因果応報
中年の女性たちやお年寄りたちの熱意によって、永楽は衰退しかけていた農村から、地域活動の盛んな模範的な地域としてよく名を知られるようになり、今では彰化県の農村のお手本となっている。現在、埔塩郷の22の村のうち20の地域が活発に活動するようになり始めているが、そのうちいくつかは非常にうまく運営されている。
埔塩郷役場の主任秘書である楊子球さんによると、役場は県と協力して計画づくりを進め、それぞれの地域が異なった特色を出せるように考えているという。例えば永楽は文化の面で有名で、埔南地域は環境保護に重点を置き、地域の整備を進めようとしている。埔南の「チョウチョ公園」では、すでに数種ものチョウの孵化と飼育に成功し「全国10大環境保護地域」に入選した。南新地域は原始の自然の保存に努力しており、公園内には数百種もの台湾の原生植物が栽培されている。計画中の新水地域は野菜を主な生産物としており、将来的にはその周辺の野菜集散地となることを目指している。
永楽地域は、他の地域の町づくりの動きを刺激し活発にしているだけでなく、実際に埔塩郷の王功と石埤という2つの地域の町づくりにも協力している。台湾大地震以降、老人を中心とした長青地域でも、永楽のお年寄りを中心としたボランティアの活躍がしばしば見られるようになり、地元のお年寄りを地震から立ち直らせた。こうして自ら人助けを買って出ていると、思わぬ収穫があるものらしい。永楽は以前、過疎化や高齢化が深刻で悩みの種だったが、地域の活性化により若者が村に帰ってきて、永楽小学校が廃校になるのを免れたのである。
「田舎ではもともと地域活動と学校機関との協力が密に行われていました」永楽小学校の教頭先生である施榕鑫さんは、自分は永楽出身ではないが、「地域の学校化、学校の地域化」によって、自分も永楽のメンバーなのだと感じるようになったと言う。永楽地域の活動は最初から、小学校が積極的に協力してくれている。現在地域のウェブサイトも施さんが担当している。小学校で人手がほしい時には、校長が電話を1本かければ数十人ものお年寄りたちが手伝いに来てくれる。それに学校では地元の特色を持った教材に事欠かない。お年寄りたちの竹筒銃や地方音楽、竹細工などの技術はすべて値段をつけられないほど貴重な文化財だからだ。
現在、県の教育局は、生徒総数50人以下の小学校の廃校を進めており、3年後には生徒数100人以下の学校に着手する予定でいる。以前、生徒数が減少し続けていた永楽小学校は、現在では140名の生徒がおり、地域再建後、何年もこの生徒数を維持している。廃校を免れたことは地域運営の大きな成果であり、永楽の人々の幼い頃の思い出も、これによって無事保存されることになった。
地域を一回りすると、すでに夕暮れ近くになっていた。小学生の一群が家に帰る道のわきにある空き地では、すでにゲートボールクラブが活動を始めていた。家々からは夕食の支度をする音が聞こえ、農作業を終えた人々が春風亭に集まり、おしゃべりに花を咲かせている。公道伯は、あずまやの中で人々にしっぽを振っている犬を指差して言った。「先月、よそからうちの息子の後をついてやってきたのですが、ここを離れようとしないのです。きっと永楽という土地が気に入ったのでしょう」
そよ風が吹き、のびのびした気分を運んできてくれた。
不老英雄団のボランティアが竹で建てた草地学堂、梁にかかった竹片は風が吹き抜けるとぶつかり合って音が出る。楽しいアイディアだ。