防疫の道を志して
台湾に戻って数年経験を積んだ後、疾病管制局(現:疾病管制署)の防疫専門医に応募し、防疫の道へと進む。2008年、アメリカの疾病管理予防センター(CDC)で2年のトレーニングを受ける機会を得て、世界の防疫を学んだ。
異郷にあっても、心は台湾に繋がっていた。特に、いつも診察を受けに来ていたエイズ患者を思い、夜の空き時間を利用してブログ「心の谷」を開設し、エイズと性病の予防知識を広めながら、Q&A欄を設けて様々な質問に答えた。
「診察室では医者は絶対的権威ですが、ウェブでは医者も単なるネットユーザーです」医師と患者の関係が完全に覆り、質問への回答でコミュニケーション力が鍛えられ、忍耐力も養われた。インターネットを通じて、エイズ患者は口に出せない疑問に答えを得て、病と向き合うことができるようになり、治療を受け入れた。
2009年、米CDCがアフリカ経験のある医師を募集した。チームを組織してナイジェリアへ赴き、原因不明の子供の死亡事件を調査するためだった。羅一鈞は当然の如くチームに参加した。
現地では、村人が付近の鉱石を家に持ち帰って加工していた。子供は鉛を含んだ粉塵を吸い込んで中毒死したのだった。そこで、現地の長老や政治・宗教指導者と話し合い、鉱区に冶金場を設けて村に持ち帰らないようにしたことで、子供がこれ以上被害を蒙るのを防止できた。
アフリカ滞在はわずか一ヶ月だったが、羅一鈞は「アフリカでは、些細なことで大きな変化を生み出せる」と感じ、防疫に取り組む決心が更に強まった。
患者とともに
巡り会わせだろう。ナイジェリアに来たことがあったため、現地の医療体系に人脈ができたことで、今回の視察の旅では、普通訪問を受けない疾病管理センターを訪問することができた。
台湾がSARS以降確立した防疫体系は非常に完備されたものだが、ナイジェリアの二つの経験には学ぶ価値が大いにあることに気がついた。
一つは防疫センターの最上層に属する流言払拭チームである。「ナイジェリアの場合、噂による死者の数がエボラの被害を超えます」現地では、夜中の12時に塩水を大量に飲むとウィルスに感染しないという噂のために、多くの人が急性腎不全で死亡した。台湾でも、ある薬草処方でエボラが予防できるという噂が聞かれるようになった。
「噂の払拭は治療より重要です」民衆がパニックに陥れば防疫体系は崩壊する。だからこそ2年前に鳥インフルエンザが流行した時、メディアなら来るものは拒まず、自らトーク番組や討論番組にも出演した。批判されても怯まない。「正確な情報を発信しなければ、噂に拡大の隙を与えますから」と言う。特に、情報が飛ぶように伝わる現代、噂の解明は更に急を要する。一日に2回、3回の記者会見も厭わない。
もう一つ学ぶべきことは、患者への心配りである。感染症が流行すると人々は患者を恐れ、患者は隣近所や学校の友達や同僚の奇異の目にさらされ、強い精神的ストレスを負う。
「病魔の魔とは病であって人ではありません」患者も被害者なのだから、必要なのは心遣いでありプレッシャーや汚名ではない。
リベリアで起きた例では、ある女性がエボラに感染し、治癒して村に戻ったが孤立させられ、最後には自殺してしまった。
汚名と魔物扱いで、感染者が陰に隠れて治療を拒み、時には居住地から逃げ出してウィルスを拡散させる。ナイジェリアでは自分のエボラ感染を疑ったある患者が、他人に知られないように600キロ離れた町で治療を受けた。しかし、2週間後に医師が感染により死亡し、事態が明らかになったこともある。
そこでナイジェリアでは防疫センターに心理支援チームを設立し、心療医、精神科医、カウンセラー、ソーシャルワーカーを集めて、隔離中も患者に寄り添い、カウンセリングでストレス軽減を図る。潜在的患者と治癒者には、ソーシャルワーカーが追跡指導を行い、居住地や職場、学校を訪問して患者への差別を減少させる。
流言払拭と心理支援は台湾の防疫事業でもっと強化できるはずだ。医師が権威の枠から出て市民の視線で考えてこそ、病を治して命を救えないという悲劇から逃れられる。
防疫の道にゴールはない。踏み出す一歩一歩が新たな領域になる。防疫に取り組んで十余年、無数の生死を目にし、不惑を迎える羅一鈞は、今も熱血青年の風貌で、行動力と好奇心に満ちて、常に感染症の襲来に備えている。