統の年齢階級制度を思わせた。台東大学オーストロネシア文化センターの蔡政良·主任によれば、アミ族の年齢階級制度は、各階級ごとに担当する仕事や祭祀が決まっていた。家屋建設もその階級に従って仕事の分担があり、仕事を学んだ。だが成功鎮一帯のアミ族集落では、外来宗教の普及に伴い、階級制度も失われ、家屋も建てられなくなっていた。
陳豪毅は、家屋建設の最大の難関は建材だと言う。1軒の家屋に黄藤(ラタンヤシの仲間)だけでも3000メートル必要で、まず山からトゲだらけの黄藤を持ち帰り、それを割って削るという作業を経る。そのため建材を集めるだけに彼は2年かけて台湾じゅうを回った。そして各界から応援に駆け付けた人とともに、学びながら作り、作りながら他者に教えることを繰り返した結果、3ヵ月余りの後、アミの家が完成した。黄藤を伐採し、それを編み上げ、建材として使う。全工程を経験して陳豪毅はやっとわかった。「伝統文化の学習は、見て、聞いて、感じて、どれも長い長い時間が必要だ」と。